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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2012年03月12日

ブログの利点




最近、facebookとかツイッターとかはじめてしまった。


◆facebookの利点
 知り合いと馴れ合いができる。反応してくれる人の顔が見れる。自分の本名だから自分自身の自慢をして良い。顔出しをして良い。友達とのコミュニケーションが取れる。メアドを渡して仲良くなるよりも簡単に仲良くなれる。人となりが分かる。いいねを押して貰うと「承認欲求」が満たされる。

◇facebookの欠点
 知り合いしかいないからヘタな事ができない。記事を書いても見る人が不特定多数でなく狭い。ヘタな事して炎上したら人生が終わる。実名だから身動きが取れない。最大の欠点はとにかく狭い世界にしか情報発信できないという点。


◆Twetterの利点
 雑多な情報が流れるため、コンパクトに情報を得ることができる。迅速に大量に処理できる。つぶやきなので、どんなアホなつぶやきでも問題なし。失敗しても流れて消えるから良い。

◇Twetterの欠点
 フォロアーが少なければ、やはり発信できる相手が少ないままである。フォロワーの顔色を伺いながらツイートをする事になる。せっかく書いても拡散されれば良いけど、拡散されないと空しさを感じる。書ける情報量が少ない。すぐ消えてしまうから、せっかく書いても労力が無駄になる。



◆ブログの利点
 これも匿名だから、何でも書いて良い。好きなことを書ける。大量の文章を載せられるため、情報量が多くなる。好きなだけ書ける。残しておけるので、せっかく書いた事が無駄にならない。不特定多数の人が見てくれるため、自分の情報がどこまでも伝わる。

◇ブログの欠点
 反応がない。炎上されると困る。ヘタなことを書いて個人特定されたら終わる。知り合いには決して言えないため、自己承認欲求があまり満たされない。誰か見てくれてるんだろうと、孤独な作業になってしまう。
  

Posted by らっっっきー at 21:04Comments(0)日常

2006年10月30日

過去って何?? 札幌の記憶



 だんだんとブログ更新がめんどくさくなってきた。ぶっちゃけ。
 というわけで、あまり人も訪れない事だし、適当に毎日、ちょーーーーー適当に書いてみれば、良いのではないだろうか。そもそもきっこの日記とかも最初は見るに耐えないような、個人的な日記だったのであり、それが、あれよあれよというまに大きくなっていったのだ。
 文章を書く楽しみというのは、あるのだが、それがめんどくさくなってしまっては、元も子もないのだ。
 それでも今日も書いてみよう。しかしもうだんだんとただの雑文になりつつあるけど、もうそれでもいいや。めんどくせー。アルファブロガーがなんなんだ。たまには社会問題とか共有できる問題も書き込もうと思うが、ますます読者が少なくなっても良い気がする。

 秋はメランコリックになる季節である。昨日久しぶりに携帯を取り出した。
 なぜかと言えば、北海道の思い出が記録されているはずだからである。そこには、冬に訪れた北海道の写真とか、そして旅の日々の思い出が文章として記録されているはずなのであった。
 三菱のD05であった。充電して電源をつけると、日付が0000年0月0日になっていた。
 データは全てあぼーんしていた。。。。。

 記憶は、思い出は、携帯のメモリーと、共に消え行く。そして地球もそのうち滅び行く。人類とははかない・・・。人生ははーかないねー。
 
 記憶は美化されていく。そのときに強く思うのだ。この今感じてる記憶、今感じている気持ちを忘れてはならないと。だが、結局俺はそこにあった思い出を美化してしまう。そして、せつなさと共に思い出す。
 忘れながらも、更にその上に記憶を重ねていく。

 過去とはあなたにとってなんですかと昔、タイで出会った女に聞かれた事がある。
 それを聞くとその人となりが見えるということをその女は言っていた。人によっては、その色は黄色であるとか、未来は青色だとか答えるらしい。まあ当人にとっては意味があるのかもしれないが、俺にとっては、ものすごくどうでもいい下らない思いつきのように思えた。
 自分も後になって、その答えを考えてみた。それは、過去というのは概念に過ぎず、そして道具に過ぎないのだという答えであった。過去とは何か。それは時間というものが過ぎ去っていった後に、ある時点を過去と定めるのである。が、本当に過去というものがあるのだろうか。ということだ。つまり常にそこにあるのは、現在なのだ。過去とは永遠に過ぎ去ってしまったものであり、もはや存在しない。人にとって感じているものは、常に現在であって、過去というのは人工的に作られた概念に過ぎない。人が思考によって四次元空間の中で、計画し、物事を進めていく事に、「過去」という概念が役立つのであって、それは存在する何かではないのだ。
 また同時に、全ての現在は、過去になっていくのである。そして未来時点において、その過去を感じる事はできないのである。感じるのは、記憶の中で追体験する事である。それは、もはやその過去そのものではない。そして人の記憶というものは、そのような、過去概念という人工的な道具によって、形成されているのだ。

