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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2005年08月27日

中国の反日暴動について



 反日教育により育てられた若者が中心であった。大使館の窓が割られたり、日本料理屋が襲撃されたりといった事が報道された。元々は日本企業の工場に勤務する労働者達の賃上げデモから派生したと言われている。またサッカーにおいても、日本選手に対する攻撃など、日本人の神経を逆撫でするような報道が多くなされた。
 大国は、外部に敵を作る事で、内部結束を高めることがある。中国において、デモが発生したものの、国際的な非難を浴びた途端に収束した。これは民衆により主導されたデモではなく、官主導であった事を物語っている。中国人の間では、今日本に行ったら酷い目に遭うという噂が広がっていると言う。つまり、彼らも悪い事をしたという自覚は持っているのである。
 中国は安価な労働力や、外国資本の誘致策により、未曾有の経済成長を遂げ、世界の工場となっている。理工系の大学の卒業者は、日本の約十倍おり、人材の点でも今後急成長を遂げる可能性がある。中国が今最も恐れているのは、2008年の北京オリンピックの中止である。無秩序な暴動が起こるような国に、IOCは開催中止を要請する事があるからである。
 日本にも今、反中感情が高まっているが、結局、感情的な対立は何も生まない。外部に敵を作り、内部結束を高める事、それは日本も同様なのであり、反中的な報道も鵜呑みにする事は、危険である。十把一絡げに、イメージを作ってしまう事は、偏見を生む可能性がある。隣人である事は、宿命であり、共生の道を探る事が歴史の必然であろう。将来的には、東アジアにおいても、EUのような、経済協力体制を作る事も考えられている。
 しかし問題は山積みである。大国である中国は、未だに対外膨張主義を取っており、チベット問題しかり、台湾問題しかり、そして日本しかりである。やはり日本にとって脅威である事は確かである。
 中国が現在最優先にしているのは、経済成長であり、軍事的な対外進出は、控えめになっているが、将来的に中国の内政がどのように変化するかは未知である。政冷経熱である日本と中国の関係であるが、様々な過去の課題を乗り越えていく努力が必要であろう。  

Posted by らっっっきー at 14:49Comments(0)戦争とか世界とか

2005年08月27日

Good-bye I-chan

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 As my past was, there may be any chances if i go into another environment. And also there may be chances in the new situdation. Though it's unknown whether it's good or bad one. But honestly saying, nothing is more sad than what i feel now.
Anyway as long as i depend on someone, the misery acompanied with good-bye is terrible. If i can stand by myself and walk by myself, the misery must be small one. I like travelling alone. Because i can go anywhere by myself. And when i travelled alone and thought alone and felt alone, met many people, it was like i could turn back to be myself again. Maybe i can live by myself, so i shouldn't worry so much. But even if so, i will never forget precious memories of my friends, and never forget thankfullness for them.
It is so hard to say good-bye, but more hard thing is to lose someone who i should say good-bye... i hope I can be a good man, and hope not losing someone.  

Posted by らっっっきー at 14:28Comments(0)日常

2005年08月27日

部屋とYシャツと私について そしてオランダ

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 梅雨で洗濯物が乾かずに、部屋にYシャツが干しっぱなしになる事がよくある。Yシャツはホワイトシャツから来ているらしい。ちなみに学ランのランはオランダである。オランダと言えば、アムステルダムであり、コーヒーショップである。コーヒーショップと言えども、コーヒーばかり飲んでいるわけではなく、世界中から共通の嗜好を持つ人々が集まる。オランダはゴッホが生まれた国であり、ゴッホ美術館があり、飾り窓が存在し、運河がある。オランダは小国であるが、様々なタブーに先進的に取り組んでいる国でもある。つまり、weedに対しては、解禁、prostitutionに関しても合法、そしてeuthanasiaに対しても合法??であったと思う。

