さぽろぐ

  新聞・ニュース  |  札幌市北区

新規登録ログインヘルプ


スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  
Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2006年12月31日

吉祥寺の帽子の店 SHAZBOT



 12/30に吉祥寺にフラッと行った。商店街は年末の賑わいで、ごった返していた。

 吉祥寺は街の雰囲気が良い。なぜ良いのか良く分からないが、そこにある店が雰囲気が良く、そして若くてオシャレな女の子が多く集まり、更に良い店が集まり、更にイベントなどが行われ、更に雰囲気が良くなっていくという、正のスパイラルが働いているからであろう。

 ってなわけで、ABCマートでadidasの靴を買った後に、SHAZBOTという帽子の専門店に行った。
 オシャレで可愛い帽子ばかりであった。吉祥寺に似つかわしいような店であった。

 俺は昔から野球帽が似合わないのであった。なので、最近の全体に鍔のついた帽子などは好きで良く被ったりしていたのであった。帽子はオシャレといえばオシャレになるのだが、室内で被ると、かゆくなってくるし、うっとうしくなってくるし、血行が悪くなったりする。なので、ふんわりした帽子が欲しかった。

 で、いろいろと試してみたところ、緑色の毛糸のでかい帽子が気に入ったので、買いましたと。。。
 店員が可愛かったので、かぶり方を聞いてみた。「それはまあ、お好みで・・・。はい。」みたいな回答が返ってきたら、「がっかりだよぉぉぉ!!!」となるところであったが、この店員は偉かった。というより、マトモであった。
 「耳を隠して、すっぽり被って、毛糸の縫い目を後ろにして、さらに模様が真正面ではなく、やや斜めになるようにして、さらに余った部分を後ろによせて、被ると、かっこいいです。」
 との事であった。実際はこんな喋り方ではないが。
 鏡で見たら、なかなかイケている!!!
 するとその女店員が、笑顔で、親指を立てて、「グーですよ」と言った。
 「フフフ。なかなかホメ上手で、良い店員ではないか。
 俺のブログで宣伝してやろう。いや、逆効果にならなければ良いが・・・。」
 と内心、思っていたのであった。
 以上。

 SHAZBOT
http://www.sgm.co.jp/shopping/fashion/shazbot1.html?page_id=1999
   

Posted by らっっっきー at 03:07Comments(0)ヒマ人

2006年12月30日

「STILL FREE」アメリカの自由



お久しぶりです。
どうやら携帯からもエントリーできるという事がわかった。
携帯を噂のSoftBankに機種変してから、使い慣れてなくて自分からメールする事も少なくなった。
慣れる為に携帯からエントリーしてみようと思う今日このごろ、皆様ご機嫌麗しゅうございますか?

世界のCMの大会で賞を取ったらしいアメリカのCMを見た。
(確かカンヌか何か)
アメリカ大統領のエアフォースワンに落書きをするというコンセプトで、「STILL FREE」とスプレーで書くのだ。
ヒップホップ会の売れっこで年商100億を稼ぐらしい男が制作者である。
これを紹介していたフジテレビか何かは、「なんじゃこらー」というナレーションであったが、このCMの深い意味を考えるとうならされるものがあった。
アメリカはテロとの戦争を勝手に始めて以来、ひどい不自由な国になっている。
基本的人権など糞みたいなものになり、先制と隷従がとってかわった。
そんな不自由な国、テロと殺人がメインの産業となった国において、「STILL FREE」、つまりまだかろうじて自由だと書くのは、一種の抵抗であり主張であり希望の表明なのだろう。


さっきフセインがアメリカのリンチ(私刑)によって殺されたが、もはや法治国家の根本さえ無視してリンチを行うようなテロ国家に自由を取り戻すのは厳しい道のりになるだろうなと思う今日このごろなのだ。  

Posted by らっっっきー at 14:16Comments(0)

2006年12月29日

インドのデリーへ行く人へ




こんにちは。デリーの事については、インドのガイドブックにも詳しく載ってると思いますが、初心者にとっても厳しいし、ある程度旅なれた人も油断できないと思います。
命に関わるような事は、まず無いし、全財産を失うと言うこともあまり無いけど、とにかくサギ師が多いです。そして沢山の日本人が被害にあっています。大げさと思うかもしれませんが、本当です。
デリーには貧しい人が多く、日本人から騙し取った金で生計を立てている人がかなりいて、1つの文化みたいなものです。
ほとんどのサギは、気をつけていれば防げますが、どんな手を使っても金を取ろうとしてくるので、絶対に騙されない方法はありません。運の問題です。インドで出会った日本人のほぼ100%は何らかの被害にあっていました。(自分も含め)

まず地球の歩き方などのガイドブックに載っている店やホテルであっても、普通に騙そうとしてきますので、「ガイドブックに載っているから大丈夫」という考えは捨てた方が良いです。極端な話、「信用できるものは何も無い」というぐらいの心構えで良いと思います。
また一人旅だと、ホテルの人とか、タクシーのおっさんとか、誰かに頼りたくなるのは分かりますが、基本的に向こうから話し掛けてきた人は誰も信用しない方が良いでしょう。特にサギ師ほど英語や日本語が上手です。
逆に言えば、自分から話し掛けた相手は信用できる人である場合が多いです。デリーの全員が悪人というわけではなく、だいたいは良い人なので。(このへんの見分け方が難しいところです…)

まず空港から市内に行くにも、悪徳なボッタクリタクシーが待ち構えています。これに捕まったら、悪徳旅行会社に連れて行かれたりします。日本人の仲間を見つけて一緒に行動するか、正式なバスに乗るべきでしょう。
市内を走るタクシーも油断してるとすぐにボッタクリ店に連れていこうとします。自分で地図を見て、変なことをしないよう監視しないとダメです。
良心的なタクシーを拾うには、観光客の少ない場所まで歩いて、流しで走っているタクシーを捕まえるのが良いと思いますが、油断は禁物です。

旅行会社もガイドブックに載っていますが、インド政府観光局が運営している本物の旅行会社ITDC(India Tourism Development Corporation)のすぐ近くに、ニセの全く同じ名前の旅行会社があります。旅行者が見分けるのは、まず不可能でしょう。
自分は地球の歩き方に載っているホテルに泊まって、ホテルの人に聞いて、連れて行ってもらった旅行会社でボッタクリにあいました。
後で記憶を頼りにその会社を見つけて、警察署まで行って、警官を一人連れて一緒に乗り込んで、怒鳴りまくってなんとか金を一部返してもらいました。
でもあまり一人で何とかしようとか、暴力沙汰とかにはしない事をオススメします。インド人のネットワークはすごいらしいので、街から出られなくなったり、行方不明になったりします。
とりあえず相場を知っておいた方が良いです。インドを列車で一周しても、日本円で数千円ぐらいなので、数万円と言ってきたらサギだと思った方が良いです。
なのであまり旅行会社に頼らず(特にデリーは)、鉄道の切符は必ず自分で取った方が良いです。
とは言っても自分で取るのも大変で、「オフィスは閉まっている」とか嘘を言ってきたり、別の場所へ連れて行こうとしたり、道を通せんぼするような奴らがデリー駅にはウロウロしているので、なんとか頑張って下さい。

あと食中毒にも注意して下さい。自分は一ヶ月のインド旅行だったけど、食中毒で二回、計一週間入院してました。
これも防ぎようが無いと思います。火を通した料理でも、生水を飲まなくてもなる時はなります。旅行者は保険がかかってる場合が多いので、入院代を取ろうとして、病院と誰かがグルになっている可能性もあります。これも防ぎようが無いです。

また交通事故にも注意した方が良いでしょう。旅行中、車に乗って交通事故にあったり、トラブルになったり、正面衝突を目撃したりしました。

その他にも宝石詐欺だとか、絨毯詐欺だとか、クレジット・カード詐欺、ウンコ靴磨き詐欺、睡眠薬強盗、スリ、置き引き、爆破テロとか、いろいろとありますので、気をつけて下さい。
クレジットカードを使うのはNGですし、とにかく人の言うことに乗せられない方が良いです。
正直言って、デリーにいたときは、毎日マジギレして血圧が上がってたので、疲れました。早めにデリーを離れて別の街まで鉄道かバスで行った方が良いと思います。

はっきり言ってムチャクチャな国です。リアルなバイオハザードって感じです。
それでも食中毒を考えなければ屋台などの食べ物は美味しいし、サギ師を除けばインド人は親切で楽しい人が多く、一応観光地も多く、珍しいものが沢山見れて、面白い国だと思いますよ。それに良い勉強にもなります。
それでは良い旅を。。。  

Posted by らっっっきー at 13:33Comments(0)

2006年12月28日

道のタイル



 ちょっとした事。

 いつもテーマが重いのではないだろうかと思った。なので、とにかくどうでも良いことを書いてみるのはいかがであろうか。

 道を歩いているとき、下を見て歩く人は多いと思う。それは下には障害物とか、犬の糞とか、いろいろあるので、気をつけてあるいていれば、転ぶ事も、不快な事もさけられるからである。
 みんなよくやることだと思うのだが、タイルをみると、ついつい何歩で、ここまで歩くとか、白線を見ると、その上に乗って歩いたりだとか、いくつか決まった動きをしているのだ。いつもいつもやっているので、もはや意識化することも、考える事もなく、いわんや人に言う事もない。

 どのような法則があるのだろうか。
(1)歩いていて色の違うタイルなどがあると、目標として、踏むように計算して歩いてしまう。うまいこと右足がその目標の上に到達すればオーケーなのである。
(2)周期的なタイルであると、三歩ずつとか、四歩ずつとか歩数を、周期的なタイルに合わせて歩こうとしてしまう。
(3)横断歩道が近いことを示すひし形の白い道路標識があると、かならずそのギリギリを歩いて、そのひし形という障害物に避けられて進路を変えたような気分になってしまう。

 ざっとこんなもんであるが、こんな俺は頭がおかしいのであろうか。

 そういえば「恋愛小説家」という、ジャック・ニコルソン主演の映画では、主人公、そしてペットの犬が、道の境目を絶対に踏まないようにするという場面があった。映画の中では、神経質な主人公を象徴的にあらわすものとして描かれていた。ヒロインのヘレン・ハントと仲良くなり、偏屈さを捨てていくにつれて、その境目を踏むことも平気になっていったらしい。

 考えてみると、人と歩いてるときには、そんなことを気にしないので、やっぱり一人で歩いているときは、一人の世界にいつのまにかはいっているんだなあと再発見した今日この頃なのだ。  

Posted by らっっっきー at 23:27Comments(0)

2006年12月27日

ジャンベを叩こう



 インドで、太鼓を買った。ジャンベというヤツである。
 昔、これで渋谷などで、エンエンと叩いている集団がいた。俺はドラムをやっているので、こんなのを叩くのは、余裕なのであった。
 インドの海岸で、これをもって、たたいていると、ありとあらゆるひとが酔ってくるのであった。
 楽しいのであった。

 震えるほどハート、溢れるほどビート。ウリィィィィィィィィィィィィ!!!  