 例えば俺はかつて北海道の札幌駅で、雪の降る街で、駅の前にある銀色のアーチを見て、周りには浮浪者がいて、話すべき友達に電話が繋がらなくて、寒く、空は明るいけれど、曇っていて、人が過ぎ行く中、むなしさを感じていた。そして今みているこの銀色のアーチは、今感じているのは、正に本物であって、正に現実であって、今の自分が今感じて見ているものであって、この景色、この音、この冷たい空気、この匂いまで、全て物凄くリアルなんだけれど、きっとそれはリアルであったか否かに関わらず、少し経ってしまえば、過去になってしまい、ぼんやりとした思い出にしかならないのだろう、そして今こう思っている事すら忘れてしまうのだろうと思った。
 なぜか分からないけれど、忘れてしまうだろうなと思った事は覚えている今でも。だけど、それでも過去は過去なのだ。
 全ては一切は過ぎ行くのであり、その景色も消え行く。話すべきであった友達とは、その後やっと話すことができた。相変わらず何か本質的なところですれ違っているような気がして、もはやそれから色々あったけれど、もう会っていない。
 一切を忘れていくとしても、思い出は苦かったり美化されたりと様々であるが、それでもこうやって思い出しているときの今の気持ちは、悪くないものである。それは妄想ではなく、少なくとも過去の一時点で、リアルであったのだから。
 
   

Posted by らっっっきー at 23:11Comments(0)日常

2006年10月26日

日本ハム優勝◆北海道の想い出





 日本ハム優勝おめでとうございます。
 さて、本日の貴方のご機嫌は麗しゅう御座いますか? ではでは本題にザックリと切り込んで参ります。
 
 俺は北海道が好きだ。なぜかというと、思い出が沢山ある場所だからだ。俺は東京らへんで、生まれ育ったので、北海道には旅行で二回行っただけだ。
 チャンネル雪国をブログに選んだのも、北海道が好きだからってのがある。
 一回目は冬に一週間ぐらい札幌、函館、小樽に行った。雪がすごかった。ホワイトクリスマスであった。友達に呼ばれていった。オリンピックのスキー場でスキーをした。札幌ドームでミーシャの年越しコンサートも見た。あのときお世話になった人たちは元気かなー。もう会うのは難しいけれど。
 二回目は夏に行った。三週間ぐらいかけて、自転車で北海道を一周した。フェリーで苫小牧に着いて、札幌に行って、北大に泊まらせてもらって、スープカレーを食べて、すすきの行って、知り合いにあって、そして旭川に着いて、ラーメン食べて、そこの女の子に教えてもらった旭山動物園に行った。あの時はなしかけたサチエさん元気かなー。そして富良野にいって、美瑛にも行って、メロンを食べまくり、十勝まで行って、そして摩周湖、屈斜路湖見て、アイヌの里行って、網走まで行って、網走Tシャツを買って、流氷博物館行って、知床まで行って、滝のような温泉に行き、羊蹄山にも登った。サッポロビール工場まで行って、札幌に戻って、帰った。
 一つ一つの場所が今でも思い出せるし、良い人ばかりであった。
 
 友達になった人がいた。「心配したさーーー」と言ってくれた笑顔を忘れられない。寒い時は走るんだーと言って、雪の中走ったのも懐かしい。
 そして北大の警笛寮の人たちにも、ホントにお世話になった。そしてその恩を全然返してない。じゃんけんで負けた人が全員分おごるという、鬼のようなシステムを訪問者の俺も参加した。幸いまけることは無かったけど。
 
 北海道の自然は予想以上だった。北海道は広すぎて大変だった。そして思った以上にド田舎だった。エンエンエンエンと続く道をひたすら走ったのも、昔の思い出である。

 それにしても日本ハム優勝って事で、北海道の人たちは盛り上がっているだろう。ってゆーか札幌以外の旭川とか、釧路、根室、十勝、網走とか、北海道ってすごく広いのだが、やっぱり日本ハムは地元って感じになるのだろうか。その辺が良く分からない。まあとりあえず北海道贔屓なので、おめでとうと言いたい。ではでは。  