究極のタブーである死ですらも、法によって、コントロール下においてしまうという、とんでもない国であるが、そのような自由さを求め、世界中から観光客が集う。当然私はそのような世界には、一線をおいており、同じ宿で酩酊状態にある白人の人たちと友達になるのは、難しいと感じた。若い白人たちは、群れをなし、ピアスを鼻、口、耳にして、ヒッピーのファッションに身を包み、ドレッドヘアで、weedなどしている。部屋は暗く、匂いが立ち込めているが、それは健全とは言いがたい。目が血走って、日本人にフレンドリーに近づいてくるが、一歩引いてしまう。さらに盗難も多く、私もリュックを盗まれてしまった。しかし街はさすがにヨーロッパの観光都市であるから、美しく、観光名所も多い。アンネ・フランクの家や、近くには風車など。このような極端な制度は、小国ならではであり、日本では経済特区のような形でしか、実現しないだろうが、そもそもの方向性からして、実現しないであろう。その意味でも、オランダはとんでもない国である。  

Posted by らっっっきー at 14:25Comments(0)日常

2005年08月27日

別れについて



 近くにいるからと言って、心が通じるわけでもなく、遠くにいても心が通じている事もある。要は、どれだけの言葉を発する事が可能か、どれだけの言葉を受け取る事が可能か、互いを尊敬できるか、互いに興味があるのか、互いを良く知っているのかが問題であろう。そしてさらに話していく努力も必要であろう。人間関係とはレストランの客のようだ、とは小説「スタンド・バイ・ミー」の一節である。
全員が少しずつ入れ替わり、いつのまにか客は全て入れ替わっており、昔の友人とは疎遠になる。情報化社会、ユビキタス社会と言われる。どこにいても、電話やネットで通じ合えると言われる。しかし、物理的な距離をいくら縮めても心の距離を縮める事とは、別問題である。それを乗り越える努力が必要とされる。  

Posted by らっっっきー at 14:18Comments(0)日常

2005年08月27日

Japanese and terrorism

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Nowadays world is threatened by terrorists, so to say. We heard everyday about the news of terrorism.
At last what I'd like to mention is there is no way to distinguish the terrorist's terrorism and the attack taken place by the government. It is true that innocent people are killed by terrorist's attack. But many more innocent people are dying be the military. And also, it is impossible to define what is evil and justice.
The world is in chaos and winner can monopolize the wealth, but what made me mad is the nature of hypocrite of the winner's side of official statement about the war. The more powerful they become, more hypocrite they are.
World can be stabilized by the power balance, they say. It's true, in a way. So Japan has no other choice but depending on USA's power, they say. The conclusion is that if you don't want current situation, Japan has to have its own power and independence of USA. I don't know what is the best way. But we shouldn't give up everything and stop thinking. We'll find the way…  

Posted by らっっっきー at 14:07Comments(0)戦争とか世界とか

2005年08月27日

Cool Biz

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 クールビズが今夏から、一斉に導入されているようである。小泉首相が率先して取り入れた事で、省庁においても、民間においても大規模に広まっている。
 感想としては、はっきり言って全く驚きである。今までの固定概念を覆すような、このような運動がこれほど短時間に大規模に導入される事に、出くわすとはすごいと思う。しかも年上の世代は長い習慣をそれほど簡単に変えないだろうという思い込みがあっただけに、驚きである。ニュースでの国会中継で、ネクタイをしていない人間が国会にいるのは、かなりの違和感がある。学生から社会人になる段階において私はネクタイに抵抗感があったが、今ではネクタイはファッションに無くてはならないものという気がしている。フォーマルな装いの価値を知ったのである。人の価値観は簡単に変わるのかもしれない。要は今まで無かったものが、ある時に違和感を覚え、その逆もしかりであったから。ネクタイを締め、スーツを着れば、どのような人であっても、一種の社会的ステータスを得る事ができると思う。それが無くなってしまうと、フォーマルさという防具の無くなった生身の人が大量に出現する事になるが、そこに問題は無いのだろうか。
 さて、そもそもクールビズとは、オフィスの冷房緩和が目的であり、京都議定書において、1990年当時より、20??年までに日本はx%の二酸化炭素削減が義務付けられているにも、関わらず当時よりy%も増えてしまっており、排出取引などの手段を用いるにも限界があり、CO2を減らす努力を少しでもしない事には国際的な非難を浴びかねない為、実施した具体的対策の一つである。アメリカは世界の半分近くのCO2を排出しているが、京都議定書の批准をしていない。温暖化の問題は、その急激さである。異常気象、海面上昇などの問題、農業や自然に及ぼす影響も深刻であろう。
 もはやそれは具体的な脅威であり、世界的な取り組みが必須なのであるが、環境問題が難しいのは、人々の行動原理と、対策の不一致が根本にある事である。クールビズはファッションや流行といった側面も強い。さらなる具体的なCO2削減策は、さらにドラスティックなものにならざるを得ないであろう。  

