2007年05月23日
ハワイ旅行記1
ハワイ旅行記
結婚式に呼ばれてハワイのオアフ島に行って来た。日焼けは嫌いなので白いままだ。
ハワイ旅行記は、個人的な事が多いので、人に見せるものでもないような気がするが、まあ記録として残しておこうかな。。。
日本では、沖縄の海が大変なことになってるみたいで、政治や社会はヤバイわけで、のーてんきな記録なのだが、まあこんな体験もありだと思う。
着いた。暑い。ハワイである。ムワッとした空気。昼間は30度もあるのだが、朝は、それほどでもなかった。花嫁・花婿の飛行機は、故障して成田に足止め。JALのせいらしい。ひどいサービスだ。この日は、ヤクザと警官の騒ぎで、全く報道されなかっただろうが、成田を飛び立った飛行機が、機体のトラブルで、羽田にUターンしたのだ。そのまま飛行機の中で何時間も待たされ、また成田まで飛行機で戻り、更に何時間も待たされ、結局故障は直らなかったらしく、JALは諦めて別の飛行機で、ハワイに向かったらしい。18時間も飛行機の中で、待たされたらしい。そして、「これに懲りずにまたJALをご利用くださいね」的なことを、アナウンスしてたらしく、乗客は怒りを通りこして、笑うしかなかったらしい。そして、何の保障もないらしいのだ!!! 信じられますか???? これがJALなんですよ!!!!!
さて、ハワイの人種は(8月18日付けホノルル・アドバタイザー掲載ロバート・シュミット著ハワイ州歴史統計データより)1996年ノデータで、
ハワイアン/ハワイアン系 21%
日系人 20%
白人系(Caucasian) 22%
フィリピン系 10%
中国系 3%
混血 (未調査) 21%
という事らしい。
ワイキキのホテルに向かう。高速に乗る。思った以上にオアフ島はでかい。はじめてリムジンに乗ったわけだが、本がオブジェとして固定してあり、ワインなどが飲めるようにグラスが備え付けられていた。高級なブランドショップが並ぶとおりに来た。そしてワイキキ・ビーチである。美しい。まるで、深夜番組の音楽とともにエンエンと流れている映像のようだ。まるで、ヨドバシカメラのハイビジョンテレビで流れているイメージ映像のようである。。綺麗な街である。人も皆裕福そうで、正にリゾート。
海が美しい。有頂天ホテルになった俺は、とりあえず日焼け止めを塗って、水着に着替えて、ビーチに乗り出すのであった。ビーチである。。金髪のねーちゃんが、寝そべっている。沢山の人がいる。
サーフィンの元祖の人の像がある。水は透明で、薄い青である。遠くの海は、真っ青で、東京では有り得ない青であった。南の島にくれば、このような海はみれるのであるが、それでもすごい。とりあえず泳ぎまくる。気持ちがよい。突如として、ヘリコプター、飛行機が飛んでくる。もちろん米軍基地からである。
空が青かった。
伝説のサーファー、デューク・カハナモクの像。この人は、1912年のストックホルム五輪水泳に出場、100m自由形で金メダルを獲ったらしい。
シャワーを浴び、チェックイン。
部屋は、20階であった。こんな高度があるところに泊まった事など無い。仲間も皆、はしゃいでいた。部屋は、圧巻の一言であった。とにかく至れり尽くせり。こんな豪華な世界があったのだろうかというほどである。広すぎる。あまりにも広すぎる。そして清潔で美しい。何もかもピカピカである。でかい豪華なソファに、テレビに、BOSEのラジオ、そしてウォシュレット付のトイレ・シャワーが二つもあり、冷蔵庫もでかい。オーブンもあり、電子レンジもある。そして調理器具もピカピカの状態でそろっており、ナイフ・フォークに、食器もそろっている。台所が広い広い。
そして何よりも何よりも素晴らしかったのは、オーシャンビューであった。20階から眺めるワイキキ・ビーチと、向こうに広がる海は、あまりにも大迫力であった。
手を前に伸ばして親指と人差し指を縦に広げてみると、二つ分の幅の海だった。水平線のかなたまで、あまりにも青い海が広がっている。そしてビーチを眺めれば、小さく水着の人々がいる。そして海には、サーフィンに乗った人たちがたくさん浮いているのであった。まるで天国から下界を見下ろしているようであった。性能の良い双眼鏡で、覗くとさらに面白かった。
これには感動であった。テラスにもガラスのテーブル、ソファがあった。ここでボケーッと海を見ているだけでも最高であった。ハワイに行ったら、ぜひぜひオーシャンビューのホテルに泊まった方が宜しい。あの開放感は最高である。そんな風景見た事が無い。朝も、夜も、その美しい海を見ながら、ボケーっとできればそれだけで行く価値がある。
そして、ラジオからは、ずっとハワイアンのゆったりした音楽が流れるのであった。ウクレレの調べは、思っていたよりも複雑で、音楽もハワイアンというイメージだけの単純なものではなくて、複雑でバリエーションがあって、それでいて、初めて聞く曲でも十分に馴染めるような、美しい歌とメロディであった。そして素晴らしいことに、日本のFMラジオなどとは違って、マヌケなCMなどはない。ひたすらBGMに徹して、ハワイアンミュージックを流し続けるのだ。ラジオの操作方法が分からないし、変えたくないので、ずっとそのままであった。