Posted by らっっっきー at 22:27Comments(0)日常

2006年10月16日

youtubeで窒息死lol lol



 youtubeが、googleに買収されるらしい。youtubeの面白さにようやく慣れてきたところだというのに、googleに買収されるとなると、著作権問題とかで、面白いファイルも削除されてしまうであろう。さて、本日の貴方のご機嫌は麗しゅう御座いますか? ではでは本題にザックリと切り込んで参ります。
 YouTube - 言葉にできない more than words can say
 が、非常に面白くて、笑いすぎて窒息死しそうになった。lol lol言われまくっている。lolとは、laugh out loudly / laughing out loud / lots of laughの略であって、ワロスとか、ちょwwwwwのような意味であろう。
 もともとpyaに投稿されていたようなネタである。またpyaのネタ元はどこなのだろうかと思うと、オリジナルもあるのだが、ロシアのサイトにも、同じような面白画像が満載されているのを発見した。
 http://ziza.ru/
 である。ロシア人のコメントを見ると、「笑いの金メダル」で、二秒で全裸になるという映像が投稿されていたが、「私の軍隊の仲間にも、こういう事ができる奴がいる」などと、いうコメントがあったりして、ロシア兵が、日本の面白動画を見て、笑ってるってのは、良いなーと思ったのであった。
 また、日本のコメディアンRIOってのが、自虐ネタを披露してるのもすごい。何者なんだろう。ウィンクをアジア人の俺がしても、目が開いてるのか、閉じてるのか分からないから、モテないよ。とか、頬骨で、携帯電話の電源が切れてしまうとか、ヒロシのような自虐ネタだけど、それで良いのかな・・と思うが、面白い。
 また、japanese air guitar champというのが、物凄い人気である。ダイノジは今年優勝したらしいが、それよりも全然面白い。エアギターというのは、ギターを分かってないと面白くない。
 1week of art works
 http://www.youtube.com/watch?v=jtzdxseO-gs
 には、普通に凄く感動した。日本人で、ここまで絵が上手い人がいるとは・・・・。絶句である。なぜ馬が通るのか・・・。daisuke yamamotoとは、いったい誰なんだろう。笑ったり泣いたり、youtubeをうまく使えば、テレビなんていらなくなる。
 しかし、ファイル交換ソフトは、違法であるとされて、取り潰しにあったり、裁判で賠償金を支払わされたりしているのに、かたや同じような著作権違反しまくりのyoutubeが、2000億円で買収されるというのは、なんだかなー(阿藤快)、だが、ちょっと待って欲しい(アサヒ風)って感じである。
  

Posted by らっっっきー at 23:31Comments(0)日常

2006年10月15日

ハロウィンのディズニーランドに行った




 ディズニーランドは、イスラエル支援企業であるとか、母体が創価学会であるとか、ってことは北朝鮮にも送金してるのだろうかとか、アトランティスをパクったとか、ジャングル大帝をパクったとか、いかにもアメリカ的だとか、堕落した資本主義の象徴だとか(冗談)、すんげー混んでて疲れるとか、いろいろイメージが悪くて、あまり行きたくなかったのだが、同僚の女の子に誘われて行く事になった。十年ぶり。
 行くとなったら、楽しんで行こうと腹をくくった。
 どうやらハロウィンパーティー的なノリであった。そしてホーンテッド・マンションが、ティム・バートンのナイトメア・ビフォア・クリスマス的になっているらしい。
 すごい人であった。「へーー。意外とこの遊園地、人気あるんじゃん。」とか、「ふーーん、この遊園地、意外とがんばってんじゃん」などと、俺はほざいていた。
 19:00ごろ着いたが、ナイト~は、110分待ちと言われた・・・。あ、あ、あ、あ、ありえね~~。
 そしてニッサンがスポンサーとなっているスプラッシュ・マウンテンに行った。うさぎどんが逃げまくってて、くまとキツネが物凄い悪そうな顔で、うさぎどんを火にかけて、食べようとしていたが、滝つぼに落とされて、そこが笑いの国で、しかも自分の故郷だったらしく、くまどんは、蜂にさされまくり、きつねどんは、しっぽをワニに喰われそうになっていた。ロボットの動きが、リアルであり、蜂の巣の周りに飛んでいる蜂たちが、リアルであった。ここは40分待ちぐらいで乗れた。 あの短時間で、いろいろ詰め込んでいるのは、すごい。落ちるだけかと思っていたのに。
 さて、白雪姫に行った。七人の小人の場面と、悪役世界のギャップがすごかった。白雪姫がぜんぜん出てこない。しかし、物凄く精巧でリアルで、色使いがハンパなく、美しい気がした。しかもアニメが立体になって、しかも動いている点で、しかも結構でかい点で、フィギュアを超越していた。考えてみると日本の誇るフィギュアって、ディズニーものはあるのだろうか。。。
 さて、ものすごい恐ろしい白雪姫を終わって、パレードがあった。ものすごい数の発光ダイオードである。十年前よりも進化していた。こんなにすごいとは思っていなかった。やはりテレビで見るのと、本物は違う。あれは、FANTASTIC で WONDERFULで、VIVIDで、UNFORGETTABLEであった。ミッキーとかが踊っていた。また別のハロウィン・パレードもあって、ドナルドとかが、カボチャをかぶっていた。
 ホーンテッドにもう一度行って見ると、なんと終了していた。ゴーン。
 さて、十年前に乗って楽しかったスペース・マウンテンというベタなのに行ってみた。コカ・コーラ宣伝しすぎ。無重力系でないので、左右に振られるのがたのし・・。
 そしてカリブの海賊に行った。記憶に残っているのは、海賊が女を追いかけて、グルグル回っているということだけだった。今回行ってみたら、びっくりするほどデカイ空間であった。うらぶれた暗い川を進むのは、まるでベトナムのメコン川をカンボジア国境から、通った時のようであり、懐かしかった。そして難破船のようなのとか、なんか大砲で撃ち合いしてるのとか、まあすごいっちゃすごい。まあ驚くのが15年ぐらい遅い気もするけど、ロボットの表情がリアルであった。鍵を咥えてる犬と牢屋の男たちとか。。。なんか見た気もする。そして、やっぱり海賊が女を追いかけてグルグル回ってるのがあって、最後にかみさんが男を追いかけてグルグル回っていた。。。。まあけっこうカリブの海賊は、昔から好きだったので、来れてよかった。
 