Posted by らっっっきー at 13:47Comments(0)流行

2005年08月27日

無について (テーマfrom Iさん)

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 世界の成り立ちを考える時に、何故世界は存在するのかという哲学的命題に辿り着く。古代からの哲学の命題に関しては、科学が答えを出してきた。現代は科学万能主義であり、その成果は物理学が発達した中世後の西欧によって主に生み出された。
 約250億年前にビッグ・バンがあったと言われている。そして一瞬で世界の温度は下がり、水素とヘリウムだけであった物質が、次第に大きな原子に変化したと言われる。 そのビッグバンの前にあったのは、物質と反物質の遊離である。物質はこの世界に存在する我々が良く目にするものである。クオークなどの素粒子は物質である。そして反物質というものが存在し、実際に確認されている。物質には、それぞれの素粒子に対応する反物質が存在し、反物質と物質が衝突すると、それらは消滅する。逆に、無から有が生まれるのは、無から物質と反物質が生成し、それが遠く離れた場所に存在する事で、それぞれ物質、反物質が存在する事になる。
 しかし何故そのように遊離したのかは、分からないし、その説を検証するのも難しい。そもそも物理は専門では無いので理解不能な世界である。
 私の好きな本に、「ホーキング宇宙を語る」というものがあるが、その中で印象に残った話がある。宇宙には様々な定数が存在する。重力定数しかり、プランク定数しかり、光速度も定数である。これらの定数が少しでも別の値であったならば、絶対に地球や人間が存在しない。人はこれらの定数を発見し、何故これほど世界はうまくできているのだろうと考える。しかしそれは原因と結果が逆なのであり、そのような定数の異なる宇宙が仮に存在するならば、そこに人間は存在し得ないのである。まず人間が存在し、ちょうどよい宇宙が存在するという考え方を強い人間原理、そして数多くの宇宙の中にたまたま人間の存在しうる宇宙が存在しているという考え方を弱い人間原理と呼ぶと、ホーキング氏は述べている。(ような気がした)
 そのような哲学的な命題などを考えると、存在する事、生きる事はすごい事なのだと思わざるを得ず、日々を無駄にせずにいたいと考えるのである。  