Posted by らっっっきー at 23:28Comments(0)

2006年12月26日

韓国に行った12



 クリスマスが近いのであった。ミレナリオのような、光で飾っている場所に着いた。
 人々に賑わっていた。巻貝のようなオブジェがあった。なかなか美しい風景だった。
 人工っぽい川が流れていた。ここは今のソウル市長が作ったらしい。
 昔は清溪川という川だったのだが、朝鮮戦争後に暗渠となり、その上にブラックマーケットやスラム街がある治安の悪い場所であった。しかし2003年から2005年にかけて、「清溪川復元プロジェクト」が始まり、ディベロッパーの会社の社長であったソウル市長の主導により、川が完成したということである。
 川に沿って、ずっと光の列が続いていた。この川を作ることで、ソウルのイメージアップや環境改善をはかろうとしているらしい。
 キムくんによると、この市長は現代(ヒュンダイ)建設の元社長の李明博(イ・ミョンバク)であるらしい。彼のアダナは「ブルドーザー」であり、大規模開発を得意としている。また、次期韓国大統領候補であるらしい。
 まるで日本の田中角栄のような男である。日本もそうやって、バラマキ型の財政支出で、国中を開発し、コンクリートで固められた港や川などができて、更に巨額の公共事業によって、日本に財政赤字を累積させる事にも繋がったわけだ。
 キムくんによると、この「清溪川復元プロジェクト」によって、ソウル市民は喜び、経済も活性化したと言う。
 「ふーん。でもそれだけ巨大な工事をやって、借金が膨らんだってことは無いの??」
 と、聞いてみたが、別に問題ないんじゃないと言われた。
 WIKIPEDEIAによると、【引用開始】
 清渓川(チョンゲチョン)は、韓国ソウル中心部を流れる川。
 1950年代から1960年代の韓国の経済成長・都市開発に伴って、水質汚濁にまで発展した。清渓川が暗渠となり清渓高架道路が建築された。その後、2000年代に入り市民の署名などによって、2003年7月から2005年9月にかけて復元工事が行われ、高架道路の撤去、河川の清掃など行った結果、今は、市民の憩いの場となっている。【引用終わり】
 
 
 ということなので、まあ良かったんだろーね。



 この川を進んでいくと、歴史的な写真が飾られていた。その白黒写真には衝撃を受けた。韓国は昔は物凄い貧乏国家だったのだ。GDPでいうと、世界160位ぐらいの貧乏さだったのだ。
 川で洗濯をするボロをまとった女とか、まさにスラムそのものであった。








 キムくんは、
 「私の親の世代が、ものすごく一生懸命働いたから、今の豊かな暮らしがある。だから感謝しなさいって事を、しょっちゅう親から言われます。」
 と言っていた。実際韓国人は、かなりの働き者らしい。それにしても写真を見ると、まったく荒廃した国だったのに、よくもまあここまで成長したものだと思う。日本の援助も結構あったんだろーな。日本人も韓国人も見た目はそっくりなので、遺伝子的にマジメに働くっていう性格があるのかもしれないと思った。ソウルしか見ていないが、韓国は、先進国そのものに見えた。一人あたりGDPでいうと、韓国はまだ日本の半分程度であるが、順調に成長している。
 


 さて、ネオンがすさまじい場所を歩いた。ノレバンだらけである。ノレバンから出た若者が、次はクラブに行こうなどと言っていた。(キムくんの通訳によると。)
 すごい喧騒であった。
 なんつーか、国に勢いがあるよーな気がした。
 
 しかし・・。歩いているとどんどん物理的な距離が近づいてゆき、ガンガンと肩がぶつかるのであった。小学生の時にも似たような人はいたなー。例えば日本であれば、かなりの距離をあけて、歩くような気がする。まあそういう人なんだろー。
 さて、もう疲れてきたので休もうということになり、鍾路にあった喫茶店で休んだ。もう12時近かった。

 柚子茶をおごってもらった。壁には一面に落書きがしてある。薄暗くて、なぜか本当の線路が店の中にある。
 ところでBoAの話になったが、
 韓国人は、人との付き合いを非常に大事にするらしい。だからBoAはとてもPoor(かわいそう)とキムさんは言っていた。プロデューサーのマペットであり、友達も学校などで作れなかったから。と言ってた。韓国に来てみて、BoAの存在感はそれほど感じられなかった。昔ならあったかもしれないが。テレビでも一回CMで見たぐらいであった。
 そしてヨン様こと、ヨンちゃんペは、日本人向けの土産ショップでしか、見かけなかった。
 キムさんは、「本当に、ペ・ヨンジュンは日本で人気あるのですか?」
 と、聞いてきた。「確かに大人気だよ。まるでキングだね。前ほどではないけど。」
 「冬のソナタでも、おばさんにすごく優しい役だったから、人気あるんではないですかね。」と言ってた。
 また韓国の女の子の話題になったが、韓国の子は、ドラマが好きで、ドラマチックな恋愛に憧れているらしい。だから、とても女の子に優しくなければならないと言ってた。また徴兵制があるため、たくましくマッチョでなければダメとも言ってた。
 「つまり、すごく優しくて、同時に強くて守ってくれるような男でないとダメです。だから韓国の男は大変です。」と。
 うーーーむ。街にはそんなには、可愛い子が見当たらなかったのだが、女の子は贅沢言い放題だな・・・。
 なんかキーホルダーのような土産をくれた。韓国の古い太鼓のようなものであった。
 いやーすみませんねー。ありがとうございます。
 そして、キムさんは、交換留学で日本の福岡でホームステイをしていたことがあって、そこで日本人にとても親切にしてもらったらしい。だから、一人で韓国に来た俺に対してこれだけ親切にしてくれたらしい。
 キムさんは、その時、日本人の友達とすごく仲良くなり、メールでやり取りなどもしていたらしい。
 しかし、不幸な事に、やり取りしていた友達は、大学入学直後にバイク事故で亡くなってしまったらしい。
 
 彼は非常に親切で優しいヤツであった。徴兵されるようなキャラではない。
 友人が死んでとても辛かったことであろう。俺も友達、チングになっておこう。多分俺が死ぬ事はあまり無いだろう。
 さて、柚子茶は甘くて暖かくとても美味しかった。店の人によると、外は雪が降っているらしい。韓国の携帯のCMで雪が降り始めて、「ヌンヌンヌンヌンヌンヌン」と男の学生が叫びだすというのがある。(チャン・グンソクがBoAと共演しているTingのCMのこと)
 
 

 それを思い出して、ヌンヌンヌンヌンヌン??と聞いてみたら、そうだと言う。




 外に出たら、本当に雪が降りまくっていた。今年初めて見た雪だった。一月ごろには、雪が積もるらしい。
 そして写真を撮ったりして、メールのやり取りなどすることを約束して別れ、俺はホテルに戻ったのだった。





 次の日、モーニングコールを頼んで目覚め、バスに乗って、インチョンまで行った。雪が降り積もっていた。



 ナナナナナナナナナナナナナナナナント、空港に、チェ・ホンマンがいた。

 見た瞬間に、「あ、チェ・ホンマンだ。」と分かった。なぜかというと、でかいヤツがいて、そこが韓国だったから。

 マネージャーのような小さい男と共にいて、青いダウンジャケットを着て帽子を被っていた。やはり金髪であった。

 そのへんにいたスッチーに、チェ・ホンマンさんですか?と聞いたら笑顔で「そうです」と答えた。周りの客も皆、携帯で写真を撮りまくっていた。

 しばらく見失っていたが、パスポート審査で並ぼうとすると、前にいたのは、ホンマンくんであった。俺も180cmあるのだが、40cmぐらい俺よりもデカい。体重的には三倍ぐらいである。さっきから写真を撮りまくっていた失礼なヤツだったからか、振り向きざまに、真上から、ギロリと、俺の方をチラ見してきた。

 おおすげえと思い、ファンでもないのだが、ファンですよーと会釈してみたが無視された。

 横には、学生風の韓国人の男たちが、携帯で写真を撮りまくっていたので、俺も列をそっちに移動して、写真を撮りまくってみた。

 しかし、あれだけデカい韓国人なんて全然見かけなかった。突然変異なのだろうか。しかしボブ・サップに勝ったとはすごいじゃないかい。

 どうやら俺と一緒に日本に向かったようだな。大晦日にボビーと対戦するらしい。ふーん。


 雪で出発が大幅に遅れた。


 飛行機の窓からは、日本列島がクリアに見えた。

 やはり韓国と一言言っただけでバカなねらーの発言が頭に浮かぶが、そう単純なものではなくて、韓国はずっとマトモな国だ。ねらーのガキがバカ言ってるのなんて、聞き流せば良い。

 楽しい旅であったし、考えさせられるものがあった。
 まず何よりも感謝感謝である。キムくんをはじめ、いろいろな人にお世話になった旅であった。そして韓国人だから、日本人だからなどという、見方はくだらないものだとも思った。本当に本当に韓国には、親切な人がいた。
 やっぱりそうじゃないか。やっぱり良い人がいるじゃないかと思った。俺は人から聞いた話、どこかに書いてあった話などより、自分が直接体験したこと、自分が直接感じて思った事だけを信じる事にしたい。
 行って良かったし、また行きたいと思う。
 行けば行くほどに、いろいろな面が見えてくるだろう。それでもこんな近くにこんなに面白い国があったと言う事に驚きである。
 そして、いつか北朝鮮側から板門店に行ってみたい。北と南が融和するなんて、口で言うほどたやすい事ではない事は、すごく良く分かったけど、いつの日か、近い将来に、南北の壁がなくなって、平和な板門店が訪れることを祈りたいと思う。
 きっと普通の人たちが、普通に大喜びするんだろう。  

Posted by らっっっきー at 23:57Comments(0)

2006年12月25日

韓国に行った11




 もう既に八時を過ぎていた為、入れるか微妙だった。本当は八時に閉まるのだが、なぜか九時までやっていて、八時過ぎたからナント無料で良いらしい。これが韓国文化だと言ってた。これがヨーロッパや日本なら、時間通り閉まるのだろうが、韓国だと適当でケンチャナヨで良いらしい。でも交通事故とかになってもケンチャナヨでは、良くないねと言ってた。
 さて、キムくんは、勉強が好きなのだろう。俺の大学にもこういう人はいた。考えてみると英語や日本語をちゃんと話せる時点で相当勉強家なんだろう。よって博物館でも、様々な遺跡を見て、これは何々遺跡だとか、韓国の歴史を解説してくれた。
 韓国の歴史と来て、やはりネットを良く見てる人なら、ピーーーンとくると思う。ちゃんとした歴史なのだろうか。不安がよぎる。
 しかし、自分は韓国の歴史を、ぜんぜん知らないのだが、新羅、百済、高句麗、高麗、李氏朝鮮など、様々な勢力が、王朝を築いて、統一したり分裂したりというのは、確か世界史の授業でならったような気がするし、そんなにおかしい事はなかった。
 韓国にも、縄文土器とか弥生土器みたいな時代があったんだなー。
 キムくんは、土器の名前とかが歴史のテストに出たので、覚えるのが大変だったと言っていた。日本と一緒だな。
 そして日本も大陸文化の影響を受けていて、韓国から文化が来てたんだなー。白状すると日本の方が文化的に上で、韓国はあまり歴史も文化も無くて、中国の属国みたいなものだったのかなと思っていた無知な自分がいるが、まあ石器、土器、鉄器の時代においては、ほとんど二つの国は違いは無かったんだなと思う。そしてその後もちゃんと独自の歴史があったのだろう。
 一点だけおかしかったのは、「日本の奈良は韓国人が作った」という事を知っているかと、普通に言ってきた事であった。韓国語のナラは国という意味だから、奈良はナラという名前なんだよと言っていた。
 これには、ちょっと笑ってしまった・・・。さて、ってなわけで調べてみた。【引用開始】(2chより)
 古代朝鮮語はほとんどわかっていません。
 
 したがって、日本の古い言葉が古代朝鮮語起源といわれても実証できません。(2chより別のカキコ)
 ナラ→奈良起源説ですね。この説、韓国系の人達にはかなりポピュラーな説のようですが、言語学的根拠に乏しい、民間語源説の域を出ないものだと思います。朝鮮語のnaraが日本の奈良の地名になったということを証明するためには、
 まず朝鮮語のnaraがそのままの語形で当時存在したことを確認しなくてはなりませんが、朝鮮語の場合、大抵この段階でつまずきます。なぜなら、朝鮮語には古い言語資料が極少数しか存在しないからです。ハングル制定後はともかく、それ以前のものとなると、
 ○三国時代の言語資料
 
 (1)『三国史記』(1145年)…固有名詞・吏読
 
 (2)『三国遺事』(1285年頃)…固有名詞・吏読・郷歌14首
 
 (3)『均如伝』(1075年)…郷歌11首
 ○中期語(前期中世語)の言語資料
 
 (4)『鶏林類事』(12世紀初)…当時の語句350程度を漢字で記載
 
 (5)『郷薬急求方』(13世紀中葉)…薬材名を漢字で表記
 以上の5文献があるほかは、金石文などの吏読資料と、中国の史書や『日本書紀』
 などの外国資料ぐらいしか存在しないと聞いています。要するに、特に古代語に関しては、一部の名詞(大部分は固有名詞)と助詞・助動詞くらいしか歴史的に辿ることができないのです。naraという朝鮮語が上記の資料に存在するかどうかは寡聞にして私は知りませんが、仮に存在したとしても中期語どまりでしょうし、語形の方も現在の形とは違っている可能性があります。
 