 全体的な感想。。この怖れを知らないノリというのが、すごい。迷いが無い。ハロウィンで、ステージがあって、膨大な人の群れが、音楽に合わせてノリノリで踊っているのであった。。。なんだこれは・・・。まあ楽しいんではないだろうか。そして楽しいというか、楽しくないと言えないような強制的な楽しさのノリがあると言えば良いだろうか。笑顔のミッキーとか、はしゃぎ回ってる躁状態のキャラクターには、有無を言わせぬものがある。
 また暇なとき、空いてるときにでも来てみようかなと思った。以上。  

Posted by らっっっきー at 19:10Comments(0)日常

2006年10月14日

本門寺お会式の爆走疾走系六拍子咆哮デスメタル的お経



 東京の本門寺で毎年行われてる「お会式」を見てきた。皆さんご機嫌麗しゅうございますか。今日はそのレポート。
 交通が遮断され、ホコテンに出店が連なり、太鼓を片手に持ってうち鳴らす人々たち。東京中のテキヤが集まっているかのようでどこまでも屋台が続いていた。3mはあろうかという棒の先には、長い白い飾りがいくつもついている。纏(まとい)というらしい。若い衆がそれを振り回す。重そうな纏の棒の下には、鈎型のとってがあり、軍手などを付けた手で、そこを掴みグルングルン回転させていた。
 なかなかの熱気であり、複数の様々な太鼓や金をうち鳴らす一定のリズムは、20人ごとのチームによって異なり、サンバ系、跳ねたリズム、日本演歌系など様々で面白かった。本門寺の本堂まで、公道を通り徐々にこれらの集団は近づいていく。その音量たるや凄まじかった。バスドラムに相当する大きな平たい太鼓が腹に響く。江戸っ子のような親父おばちゃんたち。そしてヤンキーっぽい奴らが主役なのであった。そうでない人も多いが。興奮の坩堝と化したトランス状態の群であり、音を鳴らし、太鼓を叩きまくり、纏は踊っていた。
 それにしてもテキヤというテキヤ、ヤンキー男ども、読んでる雑誌はEggって感じのヤンキー女たち、が集結していた。そしてヤンママたちも集合して輪になって話している。寺に続く長い石段を、その群れは進んでいくのであった。普段は閑散としていて、猫がウロウロしているような境内であったが、この日は人が多すぎて猫も見当たらなかった。
 そして本堂は、改装後初めて中に入ったが、凄かった。四分の六拍子で、160ぐらいのテンポで、和太鼓を「ド・ン・ド・ド・ン・ン」と繰り返していた。座った若い坊主が、両手にバチを持ち、右手でメインのリズムを叩き、左手でゴースト・ノートを叩いているのであった。そして、キンキラキンの物凄い豪華な龍などの飾りのついた本尊の下に、教徒が30人ぐらい座って、このメインのリズムを手に持った平たい太鼓で、叩きつつ、皆が「@ofjq@wioj@qwiojfq@wiof」と絶叫しているのであった。これには、全く無宗教の日本人の俺は、ドギモを抜かれた。物凄い音量なのである。そして皆がひとつの呪文をエンエンエンエンエンエンエンエンエンと繰り返し絶叫しつつあるのであった。20分くらいそれを見ていたが、全く同じ事をずっと繰り返しているのである。ある種異様な光景であった。外国人の人も何人か来ていて、息を呑んでこの光景を見ていた。何といってるのだろうかと思ったら、それは「ナンミョーホーレンゲンキョウ!!!」と言っているのであった。「南無妙法蓮華経」である。これにはビックリした。俺にとってそのような言葉は、マンガとか教科書にしか出てこない言葉であったからだ。それはカタカナのような音であって、意味のある言葉では無かった。カッコ良かったのは、若い坊主が絶叫して、この言葉を繰り返し繰り返し叫んでいる事であった。デスメタルのボーカルが絶叫するのがカッコ良いように、応援団が絶叫するのがカッコ良いように、普通にカッコよいのであった。疾走系のリズム、ボーカルの咆哮といったように、音楽としてそれはなかなか心を動かすものがあった。
 十分堪能したと思い、外に出た。同じように外に出てきた人たちの顔は、コンサートで興奮した後のような、恍惚とした表情であった。確かに分かる。圧倒されるものがあった。
 宗教というものに、ほとんど関わってこなかったのだが、ここで纏を振ってる集団は、日蓮宗なのだろうか。日蓮宗にもいくつか種類があるようだが、良く知らない。
 寺の外は真っ暗であったが、人の叫ぶ声と太鼓の音は、遠くからでもまだ聞こえた。明日はディズニー・ランドに行く予定だったので、さっさと帰った。
 後日、ホームページで、創●学会と日蓮正宗か何かがエンエンと、争っているのを見て、心の底からウンザリした・・・。あのようなイベントは凄いけど、まあそんなに深く関わりたくは無いなと思ったのであった。

