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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2007年03月10日

ユダヤのプロトコルについて





 世の中には、陰謀論というものがある。そしてトンデモ本というものもある。
 と学会というのがあって、トンデモ本というのを笑いものにしているのだ。例えば日本人とユダヤ人は同一の先祖がいるとか・・。宇宙人にさらわれたとか・・。波動エネルギーで、なんたらかんたら・・・。
 あるいは、水に良い言葉を聴かせると、キレイな結晶ができるとか、マイナスイオンは体に良いとか(笑)アハハハハハハハハハ。
 あー、バカバカしい。
 
 しかしなのだ。トンデモ本の中にも、陰謀論的な話もあるし、陰謀論の中にもトンデモ本が沢山あるのだが、陰謀論というのは、ハナから相手にしないという考えは、どうかと思うのだ。
 世の中は、ある程度カオスであり、複雑系であり、バタフライ・エフェクトがあり、誰も予期しなかった事が、現実に起こったりして、偶然の要素が大きくて、未来のことなど何も分からないという考え方がある。
 だが、例えば社会の仕組みや、権力構造というものは、それほど不確定的なものではなくて、むしろ誰かの思惑で、進んでいるという側面もあるのではないかということだ。
 そして、その思惑や、裏の仕組みというものが、知られていない可能性もあるのではないか。
 それを解き明かそうとするのが、ある意味陰謀論の役割なのではないかと思う。
 富を独占する方向で動くのが、資本主義の社会であるならば、富が集積していく先にある人間、ピラミッドの上の方にいる人間がいるはずだ。そして、一度力を得たら、その力を使って、更に力を拡大する事ができるだろう。そして、その結果として、ある巨大資本があり、それが現在の世の中に大きな影響力を持っているのでは・・・。そしてそれは、アメリカなどの国家を超えた存在なのではということだ。
 それがロスチャイルド家なのだ。という考えは、ベタだなあと思うし、まだまだよく調べてないので、分からないのだが、そう言っている人もいる。
 しかし、世の中には反逆者も沢山いるし、そんなに支配ばかりするのも、無駄なエネルギーであるし、結局、要所要所を押さえて、金の流れるシステムの構築をしてるだけなんじゃないのとか思うけれど、よくわからん。

 という事で、軽く引用してみよーーー。数百年の歴史がある由緒正しきトンデモ本???シオンの議定書・第二十一議定どえーーーす!!



【引用開始】http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20051104
そこで、私は内国債について詳しくお話ししようと思う。

 政府が政府の為替手形すなわち利付き債券の購入者を公募したとする。額面は小口大口いろいろ設けられ、早くから申し込んだ予約者には額面よりも割引いた金額で売る。が、翌日になると、小細工を弄して、何しろ購入者が殺到したので、という口実で値上げする。数日後に大蔵省の金庫はあふれんばかりで、予定額をはるかに超過したと言う(それなら、なぜ国債を発行したのか?)。 予約額は債券発行額の数倍にも達したと発表される・・国債に対する信用を示そうというのである。

 こんな芝居は芝居ですむが、新たに発生した債務をどうするのかという問題が起こる。途方もない額の債務が生じたのである。利子を払うには、その財源に新たな債券を発行する必要がある。新たな債券は元利を清算するのではなく、ただ単に新たな債務を上乗せするだけである。政府の国債発行の限度を超えたら、新しい課税で取り立てる必要が生じる。それも国債整理のためではなく、ひたすら利払いのためである。新税はひたすら借金のための借金となる……

 そのうち債券書替えの時期がやってくる。だが、これとても利率を下げることはできても、債務をなくなしてしまうわけではない。それだけではなく、債権者の同意がなくては書替えはできない。書替えにあたっては、同意しない人々には金を返済すると公告する。もしも誰も彼もが、書替えは嫌だ、金を返せと言ったら、支払い不能に陥ることは火を見るよりも明らかであり、政府は自ら墓穴を掘ったことになる。幸いにもゴイ政府の臣民は経済のことはとんと事情にうといから、金を新しい事業に投資して利が落ちるよりも書替えで利が薄くなる方がまだましだと思って同意する。かくして臣民は数百万という政府の債務を穴埋めすることに協力してやる。

 今日では、ゴイムといえども外債でこんな芝居を打つことは、ごまかしが利かないことが判ってきた。われわれが全額払戻しを請求することが判ったからである。

 このようにして明らかな破産倒産状態が生じ、人民の利益と支配者のそれとは一片も共通する所がないことが明々白々となった。

 今お話したこと、これからお話することには格別の留意を払っていただきたいのであるが、内債は今日ではいわゆる短期公債、すなわち、多かれ少なかれ期間の短いものに整理されているという点である。これらの借金は貯蓄銀行に収納され資金として確保される。政府はこの資金を外債の利子支払いに当て雲霧消散させてしまい、その穴埋めに同額の公債を当てているのである。

 ゴイムの国庫からの資金漏出をとりあえず穴埋めしているのは、実にこれらの短期国債なのである。

 われわれが世界の王座に昇る時は、われわれの利益に反するかかる財政上の窮策を痕跡も残さず一掃し、併せて金融市場をすべて廃止する。われわれの権威は価格変動に左右されるべきではないから、価格上昇も下落もできないように、法令をもって価格というものを固定してしまう。(価格を吊り上げるのは落とすためであり、実にこの方法によってわれわれはゴイムとの関係の初期に彼らを弄んだのである)。