 このように、朝鮮語の歴史的研究はまだまだ濃霧の中をさまよっているような状態にあると言ってよく、とても日本語の語源になど口出しできるようなレベルではありません。(2ch更に別のカキコ)朝鮮語の「ナラ(国)」については、訓民正音(今日のハングル)創製時に、nara
 ではなくnarahと表記されていたという問題もある。日本の室町時代にあたる15世紀にもなって末尾のH音が残っているということは、さらに古くはK音であり、古く朝鮮語の「ナラ」を取り入れたならば、「ナラカ」というような形になるはずだという指摘もある。
 ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/timei.htm
 (2chより)遅くとも7世紀には[nara]という語が半島に存在したとを証明しなくてはなりませんが、前述のように、高句麗語は[nua]、新羅語は[nu][nuri]であって[nara]には程遠いのです。しかも、現代朝鮮語の[nara]にしても中世には[narah]と余計な語末の子音[-h]が付いていたのですから、奈良と発音がまったく同じとは言えないのです。
 http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/timei.htmより
 この問題について確かなことは二つしかない。一つは、日本に「ナラ」という古都があること、もう一つは、現代朝鮮語で「国」のことを「ナラ」ということである。そして、二つの事実を確かに結びつける論拠は、実は何一つないと言ってよい。(略)
 地名の語源を確かめることが一般の語彙の場合よりはるかに難しい(略)。
 (略)どの範囲をさしてつけられたのかということから調べなければならないのが地名である。さらに、本来の対象を確定できたとして、それにどのような意味で地名をつけたのかが次の関門となる。
 一般の語彙から失われた語が地名に残ることも十分に考えられるので、日本語の一般語彙で解釈が難しいからといって安易に他言語で解釈するのは厳に慎まなければならない。【引用終わり】
 
 ま、思った通り、その説は難しそうだ。。。。でも結構たくさんの人が信じているらしい。でもまあ分からないものは分からないね。物理や化学ではないのだから。
 

 さて、閉館間際の博物館で、キムくんの講義は続いた。高句麗が朝鮮を統一したならば、韓国の領土は満州あたりまで広がっていたのに残念だとか。高麗は派手な文化で、金ピカな装飾品が多かったとか。日本の石舞台古墳のように、韓国にも各地に石で出来た古墳があるらしい。ふーーん。韓国にも色々歴史があるんだねー。
 奈良はナラだから、韓国人が作ったなんてのは、いわゆる「俗説」であって、こういうマジメな博物館には、どこにも書いていない。マジメな韓国人も、マジメな韓国の考古学者もいるのだから、偏見を早く捨てなさい、俺!!
 一階の一部を駆け足で見るだけだったが、けっこう見ごたえがあった。王冠が一番派手ですごかった。できれば仏像まで見てみたかったな。
 さて、この建物は、デザイン賞を受賞したらしい。本当にカッコイイデザインであった。もう外は暗かった。ソウルタワーが遠くに見えた。ああ、今ソウルにいるんだなー。
 すごく寒いので、ファミマに寄って、コーヒーをおごってもらった。カムサハムニダ。
 警察がいたが、赤信号でも車が来ないので普通に人が渡っていた。この辺も韓国人的なケンチャナヨ精神なんだよと言ってた。徴兵制がすごく大変で、みんな苦労しているらしいが、試験に受かれば軍隊の代わりに、警察や消防の仕事でも良いらしい。でも韓国はデモが多くて、大変らしい。ついこの間も反米デモがあって、警察と民衆が殴り合ってたんだよと笑顔で教えてくれた。
 「そういえば日本に対するデモとかもやるんじゃないの?
 日本の国旗を燃やしたりとか。」と、こちらも笑いながら冗談ぽく聞いてみたが、うまく誤魔化されてしまった。
 「韓国人の間でも、アメリカに対する感情は複雑です。若い人は、アメリカが嫌いで、出て行けと言うけど、歳をとった人は、アメリカが必要だと言います。」
 「本当にそれは日本も同じだね。」
 「それに米兵の犯罪が多発してるんです。」
 「日本もそうだよ。アメリカは世界中に派兵してて、世界中で嫌われてるよ。でも嫌いなんだけど、頼らざるを得ない現実がいろんなところにあって、ジレンマなんだよね。」
 という会話がなされた。それに北朝鮮という敵がいるから、なおさら韓国は米軍に頼らざるを得ない。それはきっと複雑な感情なんだろう。

 クリスマスが近いのであった。  

Posted by らっっっきー at 01:20Comments(1)

2006年12月24日

韓国に行った10



 その後、寺を訪れたり、博物館のトイレを借りたりして、クリスマス的な照明が派手なソウルの夜景を写真を撮りつつ、ホテルまで歩き、キムさんとの待ち合わせ場所まで向かった。
 笑顔でキムさんは待っていた。
 そして俺は韓国語でチング(友)というものを知るのであった。
 それは噂に聞いていた通りで、熱いものであり、また同時にウザイと言ったら失礼であり、彼には本当に感謝したいと思っているので、ウザイとは言わないが、日本人同士の付き合い方とは違っていて、戸惑うほどに濃いものであったと言っておこう。
 言っておくが、俺は濃い友情的なものとは、けっこう今は無縁である。というよりどちらかと言うと苦手な方である。というよりむしろ俺は失礼なヤツである。むしろ人間関係をあまり重視せず、適当に人と付き合っている感じがある。
 さて・・・。
 どうもどうも久しぶりですねー。と言って、とりあえず昨日食えなかった焼肉屋に行く事にした。

 ビールを飲み、「コンペ」とかいって、プルコギを食べた。まあまあ美味かった。オンドルであり、床暖房。
 キムさんは、昨日教授とか大勢で酔っ払って、話を聞いていたらしい。徴兵制は、アニマルライフのようで、辛かったらしい。昨日俺が来たことを店のおばちゃんが覚えていたらしい。キムチなどたくさんのおかずが、サービスでついてきた。日本と韓国は、ものすごく良く働くと言っていた。それにしてもプルコギがうまかった。酔っ払っていたので、何を話したかイマイチ覚えていない。
 基本的に英語で話していた。キムくんが外語大の人でよかった。
 普段は感じないが、英語が普通に喋れるというのは、すばらしいことだな。俺は英語を喋るのに、全く不自由しない。
 それにしても、駅で話し掛けられた観光客にここまで親切にしてくれるとは、驚きであり、感謝である。
 そして、よくよく考えてみると、この夕食をおごってくれるようであり、けっこう高めの焼肉屋だったので、悪かった。なので、会計では、日本人のあなたはゲストだからと、言われたが、やはり学生から奢られるわけにはいかないと思い、自分で払う事にした。つまり俺がキムさんに御馳走したカタチになったわけだ。この後は、普通におごってもらうことにしよう。
 さて、ビールを飲み、牛肉をたらふく食って満足した。
 店のおばちゃんも人懐こい人であった。俺が美味しかったと、マシッタと言ったらマシッソヨでしょと言われた。どうやらマシッタというのは、「うめー」、マシッソヨは「美味しかったです」ぐらいのニュアンスらしい。笑顔で、俺が「コマオヨ」とお礼を言うと、ちょっと驚いていた。
 そして博物館に行こうと言われた。おお、特に行くところも無いから行こう行こう。
 この博物館は、最近出来たらしく、ガイドブックには載っていないらしい。切符をくれた。彼は定期券を持っているらしい。



 地下鉄の通路に、子供の描いた健康な食事を食べましょうキャンペーンのポスターがあった。俺は多少ハングルが分かるので、キムさんが解説をしてくれた。「チャングムさんも付き合った食中毒」と書いてあって、チャングムの手が包丁を持っている部分を絵にしている。この絵を書いた子も、まさか日本人が日本語で、この絵の解説をブログで書いているとは、思うまい。
 キムさんによると、ソウルは、昔は正方形の形をした城塞都市であったらしい。だから東大門とか、南大門などの地名が残っているのだ。
 そしてソウルの中心を流れる川の南岸には比較的新しい街が広がっているらしい。博物館は、その南岸にあるのだった。

 で、着いた。ここは2005年にオープンしたばかりである。毎週水・土が21時までやっているらしい。普段は6時とか7時で閉まってしまう。http://www.museum.go.kr/jap/inf/inf_info.jsp
 これがオフィシャルホームページなので、行く人はご参考に。なんかとにかくスゴイらしい。


【引用開始】http://www.japandesign.ne.jp/EXPRESS/051102/052.phpソウルに国立中央博物館が開館10/28、日本の植民地支配からの解放60周年を記念して、ソウルに建設された韓国の新しい国立中央博物館の開館式が行われた。展示面積だけで約2万6,800平米という広大な博物館で、約15万点の所蔵品のうち約1万1,000点を展示。靖国神社から韓国側に引き渡された「北関大捷碑」も一般展示された。(共同通信)【引用終わり】  

Posted by らっっっきー at 00:01Comments(0)

2006年12月23日

北朝鮮から帰った9



 さて、ソウルまで帰った。
 バスでは情報インフラやその規制について教授と話した。ガイドさんは、「今日はとても良い思い出になりました。普段は何十人と日本人観光客がいますが、今日は四人だったので、全員の顔を覚えられました。また韓国に来ることがあったら、連絡してください。10%安くツアーを組んであげます。」
 と言った。
 そして昨今の北朝鮮情勢について、以下のように延べた。「北朝鮮が核実験を行って、私は本当に心配になりました。私は子供がいるので、とても心配です。韓国の人は日本と違って、ずっと心の底では、戦争の不安を感じています。ぜひ皆さんも南北の国家が平和になることを祈ってください。
 本日はツアーに参加して下さってありがとうございました。」
 感想としては、停戦から53年間緊張状態が続いているという年月の重みを十分に感じられた。テレビで知っていた事でも、リアルに分断された国家の現実を見ることには価値があったと思う。ホントに不条理なことである。もっと勉強せねば。
 そして、軍事というもののリアルさというものを、まざまざと見せ付けられる事になった。
 日本でのんきに暮らしていると、軍事というものを身近に感じることはほとんどない。しかし、ここでは軍事、つまり、殺し合い、にらみ合いこそが、紛れも無い現実で、その場を支配しているのだ。
 そこにはイデオロギーの対立であるとか、小難しい議論など、どーでもよく、敵がいて、自分たちが殺されない為に、敵を殺したり、あるいは銃口をつき合わせて、戦いが始まらないようにしているという現実があるのだ。軍事的な緊張の場面では、とにかく生き残る事が、結果そのものであって、今存在している事そのものなのだ。そして生き残る為には、相手に殺されない事、即ち強い軍事力が無ければならないのだ。
 確かに、知恵がある人間ならば、互いに平和を模索して、共に生き残り、平和的に、共存し、共に繁栄するべきであろう。戦争なんてのは、もっともバカげた選択だ。
 しかし、その現場においては、現に相手が銃を持ってこちらに向けている以上、銃を構えざるを得ないのだ。
 それにしてもいつまでやってんだか。バカバカしいって互いに分かってるのに、まだ続けざるを得ないみたいだね。  

Posted by らっっっきー at 01:06Comments(0)