 しかし調べてみたら、本門寺の日蓮宗と、日蓮正宗はベツモノらしく、日蓮正宗の分派が創●学会らしい。というと、本門寺は創●に攻撃されているワケではないらしい。よかったよかった。それにしても同じ仏教徒なんだから争うのは、やめれと思うけどねー。
http://www.h-ceremony.jp/knowledge/nitiren.html
 それにしても、ここを見ると仏教徒の数が多すぎなんですけどー。これおかしくないですかね。この信者数を数えてみると・・

天台宗 3,110,000
真言宗 13,820,000
浄土宗 6,500,000
浄土真宗 13,330,000
曹洞宗 6,900,000
臨濟宗 1,980,000
日蓮宗 2,300,000
日蓮正宗 16,800,000
律宗 130,000
法相宗 615,000
華厳宗 44,000
黄檗宗 350,000
時宗 300,000
融通念仏宗 120,000

合計・・・66,299,000人!!!
なんと、日本人の過半数は、仏教徒という計算になる。こんなにいるのかな??まあ信者数なんて言ったもの勝ちという世界なので、まああまり信用しないほうがよいだろうね。  

Posted by らっっっきー at 21:26Comments(0)日常

2006年10月06日

お金を持たずに生きる奴ら



 今日も先輩との話題が給料の事だった。何となくくだらねーと思った。休み時間に、海沿いの遊歩道を歩いた。魚が飛び跳ねていた。魚はお金を持っているだろうか。そのような問いは、つまり人が経済的価値を追い求めることは、代替物である金銭を求めている時点で、倒錯的なのであるという確信に立脚している。魚は財布も持っていない。生身のまま生きて死んでゆく。
 人も生きて死んでゆくのであり、其の点に関しては同じであるにも関わらず、人は多くを持ちすぎているのではないかという問いに繋がっていくのである。それは無為自然ということだろうか。それはギリシア哲学におけるストア学派という、禁欲主義的な思想と相同性がある。
 魚がATMを使って金を引き出している姿を想像したら何となくシュールだなと思った。  

Posted by らっっっきー at 22:26Comments(0)日常

2006年10月05日

宗教ってぶっちゃけ何だっけ


 宗教とは、人が発明した素晴らしい道具であると言っても良いかもしれない。昨日昼食を黙々と取りながら考えたことは、結局宗教は、他者に寛容である精神を教えるのであり、そこに関しては賛成できるが、その布教活動は、決して他者に寛容なものではなかった。キリスト教徒の異民族虐殺の歴史は、深いものがある。サンピエトロ大聖堂において、異教徒を征伐する戦士が英雄的に描かれていた。これはカラマーゾフの兄弟のイワンの独白における、つまりドストエフスキーが18世紀に看破した事ではあったが、もはやキリスト教は当初の理念を逸脱し、盲目的に権威に従い、神の奇跡を信じ、偶像を崇拝し、愚かにも考えることをやめた民衆のためにあり、また権力者の道具になってしまったのではなかろうか。しかし、宗教は生き物のようなもので、ある種コンピュータウイルスのように、或いはミームとして、文化に歴史を超えて伝承されていくものであるとすると、その伝播力を強く内包した宗教こそが、生き残るのであり、そこに寛容の精神が、宿されていようと、それとは相反する他者への不寛容と表裏一体である伝播力があるのならば、結局宗教は自己矛盾を抱えているのではなかろうか。  

Posted by らっっっきー at 10:25Comments(0)日常

2006年10月02日

荒川静香のスケートを生で見た感想

tsuru.jpg

 この前、プリンスアイス観てきた。初めてフィギュアの観戦だったけど、他の選手目当てだったし、荒川さんは、俺はそんなに美人だとは思って無くて、まあ見れたらいいなぐらいに思ってた。でもそんな俺は間違ってた。顔がちょっと可愛いかどうかなんて問題じゃない。身体全体から、醸し出すオーラ、美しさというのは、もう圧倒的だった・・・。他の選手と比べても、全く別格!!という感じだった。可愛いとか綺麗とかそういうのを凌駕してた。
 昨日の衣装は銀色でキラキラしてて、それが肌の白さと合ってて、暗闇の中、光が照らし、氷の上で白く輝いてて、この世のものとは思えない美しさだった。アヴェ・マリアの曲も幻想的だったし。ながーい手足が優雅に舞って、まるでCGみたいで、氷の上が別世界のようだった。正に息を飲んだ。イナバウアーとか、テレビで何度も見てたけど、あんなに美しいとは。なんか幻の世界に迷い込んで、この世のものではない、美しい生き物が舞うのを奇跡的に目撃した感じ。  