 われわれは金融市場に代えるに政府による大規模な国立信用取引所を設ける。その目的は、政府の意図する通りに産業生産物の価格を設定することにある。この組織は一日に五億の産業証券を出してやり、また同額を買い取ることができる。この方法により全事業がわれわれに従属するようになる。このことがいかなる力をわれわれに与えるか、諸氏は御自分で想像していただきたい。
【引用終わり】



 ま、要はアホな国家は、国債発行しまくりで、破綻するけど、それは俺たちユダヤ??の金融屋さんの、思惑通りなんだよーんということである。
 金さえあれば、最高だ! 世界を支配できるぜという考え方なのである。
 昔から、そういう考えはあったんだね。国債に頼りすぎてて、日本はやばくない??
 
 つーか、よくわかんねー。国際金融資本ってのは、結局どこの誰なワケ??? ユダヤ人っていうけど、そもそもユダヤ人って何?? タルムードを読んでればいいのか??
 ということで、もう少し、ユダヤ人が何か、陰謀は何かってのを調べないとな!!  

Posted by らっっっきー at 03:08Comments(0)

2007年03月09日

「ガラスノ牙」 勅使川原三郎を観た!!





 NHK教育テレビで、現代舞踊というか、コンテンポラリー・ダンスの番組が、日曜深夜にやっていた。
 暗い背景に、黒い服を着た坊主の東洋人が踊っている。正直言って、まず感じたのは、お茶の間に飛び込んできた余りにも異様な光景であった。
 それは、ダウンタウンのガキの使いやあらへんでや、民法のCMなどの世界とは、全く一線を画した、この世のものとは思えない怪しさであった。
 精神崩壊を引き起こすような、男の喚き声、叫び声、ガラスの破片の発するノイズなどが入り混じった音楽の中、坊主の東洋人と、細い黒髪のアジア系の女性が踊っている。クネクネと体を動かし、ありえない動きをしていた。
 まず、どうみても気が狂っているようにしか思えない・・・。さすが3チャンネルは、すごい絵を放送するものだと思い、あっけにとられていた。チャンネルを変えようかと思ったが、しばらくこの異世界の光景を見てみようと思った。
 そして、それがものすごいものだと気づいたのだ・・・。

 ガラスをいじって、その音を聞く女性、そしてずっと延々と踊り続ける男性、静かになり、ガラスのこすれる音が聞こえる。そして舞台は暗転し、ガラスが敷き詰められている両側から、ガラスの破片を選んで、投げるのだ。
 
 そして音楽は、クラシックの優しい音色が流れ、ソロで男性が踊る。これは、本当に、今までに見たことのない、「何か」であった。言葉にはできない、「何か」が、感覚として伝わってきたのだ。それは、今までに全く見た事の無いものであった。
 現在の世界は、すべてが言葉に溢れている。全てに目的があり、全てがありふれたものであり、あらゆるものは、何処かで見た事があり、聞いた事のあるものだ。しかし、この舞台は、「虚空」の中にいるような感覚であった。
 意味のあるベタで凡庸な情報に毎日晒されている日常では、決して感じる事の無い、無意識のギリギリの世界がそこでは展開されていた。
 それは、美しいとも、真であるとも、善であるとも、あらゆる価値観から、離れた世界であった。身体表現には、限界は無いと聞いた事があるが、正にそれはその通りであると思った。ゆっくりとした動きの中に、無限の表現がある。
 それは言葉では、全く説明できない「なにか」なのだった。
 いつしか自分は、何も考える事ができなくなり、頭の中で言葉を失い、全く新鮮で、別の異世界に引き込まれていた。
 感じたのは癒しの世界だった。

 これは、「ガラスノ牙 glass tooth」という舞台で、この人は、勅使川原三郎という方で、東京の新国立劇場で公演されていたらしい。
 うーむ、すごい・・・。知らなかった世界だ・・。  

Posted by らっっっきー at 00:09Comments(0)

2007年03月08日

「僕らはみんな生きている」 山本直樹

 

 記念すべき200回目の投稿のようなので、自分の好きなことについて書いてみよう。
 オススメの漫画を教えてくださいと言われたら、まっさきに「僕らはみんな生きている」 ( 画:山本直樹+作:一色伸幸)をあげる。
 これは、本当に素晴らしい漫画なので、どなたにも読んで欲しい。

 しかし難点としては、これがエロ漫画コーナーにある可能性がある事だ。山本直樹氏は、知る人ぞ知る大御所の漫画家先生なわけだが、主に知られているのは、エロ系の漫画である。この人の女性のセクシーな描き方は、他の追随を許さないほどである。そして理不尽さ、突き放したような前衛感、実験漫画的な世界は、なかなか玄人向きだと思われる。
 変な感傷とかを、極力排して、ホンネのサラッとした世界観がとても良い。
 
 さて、この「僕らはみんな生きている」は、エロが主体ではないストーリー漫画である。ストーリーは、建設会社に勤めるエリート29歳の男が、東南アジアの国に出張でやってきて、駐在している日本人たちや、現地人のセーナという美しい女性との人間ドラマである。内戦にも巻き込まれて、日本に帰って来れなくなってしまう。
 