2006年12月22日

北朝鮮に行った8


 さて、バスはまた別の建物の前に来た。ここでは、この軍事境界線の歴史などを、スライドなどでレクチャーしてくれるのであった。
 そして噂に聞いていた誓約書にサインさせられた。ここであんたが死んでも韓国政府とかは責任負いませんよという事である。そして許可証のようなものを貰い、左胸に付けさせられた。
 日本人四人は後ろの席に座らされ、アメリカ人たちは前にゾロゾロと座った。アメリカ人の父、韓国人の母、そしてハーフの二人の息子もいた。二人の息子は、西洋人的で東洋人的で、一人はロンゲ、一人はチョンマゲをしていて、見かけ的には、ワルっぽかった。部屋は真っ暗になり、スクリーンの画像を見せながら、説明が始まったが、ガイドの人の通訳の声が、どんどん眠気を誘う。寝た。
 後で聞いた話では、ポプラ事件などの解説があったらしい。要は最初は韓国と、北朝鮮が共同で管理していた地域なのだが、ドンパチがあり、互いに死傷者が出た事件などがあってから、韓国と北朝鮮の管理地域は、南北にしっかりと分ける事になったらしい。
 そして会議場は、南北の境界線にあり、机の真ん中が、南北の国境の上となっているのだ。
 会議場は、北からの観光客も南からの観光客も来るらしく、その時間は別々であり、被ることはない。
 さて、目が覚めて、ついに、会議場に向かう。
 向かう途中、兵士の宿舎があったが、いまどきカマボコ型の、小さく古い兵舎なのであった。
 そして駐車場があったが、なんとそこに5歳ぐらいの小さい女の子が座っていた。兵士の家族も一緒に住んでいるのだろうか。そしてバレーコートなどもあり、若い韓国の兵士が、バレーボールをしていた。
 新しく、立派な白い四階建てぐらいの建物の前に来た。ここを通り、ドア抜けると、そこには、写真で見た北朝鮮と韓国との国境があった。壮大に目の前に開けている。



 そしてテレビでよく見る北朝鮮の人民軍の兵士が、身じろぎもせず立っていた。ついに来た。これが噂の北朝鮮か・・・。





 また監視塔が、横にあり、そこから双眼鏡で兵士がこちらを見ていた。すぐに窓が閉まり、見えなくなってしまったが。



 ヘルメットにタモリグラサンに、ダブダブコートの国連軍兵士が、10人くらいいた。体を半分建物に隠して、北を向いて立っていた。
 ガイドさんは、「絶対に指をさしたりしないでくださいね。写真も撮らないで下さい。」と繰り返していた。特に俺は、そういう事をしそうに見えたのか、俺に向かって何度も繰り返していた。
 さて、会議場に入った。青い建物である。中は、15畳くらいの部屋であった。そして真ん中に10人くらいが座れそうな長方形の机があった。そしてその真ん中には、外から繋がっている国境線があり、ガイドさんは、スタスタとそれを超えて歩いていた。



 俺も歩いてゆき、「せーの、はい北朝鮮領土。」ってな感じで、ついに北朝鮮入国ができた。
 ここでは、写真を撮ることが許されていて、国連軍兵士と一緒に仲良く写真を撮ることができた。しかし、北朝鮮側に向かうドアの前には、国連軍兵士がいて、その後ろまで行くと、「北朝鮮への亡命者」となってしまう為、絶対に行かないでくださいね。と言ったが、台湾出身のじーさんが、余裕でその後ろに笑顔で歩いて行ってしまった為、日本人たちは、必死で手招きして、ダメダメと叫んだのだった。
 さて、会議場を出て、展望台のようなところに上った。北朝鮮の兵士は一人しか見えない。それにしても、カーキ色で、金正日をひたすら崇拝する変わった人たちが、目の前にいるというのはスゴイ事である。



 再びバスに乗って、ポプラの木事件の現場にきた。国境に置いてあった看板がサビて古くなったものが、残っていた。



 近くに山が見えるが、北の山は、脱北者を発見しやすいように、全部ハゲ山である。



 そして「帰らざる橋」も近くにあった。帰らざる橋とは、1953年の停戦後捕虜送還が行われた際、捕虜たちがこの橋上で南北いずれかの方向を選択すると二度と帰って来られないことから、「帰らざる橋」と呼ばれるようになり、南北分断の象徴となってきた。
 次に施設内の土産物屋に立ち寄った。こんなところに土産物屋があるとは・・・。店員も明るく商品を進めてくる。国連軍のグラサン、コートセット、そして子供用のセットまで売っていた。北朝鮮産の茶や、ごま風味チョコレートを買った。  

Posted by らっっっきー at 23:28Comments(0)

2006年12月21日

北朝鮮に行った7




 昼はバイキングである。かなり美味い料理であった。一緒に座っていた日本のおじさんと話すと、北海道大学の教授であった。しかし、名前を忘れてしまった。フジなんとか先生である。韓国やタイなど、世界中の企業などと、共同で、情報インフラの整備などの仕事を行っているらしい。すごい。しかしネットで検索したところ、ぜんぜん見つからないのであった。。。。。。連絡を取ってみたいが。。。
 台湾かどこかから来た明るいじーさんの写真を撮ってあげた。全くのド田舎のようだったが、この三階建てぐらいのレストランには、カラオケもあり、近くにはホテルもちらほらあるのだった。ここは保養地にでもなるのだろうか。
 韓国人、台湾人、アメリカ人、そしてヨーロッパからも何人か参加していたようである。
 またバスに乗った。この周辺は、開発が進んでいるらしい。韓国と北朝鮮は、最近友好的になってきており、経済協力も進んでいるらしい。鉄道を通す計画も立っており、互いに鉄道の整備も終わっている。そして北には、工業地帯もできているらしい。そして将来的にソウルの北に、南北を統一した時に、首都ができるであろう事を期待して、ここの土地を買いまくっている人がいるらしい。田んぼだらけの風景が、大都市になるのだろうか。それはいつのことだろうな。俺も昔生きてたら、東京の土地を買いまくってただろうけど。しかし、気の長い話である。
 しかし、こうした歩み寄りや、経済協力も、北の核実験によって、台無しになってしまったらしい。





 さて、朝鮮戦争時代に、爆破された汽車を今復元している最中らしく、そこに寄ることになった。
 復元作業が行われている。圧巻であった。すごいの一言。
 鉄サビだらけなのだが、確かに爆破された跡が残っていて、鉄が飛び散ったような形になっている。すさまじい。そして50年以上もそのまま放置されていたのだ。正に戦争の遺物。民間人が乗っていた汽車らしい。そのサビと爆破された鉄と、その大きさ、迫力はすさまじいものであった。歴史を感じさせられた。



 さて、自由の橋に着いた。この周りには、なんと遊園地があって、キャーーっという叫び声が聞こえる・・。
 自由の橋とは、ソウル郊外を流れる臨津江(イムジンガン)に架かる橋である。1953年、朝鮮戦争の休戦後、12,773人の共産軍捕虜が「自由万歳」を叫びながらこの橋を渡って自由の身となった。南北をつなぐ唯一の橋である。



 なぜか兵士の人形があった。ビミョウに可愛い。







 フェンスがあり、そこには、韓国の国旗や、寄せ書きや手紙などがかけられていた。そしてすぐ横には鉄条網があった。考えてみれば本当に分断されてるんだよなー。例えば俺が北海道旅行に行っている間に、日本が分断されて、その後50年間戦争状態で、絶対に東京には戻れなくなっちゃったようなもんだよな。そこに住んでいた普通の人たちには、別に何の責任も、何の罪も無いわけだ。その不条理と言ったらない。なんて書いてあるのか分からんが、こういう沢山の手紙とかを見るとテラ切なくなってしまった。本当に現実なんだなと。。。




 さて、朝鮮戦争が終わった記念の石碑とか、ナラサランとかかいてあるでっかい石碑とかがあった。ナラサランとは、国の愛という意味だろうか。愛国かな。敵がいるから、国への愛が必要なのかもしれない。国なんてそもそも人工的なものであるから。
 さて、ついにDMZ,
 JSA,北朝鮮の一角に向かう。
 その教授と、「いやー、ついにようやく噂の北朝鮮に入れますねー。」と話しながら、ワクワクテカテカしていた。
 橋に差し掛かった。迷彩服を着た若い兵士が機関銃をもって、ウロウロしている。兵士が乗り込んできて、パスポートチェックをした。オーケーが出たので、タイヤのついた障壁をずらしてくれた。バスがまた発進する。障害物が橋の上にジグザグに設置してあり、そこをゆっくり進んだ。ヘリコプターが二台、飛んできた。ヘリで北を偵察しているらしい。
 だんだん緊張感が高まっていく。この日はひたすら晴れていて、空が眩しかった。
 韓国の巨大な国旗が山の上にはためいている。そして北朝鮮も同様に国旗を掲げている。ちょうど韓国の国旗の二倍の大きさで、高さも高いらしい。



 まずバスは、国連軍が駐屯している場所にきた。若い兵士が休み時間なのか、グランドでサッカーをしている。オレンジ色の服を着ている。上官が車で通りかかると、転がったボールを取りに走った兵士は、突然敬礼をした。
 そして、バスに国連軍兵士が、乗り込んできた。二回目のパスポートチェックである。
 国連軍は、ヘルメットに、タモリのようなグラサンをしている。また横にいる韓国軍は、ジャラジャラとポケットに詰めた弾を鳴らしながら歩いている。これは、朝鮮戦争時代に、兵力が足りなかったのを、夜間に見えない敵に対して、音で誤魔化して、多くの兵がいるように見せかける為に、沢山の弾を持って鳴らしながら行動していた事に由来している。しかしそんな幼稚なトリックに引っかかるだろうかね。そして今でもその習慣が続いているのはなぜだろうか。音がすると、位置がばれて危険ではなかったのだろうか。  

Posted by らっっっきー at 23:57Comments(0)

2006年12月20日

北朝鮮に行った6



 ってなわけで、こういう場所だったわけだが、ほとんど予備知識なしに、参加することになった。まあ、せっかく韓国に来たんだから、ちょっと話題の北朝鮮を見ておこうというミーハーな気持ちである。
 週休二日制の人なら、一日休みを取って、三日で韓国旅行が可能である。そして予算は、激安航空券で、二万円ぐらいからのものを買い、そして板門店ツアーが70000ウォンなので、一万円くらいで、合計三万円で北朝鮮の領土をチラっと訪れられるのである。もしヒマなら是非ぜひお試しあれ。ちょーカンタンである。
 さて、今日は日本人がすごく少なくて、四人しか参加していなかった。日本人の女性二人も参加していた。
 北朝鮮を、遠くから眺めることができるぐらいかな。と思っていたのだが、ナナナナナナナナナナナント、北朝鮮の領土に入れるということを初めて知った。会議場というのが、北と南の共同管理地域の真中にあり、そこに観光客が入る事ができるのである。
 バスの中で、ガイドさんから、説明を受けた。昔は、観光客の規制が今よりも厳しかったらしい。昔はジーンズを穿くのも禁止されていたらしい。今でもミニスカートなどはダメらしい。俺は黒いジーンズだったので、ガイドのおばちゃんは、見て、うーーーんと考え込んでいた。でも別のガイドに聞いたところ、これでオーケーということになった。
 非武装地帯(Demilitarized Zone)、DMZと呼ばれている場所なのだが、実は武装地帯であり、互いが兵器を向け合ってる場所らしい。
 映画「JSA」は、これから行く場所を舞台にしている。ウォン・ビンや、チャン・ドンゴンが出ていて、韓国で社会現象にまでなったような映画である。JSAは共同警備区域の略であり、JOINT SECURITY AREAのことである。
 なぜジーンズがダメかというと、アメリカ人は皆ジーンズばかり穿くので、それを見た北の人が、「資本主義国は貧乏だから、皆が同じボロい服を着ているのだ」と、勘違いされるからだ。でも今はジーンズが凄く高級だということも分かっているらしく、そのような規制は無いらしい。
 また、手を振ってもダメらしい。指をさしてもダメだ。相手側に、何か情報を与えてしまう可能性があるかららしい。昔、雨が降っていて、バスの窓が曇っていた時に、ヨーロッパからの観光客が、窓を拭く動作をしたところ、それが手を振っていると、バスに同乗して監視していたアメリカ兵が判断し、ツアーが中止になったことがあるらしい。
 しばらくすると、バスはフリーウェイに差し掛かった。ちょっと北に行けば、北朝鮮である。川があり、冬に凍ると、北朝鮮軍が攻めてくるらしい。
 昔は国境が、ただの金網だったらしく、直接戦闘が始まる事もあったので、互いに国境を2kmずつ離して、4kmの境界線を作ることにしたらしい。しかし徐々に北が、国境を近づけてくるので、韓国も近づけてくるらしい。
 道路のすぐ横には、鉄条網でグルグル巻かれたフェンスが、延々と伸びている。ソウルからこんなに近くに、こんな世界があるというのもスゴイ事である。
 ここは沼地が多く、野鳥の越冬地になっているらしい。数羽の鶴がいた。「鳥は、国を無視しますからね」とガイドが言っていた。
 韓国には、徴兵制があって、全ての男子は、二年の徴兵に参加しなければならないらしい。昨日会ったキムさんも、徴兵を経験しているらしかった。
 金持ちの息子や芸能人にも、徴兵は一律に課せられる為、どのようにその義務を免れるかということに、しのぎを削るらしい。野球選手にも薬を服用して、内臓に疾患があるということにして、徴兵を免れようとして、問題になったり、カナダに住んでいた有名なタレントが、徴兵に参加すると言いながら、逃れようとして、韓国に入国拒否になったりと、大変である。
 「日本人は平和ボケしてるでしょ。でも韓国の人は心のそこで常に戦争の恐怖を感じてるんです」と言った。
 韓国と北朝鮮は、あくまで休戦中であって、戦争が終わったわけではないのである。24時間、365日、1953年から53年間、ずーーっと、監視しつづけて、緊張しつづけているのである。
 日本人は、観光地と思ってるかもしれないが、板門店というのは、韓国人にとっては、あまり行きたくない場所らしい。またこの場所で、殺し合いに発展した事件も何回かあったので、ガイドさんは、毎回すごくナーバスになってしまうらしい。かわいそす。。
 一見すると普通の山なのだが、韓国軍の兵器が隠されているらしい。
 この辺りは田園地帯なのだが、田んぼには、戦車を止めるための、2mぐらいの鉄の棒が何本も刺さっている。この辺りは、工場も無く、有機農業ができるらしい。よってここで作られる米は、自然のままの美味しいお米で、そのブランドもあるらしい。その名も「非武装地帯」である。  