Posted by らっっっきー at 01:22Comments(0)日常

2006年10月01日

坂東眞砂子の犬猫殺し問題と、日本の保健所



 タヒチにおいて坂東眞砂子が生まれたばかりの子猫を崖下に投げ殺しているという事を、日経新聞に載せて、そのトンチンカンな論理と、異常な残酷性が問題になった。そして、散々掲示板などでも議論され、タヒチの刑法で裁かれる事になりそうである。まあそれは一応解決と言えば解決であるが、その議論の中で、俺が感じた事は、その不自然さであった。ということで、皆様今日もお元気でご機嫌麗しゅう御座いますでしょうか。それでは本題に切り込んでまいります。
 俺が、言いたい事は、【日本で残酷に何十万頭も保健所で殺されている犬猫の方が、よっぽど問題が大きいんだから、このタヒチ残酷ホラー作家犬猫殺し問題から、保健所問題へと議論を続けていかなければ意味が無い!!!】ということである。
 その時のカキコミをここに再掲してみる。それにしても問題も何も解決していないし、あまりに悲しい犬猫の悲哀というものを、感じざるを得ない。可愛く罪の無い動物が、無慈悲に残酷に毎日毎日殺されている現状と言うのは、信じたくも無いものである。人間もそうであるし、なぜこの世はここまで悲しさに満ちているのかと思うほどである。が、問題解決に向かうのが人間の知恵であるし、忍耐強く何かやっていかなければね。
 では、カキコミは以下の通りでごぜーます。

★★★坂東眞砂子の犬猫殺し問題と、日本の保健所問題に関するカキコミ?★★★

言っとくが、この坂東だけ責めてるのは、偽 善 者 だ。
なぜかと言うと、日本では年間50〜60万の犬猫が保健所で殺されているからだ。
http://www.tanteifile.com/tamashii/
scoop/0303/28_01/index.html
http://www.tanteifile.com/tamashii/
scoop/0303/28_01/index2.html
しかも窒息死だ!!
これは絶対に「安楽死」では無い!!
想像してみろや。できれば自分の鼻と口を塞いでどれぐらい我慢できるか試してみて、
どれぐらい苦しいのか考えてみればいい。
それで死なない場合は、生きたまま焼かれるんだよ。
坂東は、たまたま目立っただけじゃねーか。
日本には、何万人という坂東眞砂子がいるんだよ。
その膨大な死から目を背けるなよ。
それで何とかして、今の現状をもう少しマシにする為に考えた方が良いと思う。
坂東だけをスケープゴートにしたって、仮に逮捕されたって、
それで50〜60万頭の死を忘れていたんじゃ、あまりにも無意味だと思う。

★★★坂東眞砂子の犬猫殺し問題と、日本の保健所問題に関するカキコミ?★★★

いや誤解しないでくれ。
俺は坂東を擁護してるわけじゃない。あの鬼畜ババアは最低だと思うよ。
俺が偽善者だとか言ったのは、坂東「だけ!!!」を責める人のことだよ。
犬猫にヒドイ事やってるのは、日本にも沢山いて、
構造的な問題だと思うから、日本に現にある似たような問題に目を向けて欲しいと思ったのだよ。
坂東を責めるエネルギーとか関心が、
もっと身近な深刻な問題に向かっていかないかなと思ったんだ。

★★★坂東眞砂子の犬猫殺し問題と、日本の保健所問題に関するカキコミ?★★★

ホラー小説家の坂東眞砂子の猫殺し問題で色々考えてみたら、
結局犬猫が一番残酷に殺されてるのは、
保健所なんだってことに、やっと辿り着いた。
もちろん公衆衛生として社会の為に保健所は有用だと思う。

だけど年間50〜60万頭の犬猫が無意味に殺されてる現状はひどすぎる。
俺は12年間犬と一緒だったので、ホントに胸が痛む。

どうしたら減らせるか沢山のボランティアの人が考えて実践してるんだと思うけど、
俺も考えをまとめてみた。

(A)ブリーダー 飼い主
(B)保健所への持込
(C)殺害処分
(D)その他

大まかに三つの段階で考えるとして、
(A)の段階
1)既出だけど、飼い主税、ブリーダー税を取る。(頭数に応じて、特にブリーダーに重課税。)
2ICチップを義務付ける。ICチップ代。
3避妊を義務付ける。繁殖には免許が必要。(避妊には税金補助があり、安価もしくは無料で。)
4里親募集イベント

(B)の段階
5保健所へ殺害処分を依頼する段階で、高い料金を取る。(安易に気軽に持ち込む事を防ぐ)だいたい一頭当たり数万円という事にすれば、少しは負のインセンティブが働くかも。そもそもペットショップで数万円で売っているのに、殺す時はただ同然というのがおかしい。常習の人には、更に高額の負担を義務付ける。
6ICチップの読み取り機を設置する事を、全ての保健所に義務づけて、迷い犬の殺害処分を減少させる。

(C)の段階
7犬猫を持ち込んだ責任者は、自ら殺害処分の場に同席する事を義務付ける。身勝手な殺害の責任者は、少なくともその死を見届ける義務がある。
8現状のCO2による殺害は、残酷であるし苦痛が大きすぎる為、より残酷で無い方法を選択するべき。
9現状では、「安楽死」であるとは言い難いにも関わらず、その実態が知られていない。犬猫を持ち込む人間を減らす為にも、宣伝により、現実を一般人に突きつける。残酷な現実から目を背ける事より、それを直視して、問題解決への世論形成を作る事の方が重要である。

(D)その他
10善意で多くの動物を飼育する方に、過剰な税負担を押し付けるべきではないので、ブリーダーとの区別をするべき。
11保健所に持ち込まれない捨て猫、捨て犬が増加するかもしれないので、その対策。(厳罰化??)