 まずODAの仕組みがぶっちゃけられている。まず日本から開発援助(ODA)の金が入る。→ブローカーが現地で開発のネタをぶち上げる。→日本の政府の金が流れ、現地の政府の要人がワイロを受け取る。→そして日本の企業がその開発案件を受注して、現地の人にはあまり必要で無い建築物などを作り、日本に金を持ち帰る。

 日本人の悲哀というものが、描かれる。商社の仕事もそうなのであろうが、世界中を駆けずり回り、じゃぱにーず円や技術力を武器に、商売をする日本人たち。会社のために命をかけて、歯車として、日本株式会社を動かしているのだ。
 そして、実際には存在しない発展途上国、タルキスタンを舞台にしているのだが、典型的でステレオタイプな、「発展途上国」のイメージが描かれる。洪水があり、カエルが食べられていて、内戦が絶えず、ワイロが横行し、日本大使館には人がウジャウジャいて、トゥクトゥクに乗って、土煙の舞う街があるのだ。少し典型的過ぎるイメージではあるのだが・・。
 俺は大学時代にバックパッカーをして、東南アジアを放浪したが、確かにそのようなイメージは現実にあった。タイとカンボジアの国境など、余りの未開さに眩暈がしたほどである。そして、そのようなカルチャーショックを受ける世界に、放り込まれ、戸惑いながらも、次第に主人公は順応してゆく。

 そして主人公と、セーナとの恋愛がすごく美しくて泣ける。
 セーナは、セクシーで美しく、強くてサバサバした女性として描かれる。
 主人公も、セーナも、最初は打算づくしであった。主人公もセーナも、実際に何を考えているのか、何が目的なのか、よく分からない。互いが互いを利用しあうドライな関係を装いながら、時折見せる寂しさだとか、現地語で何を言っているのか分からない何かの言葉とか、なんとなくリアルで切ないのだ。
 そして言葉が美しい。(二人は英語で話しているので、日本語が不自然なのだ。)

 「ここは風景、人々、植物、空気、見るものがすべて日本と違います。この夕暮れに、私は何か夢の中にいるように感じます」
 「ここから見るとね、タカハシ、日本が夢の世界なんだよ。立ち並ぶ高層ビル、高速道路、戦争も飢えの心配の無い生活、そのすべてがこの世界にとって夢の世界なんだよ。」
 「・・・それではあなたと私は、お互いの夢の中の登場人物ですね。」
 「そうだね」

 もし外国の人と恋愛したことのある人だったら、こういう気持ちは分かるだろう。
 日本に帰れるチャンスがあり、熱病に冒されたセーナを置いて帰ろうとしていた主人公。しかしドラマチックな演出も一切排して、一言「戻ります」といってセーナの所に戻る主人公であった。こういうところも山本直樹ブシである。

 次の日、目覚めた主人公は、起きて料理をするセーナを見てこう思う。
 「このにおいだ・・・。このハーブとトウガラシのにおいに僕はきっと脳をやられてしまったのだ。」

 まああまり、内容を書くと、ネタバレしてしまうのでこのへんにしておこう。
 本当に共感できる作品である。アジアの空気、そして日本人としての技術者魂とか、ODAの偽善とか、カルチャーショックとか、サラリーマンの気持ちとか、第三世界の戦争のイメージ、そしてそれらを穿った見方をする主人公たち、そしてロマンチックさと、セクシーさが、作品全体を包んでいる、正に大人のための傑作漫画と言えよう。  

Posted by らっっっきー at 15:00Comments(0)

2007年03月07日

ホロコースト論争のページ 回転大ショック!!



 世の中にはタブーというものが、いくつもある。
 教えてgooというページには、いくつかのタブーの質問をしている人たちがいて、おおなるほどと思わされるときがある。

 まあ、てきとーにやっていこうと思うので、タブー論争に立ち入りたくはないんですけども・・・。まあおもしろそーなので、タブーだろーが、なんだろーが、てきとーにコピペしてみよー。


【引用開始】

■ホロコーストはあったと思いますか??
質問者:*********** 質問です。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/text_menu.htm
このページを読んでから、回答して欲しいのですが、ホロコーストは実際にはあったと思いますか??

(「ガス室」論争をめぐる重要な論点についてのQ&Aだけ読んで下さっても結構です。)

先日たまたまこの歴史的修正主義研究会というページを見ました。今まで私は、ホロコーストはあったと思っていましたが、このページを読んでいくと、ホロコーストは無かったのではないか、今まで信じていた事は間違いでは無かったのかと、ものすごいショックを受けました。
確かに冷戦時代は、アメリカ・ソ連共に、プロパガンダの争いという面があり、事実が捻じ曲げられていた部分が数多くあったと思います。そしてイラク戦争でも、あると言われていた大量破壊兵器は存在しませんでした。大きな嘘というのは、世の中に存在するのかもしれません。
ぜひ皆様のご意見をお聞かせ下さい。


★回答者
以前マルコポーロで取り上げて、廃刊になりましたよね。

それでこういった意見は他にもいっぱいありますよ。よくある南京大虐殺ですとか、アポロは宇宙に言ってないですとか、ひどいものになると広島、長崎に原爆は落ちていない、生き物はみな神様が作った等です。
そういった主張をするページはどれも、いかにも本当のことらしく書いてあり、価値観が揺らぐかもしれません。(念のため言っておきますが、全部が全部間違っていると断言できるだけの根拠もありません。本当のことかもしれませんのであしからず)