Posted by らっっっきー at 23:28Comments(0)

2006年12月19日

北朝鮮に行った5


 さて、ここで、さっきから言ってる板門店とは、北朝鮮と韓国との国境であり、観光客も訪れる事ができるホットなスポットなわけだが、もう少し解説の為転載しよう。

【引用開始】
板門店とは・・・。Wikipediaより。
(日本語読み仮名): はんもんてん
(現地語読み仮名): パンムンジョム
ラテン文字転写: Panmunjeom
板門店(パンムンジョム、はんもんてん)は、韓国と北朝鮮の間に位置する停戦のための軍事境界線上にある村の名前。ここで朝鮮戦争における北側の朝鮮人民軍と南側の「国連軍」の停戦条約が1953年に調印された。

「板門店」の名は、停戦条約調印の場所近くにあった「ノル門里」という名の店(タバコ屋、蕎麦屋、中国料理店、雑貨店などの説があるが、要は何でも売る田舎のよろず屋だったのだろう)を、「ノル」が板だという意味と知った中国軍兵士が「板門店」と書き表したことから定着してしまったという。

板門店は韓国・ソウルの北約80km、北朝鮮・平壌の南約215kmに位置し、朝鮮戦争の停戦ラインである軍事境界線 (DMZ-DeMilitarized Zone) (「非武装区域」とも)上に存在し、長くベルリンの壁と並んで冷戦の象徴であった。

南北朝鮮の唯一の接点として、過去何度も会談を開いてきた。停戦条約に基づく軍事停戦委員会が設置され、停戦協定遵守の監視を行っている。また、緊急度を4段階(第一級~第四級)に分けた会議を開いている。本会議場は板門店の中心にあり、会議室の中心にテーブル、その中心にマイクがおかれ、引き回されたマイクケーブルも境界線を示すように配線されているものの、訪問者が会議室内で境界線を越えることは認められている。

中立国監視委員会は北朝鮮施設、軍事停戦委員会本会議場は韓国側の施設となっている。1992年に韓国側の「自由の家」と北朝鮮側の「板門閣」に南北連絡事務所が設置された。北朝鮮への支援物資も板門店を抜けていく。

板門店の周囲は南北の共同警備区域 (JSA-Joint Security Area) となっており、南北両軍が境界線を隔てて顔を合わせている。但し、原則として南北兵士は軍事境界線を越えてはならず、境界線を越えた者、相手兵士と会話を交わした者は極刑に処せられると定められているが、多少の会話は黙認されているらしく実際には軽い会話を交わしているという。この軽い話が出来る韓国兵士は憲兵であり、徴兵制度で兵務についた若者達である。韓国陸軍第1師団として軍紀の強い部隊でもある。

帰らざる橋西側に沙川江(サチョン川)が流れ、そこに架かる橋は、朝鮮戦争後に捕虜交換が行われた。北から逃れた自由主義者、北の捕虜となった韓国軍兵士が韓国側に渡り、二度と戻ることが出来ない事から「帰らざる橋」と呼ばれている。「ポプラの木事件」(下記)の舞台となった場所もすぐ近くである。


[編集] ポプラ事件
国連管轄で形式的なものだった板門店内の境界線を前面に押し出すきっかけとなった事件である。1953年の停戦調印以来、板門店の中でのみ、南北兵士の行き来が可能であった。
1976年8月18日、第3哨舎近くのポプラの木が大きくなりすぎ、北を監視するための哨所を隠してしまうので、国連軍が枝の剪定作業をしていた。これを知った朝鮮人民軍が数度に渡り作業の中止を要求、国連軍が無視して作業を続行すると、朝鮮人民軍のグループが国連軍の作業チームに殴り込みをかけ、国連軍も反撃した。国連軍のアメリカ将校、ボニファス大尉とバレット中尉が斧や棍棒で殴殺され、国連兵と韓国兵がそれぞれ4人負傷した。8月21日、国連軍は北朝鮮に作業の続行を通告し、このポプラの木を切り倒した。

事件翌日の8月19日から北朝鮮と国連軍の間で会議が開かれた。アメリカ合衆国は事件を重く受け、空母を近海に派遣、韓国軍も臨戦態勢をとり、北進の準備を進めた。この過剰反応を恐れた金日成は遺憾の意を示し、アメリカに謝罪した。

9月6日まで行われた会議によって北朝鮮側の提案で共同警備区域内でも軍事境界線で両者の人員を隔離する事を決定した。

軍事境界線の標識として10mおきにコンクリート角柱(10cm四方・全高1m)の設置
停戦委員会会議場の建物間に高さ10cmのコンクリート境界を設置
9月16日までに南北双方の人員の立ち退き
これ以降、境界標を挟んで南北両軍兵士が向き合うこととなった。特別の許可を受けた者以外、このコンクリートの境界線を越えることは許されていない。

[編集] 板門店ツアー
板門店を訪れることができる(ただし南側からは北朝鮮国籍の者、ロシア、中華人民共和国籍などの者は参加不可。韓国籍の者は特別の手続きをすることによって可能。在日朝鮮人団体は北側から訪問している)。韓国から来る場合と北朝鮮から来る場合とでは、手順などが異なる。2005年、一年間の参加者数は南側が20000人強、北側が7000人という(南側ガイドの証言)。

[編集] 韓国から訪問する場合
ソウル発の板門店観光の定期ツアーが、ほぼ毎日用意されている。旅行代理店への事前予約が必要。板門店訪問に際しては、旅券の持参義務や服装の制限などがあるほか、国連の施設ボニファス・キャンプにて、スライドでの説明と共に、緊急事態が起これば死亡、負傷する可能性があると書かれた誓約書への署名が必要

【引用終わり】  

Posted by らっっっきー at 23:28Comments(0)

2006年12月18日

韓国に行った4



二日目。

 九時まで寝てた。昨日キムさんが、ホテルに電話をかけてきて、昨日教えた番号の携帯は壊れていると、知らせてくれたらしい。日本語の達筆のメモがあった。昨日の深夜の電話はそれだったのか。
 フロントで板門店に行くツアーはあるのかと聞くと、あるらしい。非武装地帯のツアーはいろいろあるらしいが、朝青龍っぽいフロントの人が、いろいろと電話して、11時発のツアーを予約してくれた。
 しばらく歩く。ミリタリーの服を着た人が、普通に歩いている。道行く人で、すごく美しい人はそういない。いるところにはいたから、偏在しているのだろう。偏在とは偏って存在すること。遍在とはユビキタスということで、遍く(あまねく)存在すること。日本も韓国も美人は偏在しているが、これがスウェーデンとかに行くと、遍在しているのだろう。多分。あぅぅ。ゲシュタルト崩壊してきた。。。
 さて、気を取り直して、朝食を食べれる場所を探す。日本料理屋もけっこう多い。店頭の見本とかも日本みたいだ。
 街は、普通に発展している。まるで、シンガポールのようだ。この通りは、東京の渋谷ほどゴチャゴチャしておらず、新宿副都心ほど冷たくも無い。そして東京に似ているようでアチコチが違うので、やはりここは外国ソウルなのであった。



 定食屋で、ビビンパを食う。もっと肉が欲しかった。。しかしキムチとか、副菜が無料でサービスしてくれるので、どんどん出てくる。ペラペラと明るいおばちゃんとおねえさんの店員が話をしていた。まあけっこう美味かった。
 道でマンションの宣伝をしている人がいた。ソウルはマンションというか、アパート住まいの人がすごく多いらしい。 道を聞いて、ツアーの集合場所まで歩く。豊臣秀吉と戦った武将が16車線の広い道路の真中に、像として立っていた李舜臣(イ・スンシン)と言うらしい。背景にはでかい山があって、良い感じである。
 この日は土曜日で、銀行も両替所もどこも休みなのであった。タイとかでは、いつでも両替できるのだが、日本や韓国では、大変に難しい。もっと空港で両替しておくべきであった。
 いろいろ探すと、VISAカードのATMがあったので、困った時のキャッシングで何とかなった。
 目の前には「朝鮮日報」という巨大なビルがあった。朝鮮日報というと、怪しいイメージがあるが、こうやって見ると、正統派の大マスコミではないか。。。でかいテレビが至る所ににあり、CMを流している。こういうところは日本よりも
すごい。
 さて、待ち合わせ場所に行って、さっきフロントの親切な兄ちゃんに書いてもらったメモを見せながら、色々な人に聞くと、事務所の中まで入ってしまい、チケットをもらった。
 それにしても立派なビルだ。はっきり言って韓国に対する偏見など、くだらなすぎるほどくだらないものだ。立派なビルがたくさん建っている大都会なのだ。ソウルってのは。何を勘違いしていたんだろう。俺は。
 変な民族が、変な国で、変な生活をしてるとでも思ったか。
 立派な国じゃないか。立派な都会で、立派に真面目に働いていて、明るくて親切な人たちだらけじゃないか。
 さて、その辺をブラブラして、みかんとかを買いつつ、バスに入る。
 日本人のおじさんが居た。日本人ですか。と。「いやー。板門店とか、北朝鮮とか、なかなか行けないですからねー」と、意見があった。
 「北朝鮮から、韓国に向かって、放送してるらしいですよ。それも北朝鮮は楽園ですよーみたいな、幼稚な事をいうのではなくて、韓国の政権内部の腐敗であるとか、裏の事件だとか、韓国人が誰も知らないような事を、放送してくるらしいです。つまり韓国の政権内部に北朝鮮との内通者がいるという事らしいんですね。」
 と俺が知っているだけの知識を話すと、
「日本の政治家にも、幾らでもそんな話はありそうですからねー。」
 と言っていた。

 うーむ。このおっさんは話が合うぞ。楽しい旅に一日になりそーだ。  

Posted by らっっっきー at 00:59Comments(0)

