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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2007年03月01日

君が代のピアノ伴奏判決




【引用開始】
「君が代」のピアノ伴奏を拒否した教師、敗訴確定
2007年02月21日01時33分 東京都日野市の市立小学校の入学式で「君が代」ピアノ伴奏を拒否した音楽家の女性教師が懲戒処分を受け、東京と教育委員会に処分の取り消しを求め訴訟を起こしたが教師側の敗訴確定となった。

女性教諭は「思想・良心の自由」を侵害していると訴えたが、最高裁は口頭弁論を開かないまま判決期日を規定したため最高裁は教師側の訴えを棄却した1、2審判決が確定。
学校行事の国旗掲揚や国歌斉唱を拒否し処分を受けた職員らが起こす訴訟は各地であるが、一連の訴訟で最高裁が判断を示すのは今回が初である。
27日に判決が言い渡されるが、教諭側敗訴となる最高裁の判決は大きな波紋を呼びそうである。
【引用終わり】

 この問題は、判決の趣旨としては、

【引用開始】
「君が代」が過去の我が国において果たした役割に係わる上告人自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上の信念等ということができる。しかしながら,学校の儀式的行事において「君が代」のピアノ伴奏をすべきでないとして本件入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,上告人にとっては,上記の歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろうが,一般的には,これと不可分に結び付くものということはでき(ない) (略)
【引用終わり】

 としており、「一般」というものを仮定しているが、これはどうなのだろうか。うーーーーむ。「一般」という言葉で括るのはどうかと思う。
 例えば、去年9/21の東京地裁では、

【引用開始】
「日の丸・君が代は明治時代以降、第2次世界大戦終了まで、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきたことがあるのは否定し難い歴史的事実」であると認定して、国民の間にもさまざまな意見があり、国旗・国歌に反対することも「思想・良心の自由を定めた憲法上保護されるべき権利」
【引用終わり】

 としている。自分としては、やはりなし崩し的に、国歌・日の丸を強制するのは、どうもやりすぎであるし、違和感を感じる。
 そもそも君が代・日の丸問題というのは、宗教論争に近いものがあると思う。例えば、キリスト教でイエスは神の子なのかどうか、そして毎日神に対して祈るかどうかなどと、それをやるべきか、やらないべきか、やりたくない人にはやらせないのか、などというのは、人によって、信じるものによって、全く異なってくるので、結論など出るわけがない。どうやって、決着したってわだかまりが残るに決まっている。
 
 自分はどう思うかと言えば、別に日の丸にも、君が代にも、別にアレルギーなど持っていない。べつにーーー。って感じである。別に、日本が今まで国旗にしてたんだから、戦争はもちろん良くないのが大前提だけど、国旗自体を否定しても、あまり意味なんじゃないのって感じである。君が代だって、別に天皇に特段親近感もなければ、大して愛着もないけれど、別にまあ現状でも良いんじゃないのって思ってしまう。

 ただ、これは宗教論争みたいなものだとしたら、それを否定したり、拒否したりする人がいるのも、それはそれとして、理解できる。確かに天皇の軍隊として、第二次世界大戦では、めちゃくちゃやったのだし、日の丸も君が代も嫌いな人がいたって、それは全然おかしくない。
 問題は、それを強制することがどうなのかである。
 この訴えを起こした教師にとっては、君が代を弾くという事が、絶対に越えられない一線だったのかもしれない。だとしたら、それを強制して、それをしなかったら、処分をするというのは、絶対に超えられない一線を、無理やり超えさせようとして、信念を曲げさせようとしたのであって、問題があると言わざるを得ない。
 そもそもの問題は、教育現場とは何か?? ということである。教育現場は、特定のイデオロギーを押し付ける場所か?? 天皇崇拝を押し付ける場所か?? 信念を曲げさせて、裁判沙汰にするような場所だろうか?? いや違う。教育現場は、子供たちの教育を受ける利益を実現させる場所なのだ。
 入学式・卒業式だとか、やたらと式を重視するが、それは教育現場の付属物に過ぎない。
 そのような付属的な場所において、君が代伴奏という「踏み絵」によって、教師を処分することで、果たして子供たちの教育という究極の目的に、どの程度寄与することができたのだろうか。
 つまりその得られた利益はいったいなんなのかということである。

 また補足意見をつけた藤田宙靖裁判官の意見は、説得力がある。

【引用開始】
「『君が代』が果たしてきた役割に対する否定的評価という歴史観ないし世界観それ自体」もさることながら,それに加えて更に,「『君が代』の斉唱をめぐり,学校の入学式のような公的儀式の場で,公的機関が,参加者にその意思に反してでも一律に行動すべく強制することに対する否定的評価(従って,また,このような行動に自分は参加してはならないという信念ないし信条)」といった側面が含まれている可能性があるのであり,また,後者の側面こそが,本件では重要なのではないかと考える。そして,これが肯定されるとすれば,このような信念ないし信条がそれ自体として憲法による保護を受けるものとはいえないのか,すなわち,そのような信念・信条に反する行為(本件におけるピアノ伴奏は,まさにそのような行為であることになる。)を強制することが憲法違反とならないかどうかは,仮に多数意見の上記の考えを前提とするとしても,改めて検討する必要があるものといわなければならない。
【引用終わり】

 
 裁判というものは、当事者の出した証拠・事実のみを材料として、結論を出すのである。
 しかし、ここからは、自分の勝手な邪推と、妄想によって語ろうと思う。
 そもそも、このような愛国心の強制であるとか、君が代・日の丸の教育現場への強制というのは、誰が主導しているのかを考えた方が良い。それは、森元総理とか、安倍とか小泉とか、教育改革国民会議とか、そのへんの怪しい人脈であり、戦前回帰を目指しているような、統一教会がらみの怪しい人々らしい。。。(詳しくはカマヤンさんのサイトでも参照してください。)
 日本が右傾化していると騒がれているが、元凶はこの辺の怪しい人たちなのである。
 で、アメリカの世界戦略が変わって、チェイニーが日本に来たりして、日本のアメリカ基地を強化しようとして、日本軍をアメリカ軍の下部組織に位置づけようとしているらしい。
 そのような中で、右傾化といっても、中途半端なものであり、結局は対米従属の姿勢の延長にあるものである。つまり、対米従属の日の丸・君が代重視の右傾化の軍国主義である。
 そして更に格差社会は進み、若者は軍隊に入り、アメリカの為に戦争に行くようになるかもしれない。
 結局のところ、アメリカの為に日本の若者が戦争に行くような体制を作る為の制度作りの一環なのかもしれない。そう考えるとアホなネットウヨが、バカ騒ぎしているように、単純に考えるわけにはいかないと思う今日このごろなのだ。



   

Posted by らっっっきー at 01:09Comments(0)