まあホロコーストについては、証言者が山のようにいることと、加害者側からの証言もあること、物証もありますので、完全に否定するのは難しいと思います。
正直そのページを見ても、またか、という印象ですし。
過去に何度も、それこそ第2次世界大戦が終了してまもなく、同じことを言う人は出てきていますので。


■この回答へのお礼
回答有難う御座いました。確かに自分もそのようなトンデモ説と似た類の話だと、ずっと思ってました。
質問ですが、例のページをちゃんと読まれましたか??
・証言者については、矛盾や嘘が多く含まれており、信用に値しない事。
・加害者については、拷問による自白によるものであり、これも矛盾や嘘が多い事。
・そして物証なのですが、それがどうやら存在しないらしいのです。チクロンBは空気よりも軽いのに、チクロンBの排気装置は下方に排気する装置である矛盾。チクロンBは害虫駆除の為、広範に使用されており、「ガス室」の壁からは、ごく微量しか検出されなかった事。単なる殺虫剤を殺人ガスと言い張ってるみたいです。


★回答2
NO.1です。補足します。ページはざっとですが、目を通しましたよ。その上で答えていますが

証言者とは、多くの場合拘留されていたユダヤ人であり、外部情報の遮断されていた彼らが、矛盾した発言をするのも間違いではない。また、補償問題を考えると、多少は自分たちに都合のいいようにいうこともあるでしょう。もちろん全部が全部そうだとは限りませんが。

加害者の場合、例えば目の前で人を殺したところを現行犯で逮捕して、拷問自白を強要しました。この犯人は言います。俺は自白を強制されたから無実だ。あなたもそう思いますでしょうか。自白に至る過程と、事実は別に関係が深いというわけではありません。

実際、毒殺じゃなくて、施設の環境が悪くて、人がどんどん死んでいってる場合も、ナチスの責任になると思いますが。また、ガスに関しては検証ページは他にもあります。ここで紹介してもいいですが、ソレが正しいのかどうか、保障する手がありません。ですので、自力で探して、判断してください。

最後に、この場面でこれ以上論争になるような展開は望んでいませんので。
あなたの言ったページ以外のさまざまなページで、双方の立場から検証が山のようにされています。究極的には当事者ですらわからないと思いますが、そういったページを比較検討してみて、より深い洞察ができますように。

■この回答へのお礼
私もここで論争する事が目的ではありません。

ただ私は「ホロコースト捏造説」があまりにも説得力がある為に、自分以外の人は、その説に対して、どのように感じ、考えて、自分なりの結論を出すのかを知りたいと思います。

ご回答下さって、有難う御座いました。

■回答への補足
 あまり回答してくれる人がいませんね。。。
とりあえず今のところ自分なりの結論をまとめると、

「ユダヤ人迫害はあったが、ガス室での大量殺戮はなかった」

という事になりますね。まさか一週間前まで、自分がそんな風に思うなんて、全く想像だにできませんでした。自分でもビックリです。
念のため言っておけば、私はネオナチでも共産主義者でもありません。戦争も軍隊も嫌いでありヒトラーを肯定する事もありません。ユダヤ人差別やその結果としての強制収容所などは、ユダヤ人にとって悲惨なものであり、人道的に許しがたいものであった事に異論はない。「人種差別」なんて最低だと思います。
確かに収容所で、ユダヤ人はたくさん亡くなりましたし、その責任はナチスにあります。しかし「ガス室の数百万の虐殺」は無かったと思います。

ナタリー・ポートマンも、ウィノナ・ライダーはユダヤ系らしいけど、大ファンだし、シンドラーのリストも映画も本も読んだし、「アンネの日記」も読んだし、「夜と霧」も読みました。「ショアー」の映画も本も読んだし、はっきり言って今まで、ホロコーストについて、疑う事なんて全くありませんでした。

でもユダヤ人が迫害されたという悲惨な出来事があった事に対する理解と、その死者数やその方法を議論する事は、両立し得ないものでは、ありません。
例をあげます。日本で起きた最近の悲劇として阪神淡路大震災があります。その犠牲者を悼む事と、何人の方がどのように亡くなったのか調べる事は別問題です。阪神大震災で何人がどのように死んだか?と聞く事が、犯罪でしょうか?? 私は犯罪とは、思いません。そうであるにも関わらず、ホロコーストの研究でオーストリアなどで逮捕されるというトンデモない事も起きています。

また「究極的には当事者ですらわからない」とおっしゃられるのも、おかしな話です。確かに100%分かるということはないけれど、化学的・物理的な分析、一次資料を元にした分析などによってある程度の所まで、確実に分かります。全く事実が分からないなどというのは、科学や歴史学というのを、バカにしすぎです。

私の調べた資料から辿り着いた、個人的な結論は、「ユダヤ人迫害はあったが、ガス室での大量殺戮はなかった」という事です。
皆さんもそうだと思いますが、私はもともと大量に証拠があると思っていました。
しかしホロコーストの証拠は全くと言って良いほど、無いのです。信じられますか??
この点に、私は一番驚きました。それは証拠を隠滅したからだと言うが、隠滅したのも推論に過ぎず証拠はありません。
またアウシュビッツと同様に証言によってガス室が存在するとされたドイツ内の収容所は、公式に「実は存在しなかった」と認めています。
つまり過去にガス室があるとされていた、いくつかの収容所は、嘘だったのです。
ならばアウシュビッツも、また同様に嘘だったとしても、あまり不思議ではないですよね。

嘘つきの言う事を、もう一度信じなければならない理由はありますか???