2006年12月17日

韓国に行った3




 地下鉄に乗ってみた。地下鉄は東京並に複雑である。地下鉄は、切符を窓口で買って入れると、ガッコンと銀色のアームが回るシステムである。これはイギリスかどっかと同じかもしれない。地下鉄は、日本と似ているのであるが、乗客が韓国人だらけなのであった。観察すると、やはり顔つきが違う。しかしネットウヨのバカが言うように、エラが張っているって事は無い。ほとんど変わらない。ちょっとしたところが違うのだ。目とか、ファッションとか、メガネとか。携帯で話している人が多かった。日本のように規制されてはいない。そして俺が日本人だと誰にも分からないようである。おっさんが話し掛けてきた。次は何駅だと。で、路線図を見て、教えてあげた。

 さて、地下鉄でホテルまで戻ろうとして、駅員に方向を聞くが、逆方向を教えられた。慌てて降りて、ホームで路線図を見る。特急が通ると、駅に吊り下げられた直方体の看板が、風圧でものすごい勢いで揺れている。
 すると、教えてくれた。行き先が同じらしいので、電車に一緒に乗る。この辺りは、大学が多いらしく、俺も大学生っぽかったらしい。で、外国語大学の学生だったので、日本語も英語もかなり話せるのであった。彼の名は、キムさんであった。とても親切そうで、笑顔の人であった。韓国人は笑わないってのもウソである。
 「自分はさっき三時間前にソウルに来て、明後日帰ります。」とか話した。オススメの場所を教えてもらった。王宮があるらしい。東大門や南大門とかも良いらしい。そしてソウルは非常にビッグなので、IT'S SO HARD TO SEE ALL AROUND.と言われた。彼はポーランド語を勉強していて、国際関係論を学んでいるらしい。とても良い人であった。
 ガイドブックを見せると、李舜臣の像を指して、彼を知っているかと聞く。知らん。豊臣秀吉と戦った英雄だと言う。日本と韓国はいつも戦ってきたからね。と笑顔で言う。そうそう。そしてそれはそういう歴史があるということに過ぎな
いのだな。
 ホテルのある駅に着くと、一緒に降りてくれた。すみません。ありがとうございます。THANK YOU VERY MUCH. カムサハムニダと、俺は恐縮しきりであった。が、笑顔で気にするなと言ってた。

 さて、ホテルに着いたが、キムさんが「明日は何をする予定ですか」と聞いたので、「明日は板門店で、国境見学をして、寺をちょっと見るつもりです。」と言ったら、「良かったら私がソウルを案内してあげますよ」と言った。いやいや悪いですよ。と言ったのだが、本当に案内してくれるらしく、好意を無駄にするのは悪いと思い、じゃ良かったらお願いしますということになった。急に決めたので、ちょっと混乱していると、言っていた。で、明日電話してくれと、番号を教わった。
 うーむ。さすがに悪いから、電話で断ろうかなと思ったが、まあ明日でいいや。
 テレビをつけると、M-netとか、音楽番組が面白い。動物番組で、タイの虎に乗ったりしている。日本の芸人がタイに行くのも、韓国の芸人が行くのも、向こうからしたら、そんなに違いは無いんだろうなー。忍者ハットリくんなど、日本のアニメチャンネルはどこの国でも強い。クレヨンしんちゃんもやっていた。先生に、園児が「ハーイ」という場面では、「ネー」になっていて、可愛かった。

 ぼーっとテレビを見てたらいつの間にか寝てた。

 するといきなり深夜に部屋の電話が鳴り響いた!!!。なにごとじゃー???!! 切れた。また寝た。  

Posted by らっっっきー at 23:28Comments(0)

2006年12月16日

韓国に行った2


 さて、そうやって日本語で話してくれるおじさんは、ありがたかった。ネットの中の、どんな中傷よりも、一人の人と実際に、向かい合って話すことの方が重要だと思った。

 さて、飛行機の中は、日本人と韓国人が半々ぐらいであった。左には、韓国人カップル、右には、日本人家族。アシアナ航空は安くて、機体も新しくキレイで、飛行機は比較的小型であり横に7席しかないのであった。スッチーが若くてキレイ。制服が可愛い。スッチーも日本人と韓国人半々ぐらいで、あまり見分けがつかないが、手足が長くて顔が小さくて美人だらけである。機内食は、韓国っぽく、例によって、唐辛子のチューブが入っている。それを牛肉につけて、食べるのであるが、やはりとっても旨かった。
 さて、この季節は西からの向かい風が吹いているらしく、時間がかかるらしい。
 で、いつのまにか着いた。インチョン国際空港。
 
 ハングル文字だらけであった。
 ハングル文字は、読むのは、簡単である。BoAファンになって以来、ハングルが読めるようになったわけだが、読めても意味が分からない。。。イタリア語だって、読むのぐらいは、できるかもしれない。
 左の方のゲートに並ぶ。外交官と、手続きが終わった人となっている。客室乗務員も並んでおり、まあ比較的早く通れた。
 両替をする。レートが悪い。1円が7.5円ぐらいにしかならない。昔は10倍だったのに、この先日本の国力が衰えていって、周りのアジア諸国が栄えていけば、ますますこの傾向は進むだろう。女の人が笑顔である。
 百人以上の沢山の韓国人の出迎えの人がいた。うわー。
 で、ホテルに行こうと思う。空港で予約をする。とりあえず日本語で話し掛けてみて、ダメだと思うと英語で話し掛け、それでもダメならカタコトの韓国語を話すのであった。
 バスに乗って行く。メガネをかけた女の子が可愛かったので、空港をバックに写真をとってもらった。
 思ったほど寒くはない。耳まで凍るほどではない。
 インチョンから、市内までは遠い。一時間以上かかる。もう真っ暗である。バスの中は暑い。水滴で曇る窓を手で拭いた。
 ハングルのネオンがたくさん見える。ノレバンというカラオケ屋が多い。ハングル語だらけの街を見ると、韓国に来たという実感がわいてくる。
 孫正義にそっくりなおじさんが、バスの降りる所を教えてくれた。非常に親切だ。バイバーイ。
 コロコロとリュックを転がしつつ、ホテルの場所を屋台のおばちゃんに聞く。ふと、でかい寺のようなものが、交差点の一角にあった。待ち合わせスポットのようだ。待ってるねーちゃんに聞く。で、しばらく歩くと、あった。地下道を通
ると、店がたくさんあった。日本の地下街とあまり変わらない。
 屋台があった。女の子が音楽を聴きつつ、ノリノリで、トッポギを食べている。若者も数人いた。とりあえずトッポギという名前を知ってたので、注文した。帽子をかけためがねのオバちゃんが、プラスチックの皿に、ビニール袋を敷いて、タップリと屋台のトッポギを盛り付けてくれた。スープは紙コップで、くれた。食べた。でっかいスパゲッティのよう。モチモチっとしていて、真っ赤なソースがかかっていて、辛いけど旨い、けど、ちと味が濃くてしつこい。。。旨いけ
ど、あまり沢山は食べれ無そうであった。周りでは、おばちゃんとの会話が弾んでいる。あまり屋台で満腹してしまうと勿体無いと思ったが、ボリュームがあった。
 ネオンがあり、屋台が並び、人が沢山いた。考えてみると、自分が日本人だからといって、全く周りには分からないぐらい溶け込んでいるのであった。そりゃそーである。日本人がエジプトにいるわけでも、アフリカにいるわけでも、パリにいるわけでもないのだ。顔もほとんど同じで、ファッションもほとんど同じなのだから、誤差の範囲内である。
 で、ロビーへ。6000円ぐらいのホテルであり、立派なものであった。フロントの人は、目がちっちゃくてシワのある韓国人っぽいおっさんであり、日本語を話してくれた。本当に韓国は日本語が通じる国である。驚きであった。
 部屋もキレイ。
 さて、有名な通りを歩く。鍾路というらしい。チョンロと書いて、チョンノと読む。石畳で、人が多い。ここにはイギリスのエリザベス女王が来て、韓国の筆で字を書いたりして、韓国内でも有名になったらしい。
 ガイドに載ってた焼肉屋を探すが、案内所で聞くと、移転したらしく、場所を教わるが、行ってみると閉店間際でダメと言われた。まあ仕方ないので、屋台で食べる。50cm以上ある串に刺さった焼肉を食べる。美味い。  

Posted by らっっっきー at 23:28Comments(0)

2006年12月15日

韓国に行った1


 金曜日に有給が取れたので、金・土・日と一人で韓国に行く事にした。

 今回の旅行は、たった三日しかなく、一日目が、現地に夕方六時半に到着、三日目の昼に現地を出発するので、すごく忙しい旅行なのであった。例によって、「トラベルコちゃん」というホームページで、航空券を探して、15000円の券をゲットすることができたのであった。てるみくらぶは素晴らしい!!
 成田までのバスで行った。時間がギリギリになりそうだったが、気が付くと両側が海であった。東京湾アクアラインを通り、あっという間に成田。YCATは素晴らしい!
 韓国の場合は、日本円を現地で両替するのが、ベターらしい。
 今年空港に来るのは、7回目である。。。。
 ゲートまで歩いていると、横に、韓国に行く場合は、ここで入国審査をして下さいということが書いてあり、制服を着た職員がいた。これをすると、韓国で手続きが早くなるらしい。書類を書いて見せる。「じーかんがない、ですので、けっこうです。」と、丁寧な日本語ができる韓国のおじさんが、チャッチャとやってくれた。「カムサハムニダ」というと、笑顔になった。

 俺は日本人であるが、韓国人に対する感情は、いろいろ複雑な感情があるのだ。
 簡単に言えば、「ちょっとした差別意識と、なんだてめーという反感、そしてんんん???という物珍しいモノを見る感じ、そしてやるなー貴様と相手を認める感情」などなどである。
 そして、BoAは本当に素晴らしい。そしてチャングムは確かに良いドラマだった。コヨーテとか、クリスマス・アルバムとかK-POPは良い。が、ダサイのやうるせーのも沢山ある。そして先進的なデザインとか、電車の中をディスプレイするとか、そういう真新しい事をできるのはスゴイと思う。
 そして「韓流ブーム」。好きになるのは、良いことだと思う。だが、電通が絡むと、全てがウソ臭くなる。まあお互いを知るキッカケとしては、良かったかもしれないけどね。
 だが、サッカーや野球で熱狂するのは、うざいというか、胡散臭いというか、やり過ぎだろうというか、ぶっちゃけモロに反感がある。例えばイチローに対する韓国の観客とか、ふざけんじゃねーとか思うし、あれだけ赤い服を着た人だらけでサッカーの応援も、かなり引く。(でも日本人も同じかそれ以上だったりする…。そしてマナーの悪いファンは一部かもしれない。そしてそういう人は日本人にも沢山いる。)そして日韓W杯においては、韓国がもうメチャクチャで、トッティに延髄切り食らわすは、誤審審判は沢山いるわで、堪忍袋の緒が何度ブチ切れた事か・・・。
 そして文字が変わっている。そして言葉が変わっている。(まあ、そんなことを言ったら日本の文字だって相当変じゃないだろうか。そもそも変って何?? そして言葉は国によって、いろいろだからなあ。。インドの地方の文字の方がもっと面白かったりする。)
 嫌韓流というマンガも、立ち読みで読んだし、日本人差別ソングが売れまくったとか、パクリとか、ネタはいろいろ聞いていた。パチンコ産業がどーのこーの。在日利権がどーのこーの。
 それらはまあ知っておくべきだと思うけど、正直言って、嫌韓厨というのは、バカな奴がいるし、ウザイ。ひたすら粘着して、韓国の悪口ばかり、言いまくるのは、最初はネタとして面白いかもしれないけど、そればかりやってる奴というのは、正直痛い。正当な主張は良いけれど、それがだんだんと、単なる言いがかりや、ただの人種差別主義者になってしまっている。彼らの言う「痛い韓国人たち」に比べて、「痛い嫌韓厨たち」は同レベルか、それ以下になってしまっている。ただの無礼なバカだ。日本人として恥ずかしい。韓国の良い面も見ないとな。
 また竹島問題とかで、デモやるのも、ホント見てるとウンザリするし、まあそんなこんなで、いろいろとマスコミとかネットとかで、一部の人は礼賛し、一部の人はひたすら馬鹿にする、かっこよいような、いや胡散臭いような、ネタでしかないような、それでいて実際に急成長しているような、そんなイメージがゴタマゼになった、もっとも身近なようで、すごく遠いような国、隣国の友人のようで、昔からの仇敵のような、日本と似てるようで、似てないような国。それが「韓国」なのだ。
 自分の目でそんな韓国を見てみたかった。行ってもつまんないよ。行っても何もないよ。行くなら別の国の方がいいよ。行ったら危ないよ。襲われるよ。そんな意見は沢山聞いた。しかし、行ってつまらなかった国など無いし、とにかく自分の目で見ることが大事だと思ったのだ。  