Posted by らっっっきー at 13:21Comments(0)勉強

2005年08月27日

ハンガリー動乱について



 先日タイに旅行した時に、ハンガリーの大学生と友達になった。今でもメールをやり取りしている。日本の文化に対して理解があり、数ヶ国語が話せるとても好感の持てる青年である。彼にハンガリーの歴史を教えてもらい、ハンガリー動乱というものがあった事を知ったが、先日NHKの番組で、ハンガリー動乱についての特集があった。
 戦後、旧ソ連はワルシャワ条約などの、社会主義諸国との同盟、干渉を強めていった。ハンガリーにおいて、1960年ごろは、社会主義のシステムが硬直し、経済は停滞し、民衆に不満が溜まっていた。大学生のデモがあり、レーニン像の撤去、表現の自由などを求め、国会まで数万人が行進するという出来事があった。それに対応する為、ハンガリーに常駐していたソ連の軍隊が出動し、ブダペストの街に戦車が溢れる事になった。しかし最初はデモは平和的なものであり、民衆の主張に共感したソ連兵が戦車に民間人を乗せて街を走るなどという光景があった。しかし情勢は徐々に悲惨になってゆく。ハンガリーの秘密警察は当時悪名高かった。ブダペストの広場において平和的に集まっていた市民に、何者かかが発砲し、100人近くが死亡した。おそらく秘密警察の仕業であると言われている。市民たちは武器を持ち、秘密警察及びソ連兵との市街戦を繰り広げた。ソ連軍は一度引き揚げたが、市民達による秘密警察本部の襲撃(多くの秘密警察員たちが処刑された。)に対し、フルシチョフなどを中心としたクレムリンでは、ハンガリーに対し強行策を取る事が決定され、戦車数千台、兵士数千人がハンガリーに投入された。ブダペストは血みどろの市街戦となり、16000人ほどのハンガリー人が死亡した。そしてその後旧ソ連のハンガリーに対する支配は強まった。

 私の友人のハンガリー人は、このハンガリー動乱について触れ、アメリカはソ連の横暴に対して、何もせず放置していた。だから私はアメリカが嫌いだと述べていた。(英語で)
 しかし当時は、スエズ動乱??などで、西欧はハンガリーなどの問題に、取り掛かれなかったと言われる。またアメリカが介在して、ベトナム、朝鮮半島のような悲劇が起こったら、その方がさらに状況は深刻になるであろうし、難しい問題である。
 さて冷戦崩壊後、東欧諸国は、旧ソ連の束縛から解放され、市場経済への移行及び言論の自由が増え、ハンガリー動乱の際に学生がデモで要求していた事項は、ほぼ実現した。経済が停滞している国もあるが、商品は増え、市民は自由を楽しんでいると言われている。
 結局の所、合理的なほうへ、国のシステムは移行したわけであり、旧ソ連も弱体化した。これは歴史の必然であっただろうが、その過程で流された血を、忘れるべきでは無いであろう。  

Posted by らっっっきー at 13:07Comments(0)戦争とか世界とか

2005年08月27日

今日のテーマ⇒「なぜ人は仕事をするのか」



 
 まず動物が生きる為には、仕事が必要である。つまり捕食する事や生殖行為、また子育てなどが最も原始的な意味での「仕事」であるといえよう。生物は自己保存、そして種の保存の為に、さまざまな行動をする。
 さて人間は古代より、群れで生活をし、捕食の為の狩りを集団で行った。やがて原始的な社会が生まれ、農耕・牧畜を伴う定住生活が始まった。社会の中でヒエラルキーが形成されていくにつれ、仕事の分業化が生じていった。農業、牧畜を専門に行うもの、集団の統治者、また武器を持った戦士などが、職業として、発生した。 古代ローマ帝国、ギリシアなどでは、戦争捕虜などの奴隷が労働者として、重要な役割を負っていた。人々は、働かずして、富を得る事ができ、閑を持て余した市民たちにより、哲学などが発展したと言われている。
 さて現代の日本においては、高度に分業化した社会であり、人々は自らの専門とする職業に従事している。その意味で、人は働かずして、社会の産出する富の分け前を得る事は、できず、仕事をする事は、現代人に取って、社会システム内で生きていく以上必要不可欠なものである。
 現代において、人々は働かずして、食べるだけの食料供給は存在する。また金融などのサービス部門が、先進国の経済の中心となっている。結局、現在において、人々の必要を満たすという労働よりも、金融などのシステムを利用した富の偏在により、金を儲ける事が可能となっており、市場経済の弊害は確実に存在する。そのような中で、仕事をする意味というのは、「やりがい」などと言った精神的な意味が重要になっている。   