また無かった説には確たる証拠があります。ガス室の壁に付着していたはずのチクロンBの残量物がごく微量しか存在しなかったという事です。

こうなると逆にどうしてそんなものを肯定できるのか。バカバカしくなってきました。ガス室があったと言う事も、ほんの少数の人の証言から、なりたっているのです。もはやUFOがいると言うのと同じです。証拠はなく、捏造が一部完全にバレていて、嘘くさい証言だけはたくさんあります。
私は科学を信じる立場からガス室の大量殺戮は無かったという結論に達しました。もちろんだからと言って、ヒトラーやナチスは、全く正しかったとまでは、ぜんぜん思いませんけどね。

ならばなぜ今まであると信じていたのでしょうか??それは世の中の大多数の人と同じで、新聞やテレビなどの主流メディアでは、ガス室もホロコーストもあったとされていて、異論すら聞いた事もなかったからです。詳しい話へのアクセス手段はありませんでした。今まで疑う事すら無かったのですからね。
でも皇室や創価学会や在日や暴力団などメディアにはタブーがたくさんありますから、そんなに不思議な事ではないかなと思いますけどね。
それでも歴史について、少し知識がついたと言うのは今回の大きな収穫でした。別に自分がそうやって、知識を得たところで、大して何も変わらないという気もしますが。。。

ところでイスラエルが、レバノンを空爆してる最中ですね。おそらく世界のマスメディアは、これからも「ホロコースト神話」を、大量に宣伝し続けるのでしょうか。そうすれば、間違いなく多くの人はそれを信じるだろうと思います。自分がそうだったように。
でもそれで、イスラエルに対する同情は、それほど集まるものなのでしょうか?? そんなにメリットがあるのでしょうか??

ユダヤ・ロビーがアメリカの政治に与える影響力は大きいし、イスラエルとアメリカの中東戦略は不安定なので、今後どうなるかは日本にも大きな影響を与えそうです。その中で「ホロコーストが神話である」という事を知っていると、ニュースの見方も少し変わってくるような気がします。


【引用終わり】
 

 というわけだ。
 質問と回答というのは、よいものですねー。そして世の中、わからんもんですねー。常識と思っていたことが覆されるときの興奮ってのは、なかなか楽しいものだと思う。  

Posted by らっっっきー at 13:56Comments(3)

2007年03月06日

腰痛風邪花粉症下痢




 ぶろぐ再開。
 言い訳からはじめる必要はないのであるが、ブログを更新していない。なぜか一日1000人も訪れていて、ビビっていたのもあるのだが、別にCIAに拉致監禁されたわけでも、警察に別件逮捕されたわけでもなく、単に腰痛と、風邪と、下痢などに、一挙に襲われた為に、ブログ更新などする余裕が無かったのである。
 腰痛はやばい。無理な姿勢で、ずっと座るのは良くない。
 
 実は去年の正月に韓国旅行に行くはずであった。チケットも取り、パスポートも準備して、荷物もリュックに詰め込んで、いよいよ出発するだけであった。しかし、朝起きて、立ち上がれないのであった。
 ナナナナナント、信じられないほどの腰痛に襲われ、立つことも出来なくて、プルプルと、生まれたての小鹿のように、立とうとしても、立てない状態になってしまっていた。
 やむを得ず旅行は中止。キャンセル料も全く返ってこないのであった。
 もし飛行機落ちれば、乗らなくて良かったとなるはずなので、腰痛になったのは、ラッキーだと自分を慰めた。そして、そうであるならば仮に飛行機が落ちなかったとしても、それはそれで沢山の命が助かるのだから、良いではないか。だとしたら、別に落ちなくても良いではないか。じゃあどっちでもいいや。と、どうでも良いことを考えながら、正月のテレビ番組をひたすらに見続けていたのであった。
 
 今回の腰痛も、前触れもなしに突然やってきた。そして、ついでに風邪も引いてしまった。そして花粉症にもなっていた。
 くしゃみで、ハ、ハ、ハ、ヘーーーックションとするたびに、ズキーーーっと腰に痛みがくるのであった。なので、上を向いてくしゃみをすると、幾分その衝撃が和らぐのであった。
 そして、腰痛というのは、筋肉と軟骨と骨などの異常なわけだから、タンパク質を摂取すると、組織再生の効率が高まるぞ。と推測した俺は、牛乳を朝に一気飲みすることにしたのであった。
 すると、案の定、ゲーリーになってしまい、三重苦に見舞われることになったのであった。
 
 しかし、今回の腰痛は、前回を10とすると3ぐらいの腰痛であり、牛乳が効を奏したのか、一日で回復した。そして、胃腸も回復し、軽い風邪をなんとか治そうとしているのであった。
   

Posted by らっっっきー at 00:41Comments(0)