Posted by らっっっきー at 23:27Comments(1)

2006年12月14日

911 携帯電話の謎



 911について。電話の情報について。とにかく分からない事が多すぎる。
 http://www.st911.org/
 このサイトから、The Phone Callsの部分を翻訳してみよう。主にエキサイト翻訳を使った。

以下翻訳です。

■通話について PAGE1
乗客と客室乗務員によってすべての4つの乗っ取り機からかけられた多くの電話がありました。 機内電話と携帯電話の両方から電話をかけました。 9/11テロ委員会レポートは空気電話からどの電話をかけたか、そして、どれが携帯電話から来ているかを決して指定しません。 しかしながら、「その後まもなく、乗客と飛行乗務員はGTE機内電話と携帯電話から一連の呼び出しを始めました。」と、それは示します。 「家族と、友人と同僚の間のこれらの呼び出しは、飛行の終わりまで行われて、直接、地上にいる人々に報告しました。」
これはUnited93において、9:32と9:39の間に起こりました。 飛行機が9:28に突然700フィート落下したとき、彼らはオハイオの上の3万5000フィート上空を飛んでいました。 飛行の高度に対する情報を彼らは全く出さなかったが、携帯電話の多くがなされた時、彼らは高度の上空にいたと思われます。

9/11 Commissions Report Chapter 1 (Page 12)より。

■携帯電話は飛行機によく動きません:

携帯電話は高地、または高速移動の際、うまく動作しません。 2001年当時の携帯電話は、現在に比べて、とても弱いものでした。通話可能な場所も現在に比べて広いものではありませんでした。今日の携帯電話は、飛行機より通話する事が可能です。しかしながら、飛行機が高度にあるときは、接続をする事はいまだに非常に難しい事です。したがって、9月11日にハイジャックされた飛行機から、多くの携帯電話をかける事ができたというのは非常に疑わしいのです。

クアルコムのプレスリリースから:

2004年7月15日と#8212; クアルコムIncorporated(ナスダック: QCOM)(符号分割多重アクセス方式(CDMA)のデジタル無線技術のパイオニアと世界のリーダー、およびアメリカン航空、世界の最も大きいキャリヤー)は、今日、商用アメリカン航空航空機の上で商業的に利用可能なCDMA携帯電話を使用することでキャビンの声のコミュニケーションを首尾よく示しました。 キャビンの第三世代(3G)"picocell"ネットワークの使用で、まるでそれらが地面にあるかのように、テスト飛行での乗客は、電話をしたり受信することができるでしょう。

Qualcomm. American Airlines and Qualcomm Complete Test Flight to Evaluate In-Cabin Mobile Phone Use. June 15th, 2004.

■Telephoney Wireless Review:より
ワイヤレス・ネットワークが世界規模での使用のために設計されるので、とても多くの人々が空からの通話ができたという事実は、どのように電話が高度から動作したかという質問をもたらします。

アレクシア・グラフ(AT&Tのスポークスマン)は、通話システムは、高度からの通話用には、設計されていませんと言い、その呼び出しが目的地に到着したのは、ほとんどまぐれ当たりであったと示唆しました。

「陸地において、私たちは、3つの方向を指すアンテナの領域があります」; 「例えば北、南西、および南東のように。」と、彼女は説明しました。 「それらの信号は陸の向こう側に広がっています、そして、また、それらの信号は漏出のため上がります。」

高度からの、通話の質はそれほど良くはありません、そして、ほとんどの通話者が落ちる事を経験するでしょう。 通話は信頼に足りませんが、通話者は、ある高度の下において、少しの間通話を保持することができます、と彼女は言い足しました。

Telephoney. Final Contact. By Betsy Harter. November 1st, 2001.より

アメリカン航空は飛行機から働いているという携帯電話要求を許す新技術をテストします(現在働いていないので)。

■USA TODAYより:

乗客が飛行における携帯電話を可能にする為の開発競争が行われています。 携帯電話会社のクアルコム(QCOM)は、衛星ベースの空対地のセルサービスを開発するためにアメリカン航空(AMR)とチームを組みました。 いくつかの、より小さい会社がライバルのシステムに取り組んでいます。 開発者は機内のセルサービスが2年以内に導入して、4年内に当たり前になることができると信じています。

「素晴らしくうまくいきました。」と、Monteフォード、アメリカ人のチーフ・インフォメーション・オフィサー、および特別乗務員は言います。 「私は、オフィスに電話をしました。」 私は、妻に電話をしました。 私は、パリで友人に電話をしました。 「彼らは皆、すばらしい状態で私の声を聞きました、そして、私ははっきりとそれらを聞くことができました。」

・ USA Today. In-flight cell phones 'worked great' in test. By Dan Reed. July 19th, 2004.



■飛行機からの携帯電話による通話

・CNNより

彼女の夫は、彼女が、携帯電話で第77アメリカン航空便から二度彼に電話をしたと言いました。(ワシントンダラス空港からロサンゼルス国際空港への途中で)。

CNN. Wife of Solicitor General alerted him of hijacking from plane. By Tim O'Brien, CNN. September 12th, 2001.

--------------------------------------------------------------------------------
・CBSより

墜落する直前にフォートマイアーズ、フロリダ州のロス-ライルは、飛行機からの携帯電話の上の警察官のロルネ・ライルスに彼女の夫、フォートマイアーズに電話をしました。

CBS. Partial Lists of Terror Victims. September 25th, 2001.


--------------------------------------------------------------------------------
・The Telegraphより

現在までには、ハイジャック犯はグラウンド・コントロールが飛行機の場所を見つけるトランスポンダーのスイッチを切っていました。
ほぼ同じくらいの時に、175便でのハイジャック犯はコントロールを取りました。 5分後に、32歳のピーター・ハンソン(彼の妻と2歳の娘とともに旅しているソフトウェア幹部社員)は彼の携帯電話によって、コネチカットで彼の両親に電話をしました。

The Telegraph. At 8.46am, the world changed in a moment. September 16th., 2001.

--------------------------------------------------------------------------------
・San Francisco Gateより

教師は彼の父への携帯電話呼び出しを確認しました。父親とは、リー・ハンソン、イーストンの職員、ブリッジポートの近くの小さな町に住んでいる。

緊急係員は、United93便でトイレに閉じ込められた乗客であると言う携帯電話呼び出しを受けました、そして、彼の飛行機はハイジャックされていました、そして、それは落下しつつありました。 職員は、発信者が、爆発と携帯電話呼び出しが終わるのを聞いたと言いました。

San Francisco Gate. Experts, U.S. suspect Osama bin Laden, accused architect of world's worst terrorist attacks. By Karen Gullo and John Solomon, Associated Press Writers. September 11th, 2001.


--------------------------------------------------------------------------------
・the Las Vegas Review Journalより

ルネ・メイ(携帯電話によって、米国国防総省に衝突したハイジャックされたアメリカン航空飛行機から電話をかけた客室乗務員。ある情報筋による。)はラスベガスに母を置き去りにしました。

Las Vegas Review Journal. Flight attendant made call on cell phone to mom
in Las Vegas. By natalie Patton. September 13th, 2001.

■どのようにして人々の声を造るか

・Washington Postより

スタイナーの声の10分のデジタル記録を取ることによって、科学者ジョージパプカンは、正確な模写で、ほとんどリアルタイムで、発話パターンをクローンすることができます。スタイナーは、非常に感動したので、彼はテープのコピーを求めました。 スタイナーはほとんど最初で最後のパプカンのチームメンバーによってだまされるべきである犠牲者ではありませんでした。 彼らは、それらの方法を洗練するために、司令官の様々な高品質の録音を取って、にせの声明を作成するのに実験しました。 最も忘れ難いものの1つは「私は誘拐犯に丁寧に扱われています」と述べるコリン・パウエルです。

Washington Post. When Seeing and Hearing Isn't Believing. By William M. Arkin. February 1st. 1999.  

Posted by らっっっきー at 11:00Comments(0)

2006年12月13日

911ネタ 謎のインタビュー



 以下のインタビューは、ネットで情報を集めていた時に目にしたもので、はっきり言って、ネタの信憑性も全然分からないし、誰が誰だかも全然わからないし、ぶっちゃけ怪しい陰謀論ぢゃねーかと言われても仕方の無いような内容であるのだが、もしも、万が一、リアルなものであったら、なかなか真実めいたことを言っていて、怖くて面白いなあと思うので、一応ネタという扱いで、転載してみます。



http://yogananda.cc/daily/you/img/9_11.pdf
敵はすぐ近くにいるんだ!
◎〔以下の出所原文は http://www.davidicke.net/newsroom/america/usa/091601c.html (The enemy is very much within.)〕
【これは、9・11 事件の二日後の 2001 年 9 月 13 日に、或る報道関係者(TOP_VIEW)と米国空軍予備役諜報部員(Intel Source)との電話のやりとりを報じたものである。この諜報部員は、9・11 事件の背後にブッシュ政権の存在を指摘している】
TOP_VIEW は、今夜、短時間ではあるが極めて重要な電話インタヴューを終えたところである。この対話は、我々とは旧知の間柄で全面的に信頼できる仲介者によって設定されたもので、相手は空軍予備役の諜報部員である。〔中略〕そこで単刀直入に伝えられた内容は、全体として、この国と世界中の人々すべてにとって極めて重大な事柄である。

【以下は、この電話インタヴューの内容】
TOP_VIEW: 火曜日に出来事について、あなたが何を伝えなくてはならないのか、聞かせて下さい。まず最初にマスコミや政府によって伝えられていることより、今回の事件について、あなたは、目下一般の人々よりはるかに多くのことを知っていると思っています。

Intel Source: その通りです。

TOP_VIEW: では、その情報を我々に伝えてくれますか?

Intel Source: まあ、場合によりけりです。少しぐらいなら、何とか。これは、出版するつもりですか?

TOP_VIEW: インターネット上でと考えています。 I

ntel Source: 私自身と***(仲介者)が特定されるようなことは一切公表しないことが大前提です。

TOP_VIEW: そのことは、我々もよく承知しています。完全にです。全くその通りにしますよ・・・。

Intel Source: あなたは、***を以前から知っているのですか?

TOP_VIEW: 6年ぐらいですかね。

Intel Source: そうですか、彼があなた方を保証するんですね?(含み笑い)それじゃ・・・。

TOP_VIEW: では・・・、ある連邦政府部門は火曜日の事件を事前に知っていたってことが、ますます はっきりしてきていますが、あなたも、そう思いますか?

Intel Source:(聞き取り不能)

TOP_VIEW: ちょっと失礼!いま何と云ったのか分かりませんでしたが・・・。

Intel Source:気にしないで下さい。

TOP_VIEW: 政府は何が起こるか知っていたというのは、本当ですか?

Intel Source:そう云っても、いいんじゃないですか。事実、政府の内部に、あのヤラセを全部仕切った・・・連中[複数グループ]がいるんですから。

TOP_VIEW: 政府機関の者たちと犯人らが協力して一緒にやったとでも云うのですか?

Intel Source:いいえ、連邦政府内部のあのグループ[複数]の連中は、どこから見ても、事件の犯人そのものだと云ってるんですよ。

TOP_VIEW: それは、信じられないようなショッキングな話です・・・政府部内の連中が、火曜日のテロリスト攻撃と云われている事件の本当の主役だと云うんですね?