Posted by らっっっきー at 13:02Comments(0)日常

2005年08月27日

本日のテーマ 栗焼酎について

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 飲み会などで、アルコールを摂取する機会が多くなってきた。
 酒に含まれるアルコールは、二つの炭素原子に、OH基がついたエタノールの事である。まずグルコースなどの糖を加水分解していくと、グルコースの環状構造から、直鎖構造になり、さらに分解して、エタノールとなる。人は血中のアルコール濃度が高まると、酩酊状態になるが、肝臓において、さらに分解され、アセトアルデヒド、酢酸を経て、二酸化炭素と水に分解される。二日酔いなど、悪酔いする状態というのは、多量のアルコールを分解しきれずに、人体に有害なアセトアルデヒドが血中に残存する事により生じる。 糖を分解する過程で、必ずしもアルコールが生じるわけではないが、酵母などを用いる事で、糖からアルコールを生成する事ができる。よって原理的には、糖を含む農作物は、酒にする事ができる。
 世界には、さまざまな原料から生成された酒が存在する。例えばロシアでは、ジャガイモを原料としたウォッカ、フランスなどではブドウを原料としたワイン、ドイツでは小麦・大麦などからビール、中米においてサトウキビからラム、日本では米から日本酒などのように、世界の土地名産の酒が存在する。
 最近、芋焼酎、麦焼酎などの焼酎が流行しているが、栗焼酎なるものも存在している。栗は裸子植物の種子であり、それ自体で発芽して成長する為、胚の部分には、多量の糖質が含まれており、アルコールへと転換する事が可能である。マイナーではあるが、徐々に人気が出始めており、酒通として知られるI氏の今夏イチオシの酒である。  

Posted by らっっっきー at 12:54Comments(0)食文化

2005年08月27日

今日のテーマ→→→ボーナス

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 全国のサラリーマンが毎年二回楽しみにするものと言えば、ボーナスである。そもそもサラリーの語源と言えば、塩から来ているのは有名な話である。古代ローマ?(ギリシャ)において、労働者(奴隷??)に対して、塩が支給された事から、給与をサラリーと呼び、現代のサラリーマンに繋がっている。
 資本主義社会の始まり、産業革命から欧州に広がった、資本家による大規模な産業システムが始まった時期においては、労働者は搾取される存在であった。一部の資本家が富を収奪し、大規模なヒエラルキーを構成していた。社会全体に貧富の差が拡大し、労働者は劣悪な条件におかれ、社会の階層化が進展した。その時期において、農業部門などの一次産業から二次産業への転換、つまりペティクラークの法則が働き、安価な労働者が大量に都市に流入していたという背景もある。そのような労働者の搾取を背景に、マルクス経済学などの理論を基礎とした社会主義が台頭したのが、20世紀前半であった。
 その後、社会主義諸国の政治的・経済的な凋落が明白となり、社会主義及び共産主義の失敗が明らかになった。その背景には、労働者が豊かになったという事がある。社会主義への転換と言ったドラスティックな変化を遂げずして、労働者の権利などが保障されてきた。日本においても、サラリーマンの給与は戦後一貫して、向上しており、人件費が、非常に高くなっている。それがサラリーとなり、ボーナスとなり、我々の生活を潤しているのであるが、アメリカ型グローバリズムの進展により、日本型の給与体系も見直しを迫られており、安穏としていられる状況ではない。グローバリズムに安易に同調すべきではなく、日本的な経済成長モデルを今後も模索していく必要があろう。  