2007年03月05日

野沢温泉スキー





 スキーの為に、野沢温泉に行ってきた。とっても良い温泉であった。
 ここ三年ぐらいは、毎年スノボをやってたのだが、久しぶりに気楽にスキーでもやってみようと思ったのだった。
 知り合いと連れ立って、野沢温泉のスキー場までやってきた。
 雪は、ドロドロであり、地面が見えていたり、閉鎖している場所もあったのだが、上の方までいくと、けっこうマシな雪であった。
 スキーは、小学生の時からやっているので、ほとんど心配することなく、滑れる。しかしスノボとなるとそうはいかない。逆エッジにのってしまい、後頭部を強打したことが何度もある。よくもまあ、いまだに生きているものだ。
 スキーウェアを忘れてしまったので、コートで滑ることにした。しかも会社に行くときのズボンである。それでも晴れているし、転ぶことも無いので、問題ないのであった。
 地元のスキーヤーのようである。ちょっとブラッと滑りに来ました的なノリである。
 ゴーグルをして、チェコのプラハで買った毛糸の帽子を被り、さらに日焼け止めのマスクを被ると、怪しさ満点の表情なしの人間になるのであった。
 変なコスプレーヤーがいた。ナナナナナニモノ・・・???
 まあ、コスプレーヤーなんて、変だというのは分かっているが(偏見)、ミニスカートやパンダなどの格好なのだ。しかもおっさんなのだ。おっさんがミニスカートにカツラを被って、集団でスキーをしているのである。
 案の定、皆注目していた。中には、女の子もいた。ミニスカートでスキーをしている人がいるぐらいなので、普段会社に行く格好で滑っている俺など、あまりにも自然であった。
 よく晴れていて、景色が美しかった。遠くには、新潟の方まで見える気がした。

 さて、温泉である。野沢温泉は、無料で入れる温泉が街の中に10箇所以上あるのだ。もちろん男湯と女湯が分かれていて、小さな小屋のような建物に、温泉がある。
 扉を開けると目の前が温泉である。あまりにも目の前過ぎると、女湯は通行人に覗かれたりしないのだろうかと思った。
 お湯は真っ白だったり、湯の花がプカプカ浮いていたりしている。
 とても気持ちよかった!!! 温泉はサイコーだ!!!
   

Posted by らっっっきー at 00:39Comments(0)

2007年03月04日

BAND OF BROTHERS




 バンド・オブ・ブラザーズというテレビドラマシリーズを見た。
 スティーブン・スピルバーグが監督である。テレビドラマとは思えないほどのリアルさ、臨場感、映像の美しさは特筆に価する。
 ところで俺は米軍が大嫌いである。この世で一番嫌いなものと言っても良いくらいだ。そんな俺が、この映画を見るというのは、どういうことなのだろうか。
 それは、単に観たい映画を観るというだけであった。
 そうは言っても、アメリカやらユダヤ人やらに、シンパシーを感じることは、ほとんど無いのであった。
 どちらかというと、ドイツ人の方が好きである。
 しかし、日本人から白人を見ると、別にどっちも同じ顔をしているので、別にどっちがどうということも無いのであった。全く白人同士が殺し合いをしているなあという感じである。

 それにしてもすごい。本当にすごい。アメリカ兵は大嫌いだけど・・・・。次も観たい。面白い。という、ジレンマに陥るのであった。
 例えば落下傘で、沢山の飛行機からばら撒かれる映像や、対空放射を浴びせるシーンなど、モモモモモモモノスゴい迫力であり、現実はすごいなあと思うのであった。
 また、夜に川を挟んで撃ちあいをするシーンは、あまりにも早い弾丸が、光となって、四方八方に発射されるのであり、大混乱で、メチャクチャで、ものすごい。

 兵士同士のドラマには、あまり別に感情移入することは無かった。これだけ殺しあっているんだから、死ぬ時は死ぬだろーという感じで、別にどうということは無い。
 結局は、アメ万歳、兵士最高という事になるのは、分かりきっているので、本当にウザいわけだが、俺はそういう風には、感じないぞと思いながら観るのであった。もっとアメ公死なねーかなと思いながら観ているのだが、結局アメリカ人が作った映画であり、役者も死んだふりをしているだけであり、結局は観ている自分はスピルバーグの手のひらの上なのであった。
 
 唯一、感情移入できたのは、メーデーーーー!!!!!と呼ばれたらやってくるメディックのドクの話であった。
 彼は、顔が四角くてハンサムなのであるが、声が低くて特徴的でかっこいい。雪の中で、膠着状態であり、どんどん仲間で死んでゆき、モルヒネが足りなくなったりする。教会を救護所にしていて、そこで美しいフランス人の看護婦に出会う。兵士の命を救おうとするが、助からず、血まみれの手で二人で見詰め合う。「キミの手は、皆を癒す神様の贈り物だ」「こんな苦しい贈り物なんていらないわ」のような会話をしていた。
 そして、町は爆撃を受けて、教会も何もかも爆発して燃えてしまう。
 戦闘員ではないメディックが主人公だったので、けっこう感情移入して見ることができた。
 面白いのは、ここで主人公であったドクが、他の回では、脇役として出てくる事だ。

 それにしても本当によくやるわというのが正直な感想である。よくもまあわざわざ寒い中、夜中に敵と戦うなんて事ができる。俺だったらめんどくさいし、寒いし、危ないし、ケガしたくないし、絶対やりたくない。
 わざわざ殺しあって、人に迷惑をかけて、何千万人と人が殺されたのである。白人が本気出したら怖いのである。
   

Posted by らっっっきー at 00:30Comments(0)

2007年03月03日

NHK地学は面白い!!!



