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2006年11月04日

未履修科目で大騒ぎ




 最近、いろいろ調べて書いていたら、疲れた。結局2chとかのネタを元にしてるのだけど、いろいろ考えさせられるものはあると思うし、調べることで自分の中で、何が問題かということがわかるというのが、一番の収穫だ。
 さて、華麗に話題を転換して、今日は、きっこの日記風に、どれだけ沢山の文字を稼げるかということをやってみたいと思う。さて、本日の貴方のご機嫌は麗しゅう御座いますか? ではでは本題にザックリと切り込んで参ります。

 とりあえず今日のきっこの日記は、大学受験と、高校の単位見取得問題について書いている。そして灘高校のやり方とか、いろいろ批判していて、大学に既に入ってる人にも、未履修の人がいるって分かっているんだから、そういう人たちの大学合格を取り消さないと、不公平なのではないかということをおっしゃっている。
 確かに不公平といえば不公平である。勉強時間が足りないのが、受験生であって、一日を無駄にすることなく、いかに短い時間で、東大合格レベルにまで、実力をつけなければいけないかというのが、勝負なのだ。

 俺は浪人して、一年がんばっちゃった後に、大学に合格したので、現役の時は、徹底的にアホだった。それを考えると、よくもまあ授業といううっとうしく邪魔くさいものを受けながら、足りない時間の中で、東大合格なんてできたなあと、現役の人には、尊敬さえ覚えるのである。っていうことで、とにかく時間が足りないなかで、一生懸命勉強するのが、受験生なのであって、そうやって、未履修時間なんか、いろいろ考慮して、無駄に勉強してたら、受かるものも受からなくなっちゃうのだ。

 さて、実を言うと、よくよく思い出してみると、もう数年前になるのだが、高校三年生の時は、履修した科目がやけに少なかったような気がする。そして、適当に授業の出て、皆家に帰ったりして、適当に自分で勉強していたような気がする。つまり、俺も未履修時間があった可能性があるのだ。とカミングアウッッッットォォォォォォォ!!!

 しかし、はっきり言って、いくらなんでも生徒は、それを知らないと思う。つまり、自分に未履修があるのかどうかなんて、分かるわけが無いのだ。自分ではまじめにかったるい授業に出て、卒業できると思っていたのに、学校のせいで単位が足りないなんていきなり言われたって、寝耳に水、晴天の霹靂、そんなバナナって感じである。これは、全面的に学校が悪い。そして、今まではそれでも別に、誰も問題にしていなかった。それが問題であろう。そしてとにかく皆が、これで別に良いのだと思っていたのだ。

 それをいまさら、おかしいと言い出したのだ。いまさらである。何でもっと前に言わないのだ?? これって何??
 灘高とかは、ずるかったのだろうか。ルールはルールだとしても、それを今まで守っていなかったというか、ザルだったのだろう。でももしそれを誰も問題にしていない状況であれば、自分の学校もそうやっても問題ないという考えだったのだろう。それがグレーゾーンだったのか否かは分からないが。。。グレーゾーンだと思っていたのかもしれない。
 そんなグレーゾーンは、例えば原チャリは、公道を走る時は30km/hで走らないといけないというルールがある。しかし、誰もそんな事守っていない。みんなそんなルールはバカバカしいと思っているし、第一ゆっくり走っていたら危ない。追い抜かされて死ぬかもしれないし、クラクションを鳴らされる。しかも周りの原チャリを見ると、誰もそんなゆっくり走っていない。だったらいつの間にか自分も50km/hで走る。そして警察を見ても、なんと警察すら30km制限を守っていない。普通に走っている。そして自分も取り締まられる事もない。そしていつしか、そんなルールがあったことすら忘れてしまう。ただの「おきまり」でしょ。そんなもん。アホか。ってな感じである。そしてルールの形骸化が始まる。
 そういうルールの形骸化というのは、至るところにある。まあ良くはないって分かっているんだけど、まあ現実がそうなっているんだから。まあまあ。誰にも迷惑かけてないからいいじゃないって感じである。

 さて、ってなわけで、今日はきっこには追随せず、自分が受験を頑張った上、なんか知らないけど、未履修のような気がしてきたので、無理やり自己弁護をしてみたけど、どうなんだろう。

 今の高校三年生は、かわいそうである。今までこれでよかったのだし、目をつぶられていた形骸化したルールを急に問題にさせられているのである。
 はっきり言って、高校に求められているのは、大学合格である。確かに、高校に行く目的は色々あるし、部活動も楽しいし、友達も沢山いるし、ファッションとか、流行に乗り遅れないようにするために、いろいろがんばる場所というのもわかるのだが、一義的には学校は、勉強をするところである。
 勉強といっても、役に立つ勉強もあれば、ただの受験のための勉強もある。そして高校でやるのは、受験のための勉強が主なのである。

 うちの学校は、ただの公立高校だったので、のんびりしたものであった。確かに学校の授業のコマ数は減ったが、いまさらそんなことやってんじゃねーよというようなレベルの数学や、物理などの授業があった。生徒はあせっているので、もっと難しい問題を解かなければならないという脅迫観念にとりつかれているので、簡単すぎる授業や、センター対策みたいな温い授業なんて聞いてられねーという感じである。