Posted by らっっっきー at 12:42Comments(0)日常

2005年08月27日

本日のテーマ 覗き

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 昨今覗きの問題が大きな社会問題になっている。「深遠を覗き込むものは深遠に逆に覗き込まれる」とはニーチェ(???)の言葉である。人間の知的好奇心というものは、タブー領域に踏み込む原動力となる。科学技術の発展、また文学、文化というものは、パイオニアとしての新領域に踏み込み、それは時にタブー的なものへの侵犯がある。中世のキリスト教社会において、裸を描く事には、タブーがあった。しかしイタリアから花を開いたルネサンス期において、裸体の美しさ、人間的なるものを自由に描くという文化が生まれた。
また19世紀(?)において、フランス(?)では、女性が体のラインを見せる服を着る事は、ご法度であった。ココ・シャネルは、そのタブーを打ち破り、女性の体のラインが目立つような服をデザインし、時代の寵児となった。さて、タブーというものは、実際大きな危険を伴う。闇を覗き込む人間は、その闇自体に飲み込まれる事の無き様努める必要があろう。現在日本の刑法において、覗き自体は軽犯罪であり(??)、痴漢や強姦などの重大な処罰のある性犯罪とは一線を画している。(?)しかし、個人の社会的なステータスには大きなダメージを受け、社会人たる個人の経済的、社会的なダメージは計り知れず、そのリスクを考えれば、少なくともマトモな社会人のする事ではあるまい。某タレント、某経済学者たちが、社会的に受けたダメージは相当なものである。何故そのような自体に至ったのかの答えはそれほど明白ではないが、結局の所人間の脳は大脳新皮質のみで構成されているわけでは当然無く、本能的な部分が大きく、本能を御し切れなかった事に不幸があったのであろう。  

Posted by らっっっきー at 12:36Comments(0)ヒマ人

2005年08月27日

 本日のテーマ パスワードについて。

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 2005年4月1日から、情報公開法が施行され、情報を取り扱う業者に対する情報漏洩対策義務などが課された。我社も同様にこの法律の影響を受け、社員に対する教育の徹底、情報倫理の向上を図る為の対策がとられている。個人情報の漏洩は、昨今大きな問題となっており、インターネットにおいては、個人情報は溢れており、容易に入手する事が可能である。ある一定規模の情報を取り扱う業者に対しては、この法律による罰則が設けられたが、小規模の業者、また個人による、個人情報の漏洩に対しては、罰則がまだ無い。個人情報保護法の施行は、結局のところ、個人情報保護の流れの始まりに過ぎず、法整備には未だ不備が多い。 ところで、情報のセキュリティにおいて、パスワードは、重要な役割を果たしており、多くのケースにおいて、個人の特定には、IDとパスワードが鍵となっている。また生体認証として、網膜や指紋、手の血管を用いた個人特定がなされている。
 さて我が同僚の某Iさんがあろうことかパスワードを無くすという事態に見舞われた。信じがたい事に、パスワードを再発行してもらうという尋常ならざる措置を受け、九死に一生を得て、危機を免れた。彼女がこの先どのような事態に見舞われようとも、我々同僚は共に助け合い、決して見捨てるような事のないようにしたい。  

Posted by らっっっきー at 12:29Comments(0)ヒマ人

2005年08月27日

インドカレーについて

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本日印度伽里なるレストランで昼食を摂ったが、私の一ヶ月に渡るインド旅行で食べたカレーを考えると、物足りないものがあった。インド人は確かにカレーばかり食べているが、一口にカレーと言っても、非常に多様性があり、また地域によっても異なる。 カレー自体も多様であるが、食材も多様であり、チキン、マトン、ポーク、フィッシュなどの蛋白源、さまざまな野菜、そしてチャパティ、ナン、ライス、イモ類などが、複雑に組み合わさる。神聖な動物である牛は、滅多に食べられない。コリアンダー、クミンなどの香辛料を使用しているが、それほど辛いわけではなく、東南アジア料理には及ばない。またインドにおけるカレーは確かに美味ではあるが、概して衛生的とは言い難く、私は二回食中毒で入院した。インドはヒンズー教の影響で、菜食主義者が多く、レストランにおいてもVegeとNon-vegeの二つをまず選ぶ必要がある。裕福で無い階層の人々に取ってもNon-vegeは良く食されている。また日本でインドの本格的なカレーを味わう為には、専門店に行く必要があるが、値段は5〜10倍程度になり、庶民的な料理とは言い難くなる点が面白い。  

Posted by らっっっきー at 12:17Comments(0)食文化