 きっこの日記でオススメしていた、NHK教育の「高校講座 地学」を観た。
 わざわざビデオに撮ってみたのである。
 観て良かった・・・・。
 非常に大爆笑したし、ホエーーーーっと納得した。
 司会の女の子と、講師の人の掛け合いが、ほのぼのしてて、本当に心が和んでくる。

 先生がとてもホメ上手で、カァァンペキです。と言ってくる。
 そして、アイスランドは、海嶺が唯一地上にあるところらしく、先生が「いつか行ってみたい場所なんです。」というと、「わぁ連れて行ってくださいよ」と女の子が言う。「そうですね。ぜひ一緒に行きましょう。」
 と、言ってる。なんだか、本気で言ってるような気もするんだが、なんなんだか。

 地学ってのは、高校の時に取らなくて、後で少し勉強しただけなのだが、面白い。リソノスフェアとか、マントルとか、海嶺、海溝、プレートとか、懐かしいキーワードがたくさん聞けた。
 一億年とかが、平気で出てくる学問分野である。一億年って・・・。一生が100年だとすると、それを100万回繰り返さないとならない。
 凄い世界だなーー。

 それにしてもこの講座は面白い。きっこに感謝である!!!  

Posted by らっっっきー at 00:26Comments(0)

2007年03月02日

食糧自給率を上げたいけど・・・



 日本人が知らない恐るべき真実というサイトは、すごく目からウロコな情報も載っているが、うーんと思ってしまう事も載っている。
 日本が抱える問題として、財政危機という問題もある。
 そして、イランとアメリカとの戦争が、周りの国を巻き込んで、エスカレートするのではないだろうかという予測もある。自分の考えでは、そこまで、危機ではないのではなかろうかと思う。アメリカの権力者も、アメリカを操っているイスラエルの権力者も、最終的で、究極的な目標は、自国・自分の経済的発展・維持・拡大である。つまりエゴイストなわけだ。
 だとすると、そこまで自滅的な戦争を始めるとも考えづらい。アメリカは脅威を、自作自演でいつも作り出しているが、その脅威は、コントロール可能な脅威でしかないのだ。コントロール不可能な脅威を作り出すインセンティブはないであろう。(希望的観測)

 さて、今日は、食糧自給の問題について、サクッと書こうかなと思う。
 日本の食料自給率は、低い。しかし、カロリーベースである。金額ベースでいうと、80%ぐらいはある。つまり、安い穀物、大豆、肉類などを輸入に頼ってるんですね。危機が起きたときに、何は無くとも、食べ物さえあれば人は生きていけるものだ。しかし、その命綱をアメリカに頼ってるのではどうしようも無いという意見が、かなり聞こえるのだ。
 しかしだ。食糧自給というのは、本当に大変なのであって、それだけのことをする覚悟や、経済的な代償を払う必要もあるのだ。
 食糧自給を上げるということに、反対する人も多い。 
 第二次世界大戦中、日本は高い食料自給率を誇っており、台湾、韓国、満州などを合わせて、領土内で、ほぼ自給できていた。しかし、戦争となり、結果として食糧不足となった。
 それを考えれば、平和である事が大事であって、それによって、食料も確保されるという意見がある。食料が足りない時は、他の経済の要素もダメになっている。海上封鎖されて、食料が入ってこない時は、石油も入って来ないのだから、機械化に頼っている日本は、どちらにせよダメになる。
 という意見もある。
 また、飼料を国内生産するにしても、国土が狭く、農作に適す土地が少ない日本では、コストが高くなってしまう。そして耕作地を増やす事は、環境破壊にも繋がる。金もかかり、非効率的で、環境にも悪い。それなのに、自給を目指しますかという事なのだ。
 そして価格競争にも勝てないのだ。どれだけ効率化しても、アメリカなどの広い土地で作られた安い農作物には勝てないのだ。ということは、経済的なインセンティブも低い。
 
 万が一のことを考えれば、確かにできるだけ自給はするべきであるし、ファッキンなグローバル主義者たちに従いたくはないのだが、食料自給をめぐる状況はなかなか難しい今日このごろなのだ。  

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2007年03月01日

君が代のピアノ伴奏判決




【引用開始】
「君が代」のピアノ伴奏を拒否した教師、敗訴確定
2007年02月21日01時33分 東京都日野市の市立小学校の入学式で「君が代」ピアノ伴奏を拒否した音楽家の女性教師が懲戒処分を受け、東京と教育委員会に処分の取り消しを求め訴訟を起こしたが教師側の敗訴確定となった。

女性教諭は「思想・良心の自由」を侵害していると訴えたが、最高裁は口頭弁論を開かないまま判決期日を規定したため最高裁は教師側の訴えを棄却した1、2審判決が確定。
学校行事の国旗掲揚や国歌斉唱を拒否し処分を受けた職員らが起こす訴訟は各地であるが、一連の訴訟で最高裁が判断を示すのは今回が初である。
27日に判決が言い渡されるが、教諭側敗訴となる最高裁の判決は大きな波紋を呼びそうである。
【引用終わり】

 この問題は、判決の趣旨としては、

【引用開始】
「君が代」が過去の我が国において果たした役割に係わる上告人自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上の信念等ということができる。しかしながら,学校の儀式的行事において「君が代」のピアノ伴奏をすべきでないとして本件入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,上告人にとっては,上記の歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろうが,一般的には,これと不可分に結び付くものということはでき(ない) (略)
【引用終わり】