Intel Source: そう云うことです、間違いなく。

TOP_VIEW: おやおや、何とも恐ろしいことを知ってしまったものですね! あなたはどんな風に感じているのですか? それに、一体あなたは何故こんな話を我々に伝えようとするのですか


Intel Source:(笑いながら)さあ、何から先に答えたらいいんですかね。私は、事実であると確信もしないで、このような話を人様にすることは決してありません。私自身どう感じているかと云うと、まさしく吐き気をもよおしてますよ。
不快きわまりない、あんなことは全く許せない、完全に反対です。でも、あれは本当ですから、我々は皆で対抗しなきゃいけない。我々の社会構造を一番基本的なレベルで変えてしまおうと凝り固まった勢力が、政府の中にあるんですから。
だから(この社会が根本から変わるような)動きが確実に起こるようにするために、あの連中は、あんなことをやっているんですよ。

TOP_VIEW: 事件については、軍部の中では現在どんな状況ですか? 軍の上層部はこのことを知っていますか。もし、そうだとしたら、彼等の立場はどんなものですか?

Intel Source: 知っている者も、知らない者もいます。中には、多くの国民の皆さんと同じで、なかなか信じようとしません。目下、軍の上層部では、真相に気づいた者たちの間で色々と抗争が始っていることは間違いないでしょう。

TOP_VIEW: あなた自身はどうですか?

Intel Source: 私自身は、合衆国憲法を強く信奉する愛国的アメリカ人だと思ってます。・・・憲法の原則を支持し守るために、自分ができることは何でもやるつもりですし、他の大勢の人たちも、そうするだろうと思います。

TOP_VIEW: そう、その点が私も知りたかったところです。あんな大規模に残虐行為をやって、どうやらその狙いは、国民生活の自由を大幅に制限しようとして、「テロリストの」攻撃から我々を保護するとの名目で、国を骨抜きにすることのようですね。ドイツで、ヒトラーが国会議事堂を炎上させた事件に似てますよ。

Intel Source: その通りです。(聞き取り不能)・・・が、火曜日に事を起こした主な理由の一つでしょう。 そのほかに、中東油田の支配やそれに関連した問題の処理もあったのです。

TOP_VIEW: そこでですね、あなたのような人たちは、そのような勢力に何とか対抗する用意があって、そ うする能力もあるのですか?

Intel Source: 自分自身では、やれることは沢山あると思っているし、又そうするつもりです。あなたに今こうして話しているのも、その中の一つですよ。それに、私のような者は、ほかにも大勢います。

TOP_VIEW: それでは、ペンタゴンが攻撃されたことは、全体的にどう観ればいいんですか?

Intel Source: そのことは、今の私には何とも云えません。

TOP_VIEW: いつか又、話してくれますか?

Intel Source: 多分・・・。もう、そろそろ、ここらで話を止めなきゃいかんようです。

TOP_VIEW: ほかに何か、この際、特に云っておきたいことはありませんか? 忠告でも何でも・・・。

Intel Source: 我々の生き方が歴史的にも最大の脅威に直面していると云いたい。・・・敵はいるのですよ。すぐ、そばです!

TOP_VIEW: 要するに、火曜日の事件は、内部犯行と云うことですか?

Intel Source: 全く、その通りです。。実行現場の連中から、大抵の皆さんが想像もできないような上層部に至るまで、みんなですよ。さっき話したように、現在、政府内部では大変激しい抗争が起きていますよ。

TOP_VIEW:その抗争には、私たち皆が巻きこまれるのですね。

Intel Source: その通りです。 TOP_VIEW: ブッシュ政権が事件に絡んでいることが、私にも非常にはっきりしてきたと思います。これで間違いないのですね?
彼等は、明らかに、あなたが云ったような根本的な社会改造をやろうとしているのですね。

Intel Source: そう思って間違いないでしょう。では、もうこの辺で終わりにしましょう。

TOP_VIEW: では、お休みなさい。色々と話してくれて、大変有難う。以上で、愛国的な空軍諜報部員との短いが非常に有意義なインタビューは終わりです。皆さん、我々は大変な話を聞きました。目下、アメリカ人は、歴史上最大の危険な闘争に巻き込まれています。敵は、狡猾で、悪意があり、実に悪魔のような勢力で、我が連邦政府のあらゆる組織に深く入り込んでいます。その勢力は、我々のマスコミや各種報道機関、芸能界、学校や職場、その他我々の社会と日常生活の多くの分野に新党しています。先程の人の云うように、「敵はすぐそばにいる」のです。
  

Posted by らっっっきー at 23:28Comments(0)

2006年12月12日

911テロ映画"LOOSE CHANGE"を観た4




 ベンシルバニアで墜落したとされるUnited 93便について。
 なんか嘘と捏造と洗脳の為に作成されたプロパガンダ映画「United 93」というのがあるが、あんなものは、華麗にスルーしよう。あれは100%捏造の嘘ドラマである。
 あの映画に対する感想として、「テロ犯人と乗客とが公平な視点で描かれていて、良かった」とか、「飛行機内の映像がリアルで、その結末にショックを受けた」とかいうものがある。
 しかし、そのような感想自体が、プロパガンダに染まった見方である。
 実際は、そんな格闘ドラマというのは、無かった。
 そして、おそらくアラブ系のテロリストのハイジャック犯人は存在しなかったし、乗客たちも何もしなかっただろう。そしてそもそも墜落したという事自体が、謎なのだ。

 重要な論点は、二つある。1つは格闘して墜落させたという「伝説」の元になった「電話の記録」である。2つめはそもそも93便とは何なのか? 本当に墜落したのか? 何が本当に墜落したのか? ということである。

■論点1 飛行機からの通話について■

◎携帯電話の通話について。
http://physics911.net/projectachilles.htm
 民間機の巡航高度では、携帯電話で地上と通話できる確率は、0.6%である。よってほぼ不可能。だから通話の伝説自体がウソ。

altitude (feet) : probability of cellphone call getting through
4,000 : 0.400
8,000 : 0.100
12,000 : 0.040
16,000 : 0.025
20,000 : 0.016
24,000 : 0.011
28,000 : 0.008
32,000 : 0.006
 
2006年になって初めて導入された旅客機からの携帯電話アクセスサービス。
http://www.ryanair.com/site/EN/news.php?yr=06&month=aug&story=gen-en-300806

◎Let's rollとかいう有名な言葉が、とてもウソくさい件について。。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1476426
 93便でもっとも有名な乗客Todd Beamerからの電話だ。彼の「Let's roll(さあ、行くぞ)」というフレーズは、犠牲となった乗客・乗務員の英雄譚と愛国心をたたえる代名詞にもなった。
 Beamerの電話は、Verizon社のスーパーバイザーの1人に掛けられたといわれている。(Verizon社とは、機内電話のGTE Airfonesを設置している会社だ。当時Verizon社は、ペンタゴンを含む米政府省庁対して、セキュリティの高い通信パッケージを導入する7億5千万ドル相当の契約を受注していた。)
 Jeffersonは、Beamerがどんな声をした人物だったか、何も知らない。そして、実際に本人が電話をしてきたのかどうか確認するすべもない。同社の慣習に反して、彼女は通話の記録を残していない。Lisa Jeffersonが電話を受けた証拠があるかといえば、ソースは1つだけで、記録が何もない伝聞にすぎない。

■論点2 墜落したのは何か?■

◎ユナイテッド93は、墜落せずに、無事に不時着していたという説
 2001年9月11日朝、時間は10時から11時の間、オハイオ州クリーブランド・ホプキンス空港に飛行機が着陸した。
 911当日、WTCの2機、ペンタゴンの1機、そしてペンシルバニアに墜落した1機、計4機以外にもっと多くの飛行機がハイジャックされたとの報道が世界を駆け巡ったことを思い出すわけだが、緊急着陸した飛行機もハイジャックされ、爆破物があると騒がれていたのだった。
 そしてFBIが爆破物検知犬とともに飛行機の捜索に当った。空港にいた乗客は退去を命じられ、家路につくように言われる。乗客は自身の車を使うこともバスを使うことも禁じられた。
 マイケル・ホワイト知事はその日の11時に早速記者会見を開催する。
 そこで知事はハイジャックと爆破物のことについて言及したが、会見の途中で飛行機はハイジャックされていなかったと言質を翻す。そしてそれからあとに爆破物はなかったと発表したのだった。 知事は会見で管制官が飛行機内部の悲鳴を聞いたことを述べていたが、午後からはそのことについて述べなくなった。 

【9/11】ユナイテッド93便はNASA Glenn Research Centerに隣接するクリーブランド空港に着陸したと報道された。クリーブランド上空を飛んでいるときに、「機内に爆弾がある」「空港に引き返す」というアナウンスがあったとされる。(WCPO-TV/Pitt Post-Gazette)
 その後、NASAリサーチ・センターに避難したとされる。

◎発着記録について
http://benjaminfulford.com/index.html
 公式発表では、ハイジャックされた4機のうち、アメリカン航空11便(世界貿易センター第1ビルに激突)と77便(ペンタゴンに激突)はロサンゼルスに向かう途中にハイジャックされたことになっている。ところが、この2機の9月11日の発着記録は存在しないのである。また、ユナイテッド航空93便(世界貿易センター第2ビルに激突)と175便(ペンシルバニア州で墜落)は「到着地変更」となっている。

◎低い搭乗率
http://benjaminfulford.com/index.html
 そして、「ワシントン・ポスト」紙によると、ハイジャックされた4機はこの日だけなぜかガラガラで、平均搭乗率はわずか27%だったという。一方、ほかの便の搭乗率は9割を超えていた。これは何を意味するのだろうか。

◎謎の飛行機について
http://benjaminfulford.com/index.html
 おもしろい記事があった。テロ当日の午前10時45分、「“謎の航空機”が、オハイオ州クリーブランド・ホプキンス空港の、建設中だった滑走路に着陸した」(INN World Report)というものだ。その滑走路は米航空宇宙局(NASA)の基地に隣接していて、乗客らはそのままNASA施設に運ばれ、FBIの調査を受けた。その“謎の航空機”の便名は公表されていないが、ボストンを出発したボーイング767で、爆発物を積んでいたため緊急着陸したという。
 記事はアメリカ政府の発表に疑問をもつ人々が追及しだしたところ、全部消えてしまった。今そのページにアクセスしても、「あの記事は間違いだった」という表示しか出てこない。

◎謎の飛行機について2
ここに興味深い記事がある(INN World Report, "The Cleveland Airport Mystery")。それによれば、9月11日午前10時45分、200名の乗客を乗せた「謎の旅客機」(Flight X)がオハイオ州のクリーブランド・ホプキンス空港に緊急着陸したという。しかしその「謎の旅客機」は通常の滑走路ではなく、まだ計画中だったNASA施設そばの滑走路に着陸し、乗客らはそのままNASAグレン・リサーチ・センターへ運ばれていき、FBIエージェントによってインタビューを受けた。マイケル・R・ホワイト市長は記者会見で、ボストンから爆発物を積んだボーイング767型機がクリーブランド・ホプキンス空港に緊急着陸したが、空港の安全なエリアに航空機を移動、避難させたと語っている。

◎墜落現場について
【9/11】ある目撃者は、墜落現場には航空機の墜落を示すものは何もない、と語った。(FOX video)
サマセット郡の検死官は、「航空機はあたかもどこかで乗客を降ろしたかのように、遺体は全く見当たらない」と語った。不可思議なことに、現場には「1滴の血」もなかったという。(Pittsburg Live/Washington Post)
【2004/12】ラムズフェルド国防長官は、演説中にユナイテッド93便は撃墜されたと語った。(CNN)


 (ここから自分の憶測)
 さて、この謎の飛行機には、200人ほどの人数がいて、避難したとされている。そして、同時多発テロにおいて、犠牲となった四機の飛行機の乗客の合計が約200人であった。

 このような事から、沢山の憶測が飛び交っている。話を整理すると・・・・。
 この謎の飛行機がユナイテッド93だったのではないか。
 そして実際に、何かが墜落したのは事実だとしても、それはユナイテッド93ではなく、何か別のモノだったのだろう。

 最大の謎は、ならば乗客はどこに消えたのか??と言う事である。
 わ・か・ら・ん・・・・。
  

Posted by らっっっきー at 00:36Comments(0)