 例えば同じ高校にも、東大や医学部を狙う人もいれば、もっと簡単な短大を狙う人もいる。それが一緒に授業を受けているという時点で、かなり無駄があるのだ。

 もしこれが私立高校であったら、もっと塾並みの勉強をしているのだ。それを俺は後から聞いて心底うらやましいと思った。無駄な授業に出なければならなくて、勉強の時間が削られて、しかも勉強は良く分からないし、あせりは生まれるし、しかも周りの方が、なぜかみんな頭がよいように見えてくるのだ。もし私立高校であったならば、履修規定など糞食らえってな感じで、ガシガシと東大の過去門などの演習をやってくれるのだ。それは本当に需要と供給であって、それを求めている生徒にとっては素晴らしいものなのだ。

 そして、高校サイドも、履修規定なんて糞食らえという、きっこ風に言えば、インチキ高校。受験生からしたら、「漢」と書いて、おとこと読むような高校である。

 さて、・・・・そんなわけで、話を変えると、授業の最中に、妄想をすることが良くあった。つーか話を聞いていないことがよくある。というか、今でもよくある。授業というのが、中学くらいから大嫌いだったのだ。ものすごく意味がないとずっと思っていたのだ。

 なぜかというと、話を聞いていて、分からないところがあると、そこから分からなくなってしまう。しかし先生は、それにも関わらず先にどんどん進んでしまう。そこで、分からないので黒板に書いてあることを一生懸命考える。すると、さらに話は先に進んでしまう。そして、ようやく分かったと思ってから、ノートに書き始めると、もう黒板を消してしまって新しいことを話し始めてしまうのだ。
 何よりもウザかったのは、話をきくことと、理解することと、ノートをとることの三つを同時に進めていって、しかも、それが全く未知の領域であることだ。

 そんな授業自体が嫌い状態であったのは、中学ごろからである。小学校までは、勉強などしなくても、テストで100点が当たり前であった。それは授業中にノートをとらなかったからだ。先生は、黒板を使わずに、模造紙に授業内容をどんどんマジックで書いていくのであった。そして、生徒は、鉛筆など持たずに、とにかく集中して、話を聞く。そして先生は、話しながら書いていく。とにかく理解することに集中しているし、たまに質問をして、緊張感を途切れさせなかった。そして、ノートを取るときは、ノートをとる時間を与えるのである。それでノートを取るという作業に関しては、別に不得意というわけではないので、集中して、ノートを取ることができた。そしてオール5の成績だったのである。

 しかし中学に入って、それは変わった。黒板に書きながら、どんどん消していくので、聞く事、読むこと、書くことを同時に、別々に行う必要があったのだ。今でこそそのような方式であっても、大丈夫であるが、当時はダメであった。ノートに書くという作業が一大事であった。俺は当時、今でも、字が汚かった。そして、字のキレイな人に憧れていたので、無駄に、時間をかけて、ノートをキレイに書こうとするのだ。そうすると、一つ一つの字を書くことに神経がいってしまって、書いている文字の内容に頭が入っていかなかった。そして、いわんや先生の話を聞くことも無かった。そして、これは俺以外にも良くある話だとおもうのだが、先生の話はまったく聞かずに、ひたすら、少し時間差で、黒板からノートに録画していく作業に追われることになる。
 はっきり言おう。ノートをとることをヤメナサイと。
 そして、先生にも言いたい。黒板に書くことをノートに取らせるくらいだったら、最初から、レジュメを配りなさいと。

 実際そうしてくれる先生もいて、それはそれでありがたかったのであるが、やはり中学の勉強はある程度難しいので、テスト前に勉強するという習慣が、そこで始めてみについたのであった。そして初めて教科書を読むような状態で勉強して、なんとか良い成績を取るという、パターンに陥っていった。そして、普段、授業なんて適当に聞いてて良くて、テスト前にだけ、ガーッと勉強すれば、良い成績取れるじゃんという、甘い考えで、高校三年生までの六年間きてしまったのである。
 
 これは、かなりダメな習慣である。大学受験には、それは通用しなかったのである。そこで初めて俺は、継続して計画的に勉強するということを身に着けたのであった。

 さて、華麗に話題を戻して、灘高だけど、まあ今では先生も生徒も大変だろうなと思う。受験のペースを狂わせるんじゃねーよ。とキレているであろう。つーか、まあ俺別にカンケーねーし。
 俺の予測であるが、これはそもそも履修科目の義務自体がオカシイという話になっていくであろう。まあ今までグレーゾーンであった話をきっちりと、決めて、別に灘高のやり方でいいじゃねーかという話に無理やりもっていくであろう。すると、学習指導要領の改訂が、スムーズにいく。すると、その流れで、教育基本法まで、さりげなく、改正しちゃおうみたいな、奇妙な流れができるのではないだろうか。
 これぞ正に、カルト統一教会というか、日本の新しいバカ安倍シンゾー的な奴らが、やりたい事であるのだ。そういうことなら、話は違うぞ。てめーら絶対に日本をカルト的にはさせねーからな。と思う今日このごろなのだ。。。。  

Posted by らっっっきー at 23:08Comments(0)社会