 としており、「一般」というものを仮定しているが、これはどうなのだろうか。うーーーーむ。「一般」という言葉で括るのはどうかと思う。
 例えば、去年9/21の東京地裁では、

【引用開始】
「日の丸・君が代は明治時代以降、第2次世界大戦終了まで、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきたことがあるのは否定し難い歴史的事実」であると認定して、国民の間にもさまざまな意見があり、国旗・国歌に反対することも「思想・良心の自由を定めた憲法上保護されるべき権利」
【引用終わり】

 としている。自分としては、やはりなし崩し的に、国歌・日の丸を強制するのは、どうもやりすぎであるし、違和感を感じる。
 そもそも君が代・日の丸問題というのは、宗教論争に近いものがあると思う。例えば、キリスト教でイエスは神の子なのかどうか、そして毎日神に対して祈るかどうかなどと、それをやるべきか、やらないべきか、やりたくない人にはやらせないのか、などというのは、人によって、信じるものによって、全く異なってくるので、結論など出るわけがない。どうやって、決着したってわだかまりが残るに決まっている。
 
 自分はどう思うかと言えば、別に日の丸にも、君が代にも、別にアレルギーなど持っていない。べつにーーー。って感じである。別に、日本が今まで国旗にしてたんだから、戦争はもちろん良くないのが大前提だけど、国旗自体を否定しても、あまり意味なんじゃないのって感じである。君が代だって、別に天皇に特段親近感もなければ、大して愛着もないけれど、別にまあ現状でも良いんじゃないのって思ってしまう。

 ただ、これは宗教論争みたいなものだとしたら、それを否定したり、拒否したりする人がいるのも、それはそれとして、理解できる。確かに天皇の軍隊として、第二次世界大戦では、めちゃくちゃやったのだし、日の丸も君が代も嫌いな人がいたって、それは全然おかしくない。
 問題は、それを強制することがどうなのかである。
 この訴えを起こした教師にとっては、君が代を弾くという事が、絶対に越えられない一線だったのかもしれない。だとしたら、それを強制して、それをしなかったら、処分をするというのは、絶対に超えられない一線を、無理やり超えさせようとして、信念を曲げさせようとしたのであって、問題があると言わざるを得ない。
 そもそもの問題は、教育現場とは何か?? ということである。教育現場は、特定のイデオロギーを押し付ける場所か?? 天皇崇拝を押し付ける場所か?? 信念を曲げさせて、裁判沙汰にするような場所だろうか?? いや違う。教育現場は、子供たちの教育を受ける利益を実現させる場所なのだ。
 入学式・卒業式だとか、やたらと式を重視するが、それは教育現場の付属物に過ぎない。
 そのような付属的な場所において、君が代伴奏という「踏み絵」によって、教師を処分することで、果たして子供たちの教育という究極の目的に、どの程度寄与することができたのだろうか。
 つまりその得られた利益はいったいなんなのかということである。

 また補足意見をつけた藤田宙靖裁判官の意見は、説得力がある。

【引用開始】
「『君が代』が果たしてきた役割に対する否定的評価という歴史観ないし世界観それ自体」もさることながら,それに加えて更に,「『君が代』の斉唱をめぐり,学校の入学式のような公的儀式の場で,公的機関が,参加者にその意思に反してでも一律に行動すべく強制することに対する否定的評価(従って,また,このような行動に自分は参加してはならないという信念ないし信条)」といった側面が含まれている可能性があるのであり,また,後者の側面こそが,本件では重要なのではないかと考える。そして,これが肯定されるとすれば,このような信念ないし信条がそれ自体として憲法による保護を受けるものとはいえないのか,すなわち,そのような信念・信条に反する行為(本件におけるピアノ伴奏は,まさにそのような行為であることになる。)を強制することが憲法違反とならないかどうかは,仮に多数意見の上記の考えを前提とするとしても,改めて検討する必要があるものといわなければならない。
【引用終わり】

 
 裁判というものは、当事者の出した証拠・事実のみを材料として、結論を出すのである。
 しかし、ここからは、自分の勝手な邪推と、妄想によって語ろうと思う。
 そもそも、このような愛国心の強制であるとか、君が代・日の丸の教育現場への強制というのは、誰が主導しているのかを考えた方が良い。それは、森元総理とか、安倍とか小泉とか、教育改革国民会議とか、そのへんの怪しい人脈であり、戦前回帰を目指しているような、統一教会がらみの怪しい人々らしい。。。(詳しくはカマヤンさんのサイトでも参照してください。)
 日本が右傾化していると騒がれているが、元凶はこの辺の怪しい人たちなのである。
 で、アメリカの世界戦略が変わって、チェイニーが日本に来たりして、日本のアメリカ基地を強化しようとして、日本軍をアメリカ軍の下部組織に位置づけようとしているらしい。
 そのような中で、右傾化といっても、中途半端なものであり、結局は対米従属の姿勢の延長にあるものである。つまり、対米従属の日の丸・君が代重視の右傾化の軍国主義である。
 そして更に格差社会は進み、若者は軍隊に入り、アメリカの為に戦争に行くようになるかもしれない。
 結局のところ、アメリカの為に日本の若者が戦争に行くような体制を作る為の制度作りの一環なのかもしれない。そう考えるとアホなネットウヨが、バカ騒ぎしているように、単純に考えるわけにはいかないと思う今日このごろなのだ。



   

Posted by らっっっきー at 01:09Comments(0)