近くのバーガー屋へ行った。ハンバーガーというのは、マックで食べるのがハンバーガーだと思っていたら大間違いであった。ここまでデカイサイズのハンバーガーがあったのかと思うほどデカかった。そして、ビーフであったので、狂牛病になるかもしれないが、ここまで来たらもうどうでも良かった。。。上と下のパンがオープンの状態で運ばれてきた。パンを無理やり挟んだ状態にして、両手でもち、洗面器のようなハンバーガーを無理やりかぶりつくのであった。大味かと思いきや、とても美味しい。野菜もたっぷり乗っていて、ジューシーで味付けも良く、とても美味しかった。そして運ばれてきた飲み物がまたもや大きい。1リットルぐらいはあった。これはお代わりしないで済むからラクだわ。そしてこのような巨大な食料は、美味しいと思った勢いで一気に食べてしまわないとダメである。途中で、ポテトなどを食べようと思ってしまうと、再びかぶりつく元気がなくなってしまう。ベジタリアンにはほど遠い。
アメリカの若者が群れをなして、やってきた。英語でベラベーラと笑いながら話している。自分は、子供のころ、こういうアメリカ的なスクールライフ的なものに憧れていて、自分もいつかそういう仲間に入れたらいいななどと、考えていたのだが、よくよく考えてみると、多分そういう仲間に入ることは、一生無いような気がする。別に今は憧れがあるわけでもないし。
さて、ダイヤモンドヘッドに登ることにした。ある番号のバスがそこに向かうらしい。一人二ドル。仲間と行った。一時間は歩くらしい。花が美しい。鳥が美しい。赤い羽根の鳥や、黒く頭が黄色い鳥などいて、面白い声で鳴いている。
自分が一番後ろから、ゆっくり歩いていく事にした。コントリートの道を通り、砂利道を通り、坂道を登っていった。カルデラになっていて、300万年前の噴火によってできた場所であった。そして周りを取り囲んでいる山の一つがダイヤモンドヘッドなのであった。指輪の一番高いところのようである。
なぜか木が枯れている一帯があった。米軍の仕業だろうか。と思ったが、もしかしたら火山のガスが漏れているのではないか。黒くなっているということは、硫黄が噴出しているのではないかと言った。しかしこの辺りは死火山と聞いたのだがな・・。どうなのだろうか。
普段話す事の無い人から、出張で行ったタイの話しを聞く。タイには、ゴムの工場があって、沢山の作業員が、ゴムの精錬を行っているらしい。機械化すれば良いけれど、そうすると労働者の働き口がなくなってしまう為、そうしないらしい。そしてところどころ黒くなったところを取り除くらしい。ゴムの木は、十数年しないと、ゴムの材料を出さないらしい。そして更に何年かすると何も出なくなるらしい。まるでサラリーマンの一生みたいだなと言っていた。
さて、トンネルを幾つかくぐり、階段をグネグネと上り、最後のグルグルとした螺旋階段を上り、さらに裏に回って、ようやく頂上についた。ヒューーーーーーーーー!!!
素晴らしい眺めだ。オアフ島を一望できるぜ。風が心地よい。360度の眺望であった。海が更に遠くまで見える。そして双眼鏡で覗くと、ゴルフの練習場、グランド、サーファー、パラグライダーをつけながらサーフィンをする人、高速道路、一軒一軒の高級住宅、ワイキキの高層ビル群など、見えた。うんうん最高である。登ってきた価値はあった。
近くにいたイギリス女が一人でいたので、話しかけてみた。可愛い。どこから来たの一人なの。ハワイはどうですか。どこ回ってるの。などと聞いて私は日本人です。素晴らしいねハワイは。などと英語で話す。やはり相手のマザタングが英語だと、こちらの英語がカタコトなのがバレてしまうのであった。そして夫がカンファレンスで来ているとか言ったので、フーンと思った。
さて、降りる。白人の子供が泣きながら登っている。近くの白人が、あと二つの階段があるよと言うと、母親らしき人が、オーケーI WANTED TO HEAR THAT それが聞きたかったわなどと言っている。子供を甘やかさずに、歩かせているのであった。しかし子供は可愛らしい。英語のヒアリングをいくら勉強しても、やはり現地の人がペラペラと喋りあっているのを聞き取るのは、至難の業である。
下まで戻りタクシーで帰る。よく喋るドライバーであった。10ドルで、どこどこまで行くと言いながら、どんどん距離を伸ばして、15ドルまで上げさせたのであった。ガソリンの値段が上がっている。うちの政府はもう5年も戦争をやっているよ。日本人は金持ちだろう。一ドルが80円なんだろう。15ドルくらい良いじゃないか。などととネイティブとは思えないような英語で喋っていた。80円だったのは、遠い昔だよと言ってやった。カリフォルニアとハワイは特にガソリンが高いらしい。日本とそう変わらないのであった。
そして、アラモアナ・ショッピング・センターに向かった。二階からメイシーに入った。メイシーだとか、シアーズだとかは、赤い盾で読んだだけだが、実在するんですな。そして解散。とりあえず歩く。トイレに行く。ブックオフや、SHIROKIYAなどがあった。日本のものも沢山売っている。日本とハワイは近いんだね。
そしてDIESELがあった。安い。やはりかっこよい。
日が暮れてきた。街は、綺麗といえば綺麗であったが、均質化していて、普通の大企業の店ばかりが、並んでいる独占状態の街で、個性もへったくれもないような街になっていた。台湾のようなゴチャゴチャした町並みとは違うのであった。それが良いといえば良いが、面白みがないとも言える。
アロハを買った。なかなかかっこよい。アイスも美味すぎ。
そして、地下のフードコートに行った。もう食えん。オールで、食べ過ぎてる感じであり、疲労がピークであった。
ハワイには、酒を飲める場所は隔離されているのであった。そしてタバコを吸える場所などほとんどない。嫌煙家の俺には、最高の環境であった。
ホテルには、JTBのカードを持っていればタダで乗れるオープンなバスで、帰った。
(続く)
Posted by らっっっきー at 23:05│Comments(0)