2005年08月27日
無について (テーマfrom Iさん)
世界の成り立ちを考える時に、何故世界は存在するのかという哲学的命題に辿り着く。古代からの哲学の命題に関しては、科学が答えを出してきた。現代は科学万能主義であり、その成果は物理学が発達した中世後の西欧によって主に生み出された。
約250億年前にビッグ・バンがあったと言われている。そして一瞬で世界の温度は下がり、水素とヘリウムだけであった物質が、次第に大きな原子に変化したと言われる。 そのビッグバンの前にあったのは、物質と反物質の遊離である。物質はこの世界に存在する我々が良く目にするものである。クオークなどの素粒子は物質である。そして反物質というものが存在し、実際に確認されている。物質には、それぞれの素粒子に対応する反物質が存在し、反物質と物質が衝突すると、それらは消滅する。逆に、無から有が生まれるのは、無から物質と反物質が生成し、それが遠く離れた場所に存在する事で、それぞれ物質、反物質が存在する事になる。
しかし何故そのように遊離したのかは、分からないし、その説を検証するのも難しい。そもそも物理は専門では無いので理解不能な世界である。
私の好きな本に、「ホーキング宇宙を語る」というものがあるが、その中で印象に残った話がある。宇宙には様々な定数が存在する。重力定数しかり、プランク定数しかり、光速度も定数である。これらの定数が少しでも別の値であったならば、絶対に地球や人間が存在しない。人はこれらの定数を発見し、何故これほど世界はうまくできているのだろうと考える。しかしそれは原因と結果が逆なのであり、そのような定数の異なる宇宙が仮に存在するならば、そこに人間は存在し得ないのである。まず人間が存在し、ちょうどよい宇宙が存在するという考え方を強い人間原理、そして数多くの宇宙の中にたまたま人間の存在しうる宇宙が存在しているという考え方を弱い人間原理と呼ぶと、ホーキング氏は述べている。(ような気がした)
そのような哲学的な命題などを考えると、存在する事、生きる事はすごい事なのだと思わざるを得ず、日々を無駄にせずにいたいと考えるのである。
Posted by らっっっきー at 13:21│Comments(0)
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