という事で、何をやるにも金次第かなと思うので、財源を確保する為に、
●収入
1,2,5により、犬猫を飼おうとするもの、捨てようとするものから、金を取る事にする。そうすれば犬猫嫌いの人たちから、文句を言われる事も無い。またそれらは、成果である犬猫殺害処分減少とリンクさせるべきである。つまり犬猫殺害処分数が減少すれば、税金も減少させる。それにより、インセンティブを高める。
●支出
3,4,6,9,11と殺害処分費用には、金がかかるが、収入で賄うようにする。

現在は、以下だと思う。
保健所に持ち込むインセンティブ > 避妊したり育てたりするインセンティブ
避妊したり育てたりする費用 >  保健所に持ち込む費用

これを以下のようにすれば良い。
避妊したり育てたりするインセンティブ > 保健所に持ち込むインセンティブ
保健所に持ち込む費用 > 避妊したり育てたりする費用

うーむどうですかね。  

Posted by らっっっきー at 00:37Comments(0)日常

2005年08月27日

Good-bye I-chan

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 As my past was, there may be any chances if i go into another environment. And also there may be chances in the new situdation. Though it's unknown whether it's good or bad one. But honestly saying, nothing is more sad than what i feel now.
Anyway as long as i depend on someone, the misery acompanied with good-bye is terrible. If i can stand by myself and walk by myself, the misery must be small one. I like travelling alone. Because i can go anywhere by myself. And when i travelled alone and thought alone and felt alone, met many people, it was like i could turn back to be myself again. Maybe i can live by myself, so i shouldn't worry so much. But even if so, i will never forget precious memories of my friends, and never forget thankfullness for them.
It is so hard to say good-bye, but more hard thing is to lose someone who i should say good-bye... i hope I can be a good man, and hope not losing someone.  

Posted by らっっっきー at 14:28Comments(0)日常

2005年08月27日

部屋とYシャツと私について そしてオランダ

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 梅雨で洗濯物が乾かずに、部屋にYシャツが干しっぱなしになる事がよくある。Yシャツはホワイトシャツから来ているらしい。ちなみに学ランのランはオランダである。オランダと言えば、アムステルダムであり、コーヒーショップである。コーヒーショップと言えども、コーヒーばかり飲んでいるわけではなく、世界中から共通の嗜好を持つ人々が集まる。オランダはゴッホが生まれた国であり、ゴッホ美術館があり、飾り窓が存在し、運河がある。オランダは小国であるが、様々なタブーに先進的に取り組んでいる国でもある。つまり、weedに対しては、解禁、prostitutionに関しても合法、そしてeuthanasiaに対しても合法??であったと思う。

究極のタブーである死ですらも、法によって、コントロール下においてしまうという、とんでもない国であるが、そのような自由さを求め、世界中から観光客が集う。当然私はそのような世界には、一線をおいており、同じ宿で酩酊状態にある白人の人たちと友達になるのは、難しいと感じた。若い白人たちは、群れをなし、ピアスを鼻、口、耳にして、ヒッピーのファッションに身を包み、ドレッドヘアで、weedなどしている。部屋は暗く、匂いが立ち込めているが、それは健全とは言いがたい。目が血走って、日本人にフレンドリーに近づいてくるが、一歩引いてしまう。さらに盗難も多く、私もリュックを盗まれてしまった。しかし街はさすがにヨーロッパの観光都市であるから、美しく、観光名所も多い。アンネ・フランクの家や、近くには風車など。このような極端な制度は、小国ならではであり、日本では経済特区のような形でしか、実現しないだろうが、そもそもの方向性からして、実現しないであろう。その意味でも、オランダはとんでもない国である。  

Posted by らっっっきー at 14:25Comments(0)日常

2005年08月27日

別れについて



 近くにいるからと言って、心が通じるわけでもなく、遠くにいても心が通じている事もある。要は、どれだけの言葉を発する事が可能か、どれだけの言葉を受け取る事が可能か、互いを尊敬できるか、互いに興味があるのか、互いを良く知っているのかが問題であろう。そしてさらに話していく努力も必要であろう。人間関係とはレストランの客のようだ、とは小説「スタンド・バイ・ミー」の一節である。
全員が少しずつ入れ替わり、いつのまにか客は全て入れ替わっており、昔の友人とは疎遠になる。情報化社会、ユビキタス社会と言われる。どこにいても、電話やネットで通じ合えると言われる。しかし、物理的な距離をいくら縮めても心の距離を縮める事とは、別問題である。それを乗り越える努力が必要とされる。  

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2005年08月27日

今日のテーマ⇒「なぜ人は仕事をするのか」



 
 まず動物が生きる為には、仕事が必要である。つまり捕食する事や生殖行為、また子育てなどが最も原始的な意味での「仕事」であるといえよう。生物は自己保存、そして種の保存の為に、さまざまな行動をする。
 さて人間は古代より、群れで生活をし、捕食の為の狩りを集団で行った。やがて原始的な社会が生まれ、農耕・牧畜を伴う定住生活が始まった。社会の中でヒエラルキーが形成されていくにつれ、仕事の分業化が生じていった。農業、牧畜を専門に行うもの、集団の統治者、また武器を持った戦士などが、職業として、発生した。 古代ローマ帝国、ギリシアなどでは、戦争捕虜などの奴隷が労働者として、重要な役割を負っていた。人々は、働かずして、富を得る事ができ、閑を持て余した市民たちにより、哲学などが発展したと言われている。
 さて現代の日本においては、高度に分業化した社会であり、人々は自らの専門とする職業に従事している。その意味で、人は働かずして、社会の産出する富の分け前を得る事は、できず、仕事をする事は、現代人に取って、社会システム内で生きていく以上必要不可欠なものである。
 現代において、人々は働かずして、食べるだけの食料供給は存在する。また金融などのサービス部門が、先進国の経済の中心となっている。結局、現在において、人々の必要を満たすという労働よりも、金融などのシステムを利用した富の偏在により、金を儲ける事が可能となっており、市場経済の弊害は確実に存在する。そのような中で、仕事をする意味というのは、「やりがい」などと言った精神的な意味が重要になっている。   

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2005年08月27日

今日のテーマ→→→ボーナス

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 全国のサラリーマンが毎年二回楽しみにするものと言えば、ボーナスである。そもそもサラリーの語源と言えば、塩から来ているのは有名な話である。古代ローマ?(ギリシャ)において、労働者(奴隷??)に対して、塩が支給された事から、給与をサラリーと呼び、現代のサラリーマンに繋がっている。
 資本主義社会の始まり、産業革命から欧州に広がった、資本家による大規模な産業システムが始まった時期においては、労働者は搾取される存在であった。一部の資本家が富を収奪し、大規模なヒエラルキーを構成していた。社会全体に貧富の差が拡大し、労働者は劣悪な条件におかれ、社会の階層化が進展した。その時期において、農業部門などの一次産業から二次産業への転換、つまりペティクラークの法則が働き、安価な労働者が大量に都市に流入していたという背景もある。そのような労働者の搾取を背景に、マルクス経済学などの理論を基礎とした社会主義が台頭したのが、20世紀前半であった。
 その後、社会主義諸国の政治的・経済的な凋落が明白となり、社会主義及び共産主義の失敗が明らかになった。その背景には、労働者が豊かになったという事がある。社会主義への転換と言ったドラスティックな変化を遂げずして、労働者の権利などが保障されてきた。日本においても、サラリーマンの給与は戦後一貫して、向上しており、人件費が、非常に高くなっている。それがサラリーとなり、ボーナスとなり、我々の生活を潤しているのであるが、アメリカ型グローバリズムの進展により、日本型の給与体系も見直しを迫られており、安穏としていられる状況ではない。グローバリズムに安易に同調すべきではなく、日本的な経済成長モデルを今後も模索していく必要があろう。  

Posted by らっっっきー at 12:42Comments(0)日常

2004年09月22日

ファイト!

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へこむ事はあるし、それが連続する事もある。問題はそれらを連続した流れと捉らえ、それを自分に固有の確定的なものと捉らえる事だ。
今回もその前もその前もタマタマ起こった事であり、流れなどない。今日にも幸せな事が起こるかもしれない。だから自分は自分の実力で頑張れば生きていけるだろう。もっとヤバイ奴はいくらでもいる。だから今はアンテナを張って、良い状況への過渡期と捉らえ一切合財はたまたま偶発的な事象であった。だから自分は今やるべき事をやれば良いのであり、自分の力を信じ時間を無駄にせずに頑張る事である。  

Posted by らっっっきー at 01:38Comments(0)日常

2004年09月11日

適当な言葉 花とかギリシャとか

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 その花は咲き誇り、自らの恍惚をあふれる陽光に、芳醇に淫らに、華を振り乱す。君は、若さに任せた快活さをベールを身にまとうがごとき自然さで、意に介さない。垂直な刺激に撃たれた君ですら、志向すべきエネルギーの躍動を見定められず戸惑う。
  君はそれほどの跳躍を知らなかった。君はそれほどまでの充実は想像しなかった。アクロポリスにそびえる白柱の紺碧よ。白昼夢にほほえんだ女神達よ。突如として襲った喧噪のスノッブ共に生々しきビールの味と感触の脂肪を想起させた。

 地中海で透明な碧をくぐりぬける自由な水の躍動と筋肉。何を持って君は快活さと叫ぶや。未だ見ず、かの哺乳類。笑い声すらその真からの明るさをつまびらかにせんや。

 意識的な退廃を、古都の名残に重ねるだろう。絶対の日射は生い茂る植物を愛し、重ねられた罅割れた石は、歴史を表情を、人間存在の軽さ重さ、込められた下品な笑顔と共に想起するだろう。  

Posted by らっっっきー at 05:15Comments(0)日常