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2007年02月21日

金と人と見栄

金と人と見栄

 結局、人の行動原理は、見栄を張りたいということにつきるんじゃねーのだろうか。
 
 なんで、いい会社に入りたいのか。なぜ金を稼ぎたいのか、なぜ美しい女と付き合いたいのか、なぜ高級外車に乗ったリ、ブランドものを持ったり、自分が金を持ってると言ったりするのだろうか。なぜ自分の知識をひけらかしたいのか。なぜ自分が頭がいいと言いたいのか。なぜ背が高い事を自慢したいのか、なぜカッコイイことを自慢したいのか。

 それは見栄だからだ。
 そして、優越感を得たいからだ。そして、自分が優越感があり、人より優れていると、自分自身が信じたいからだ。そしてそういうことを信じている自分は幸せだからだ。
 
 大学受験もそうだ。自分が人よりすぐれているという事を見せ付けたくて、勉強するのではないだろうか。それは、意地と根性ではあるが、ただ勉強が楽しいというだけでは説明がつかないであろう。
 それは競争だからだ。人は、他人より自分が優れていると信じたいのだ。競争に勝っていたいのだ。
 
 転職を考えて、まず見るのは平均年収の欄であった。そして、ランクをつけて偏差値を作って、日銀に入ったり、ゴールドマン・サックスに入れたら、勝ち組とか、言葉を作り出す。
 それは簡単だからだ。価値基準を明確にして、数字にして、ランキングをつけて、これよりはあれが良い。あの人はこのランクだ。自分はあいつより上のランクだ。などなど。
 
 それを否定する意見も山のように聞いた。あまりにも下劣で下らなくて、浅ましくて、バカで本質が見えていないという批判だ。
 金を追う事や、地位や名誉ばかりを追い求める事は、単に空気を追うがごときむなしい事だと。それは何も本質的なモノではなくて、ただの価値基準だと。
 人はただ生まれて、ただ死ぬだけだ。短い人生の中で、人と比べて、むなしく無意味な競争を果てしなく繰り返して、どんぐりの背比べで、勝ったの負けたの、小さいことに拘って優越感を得たり、劣等感を得たり、存在しない「世間体」などという幻を信じて、それにとらわれていたり・・・。

 だがな。それでも、人は金とか名誉とかランキングとかを信じて、世間体を信じて、人が噂することを信じて、そして結局はそれに囚われて、生きていくのではあるまいか。。。
 自分が持ってるのは、ただ自分という存在だけだ。だとすると、その精神が何を信じようと自由であるし、結局囚われてしまうこと、流されてしまうこと、それは、どんな言葉を連ねようと、同じように精神届くものである以上、それは等価であるという事であるならば、結局のところ、何を否定しようが、同じなのかもしれない。

 タオの精神だ。まだまだ世間知らずだが、学んでいこう。

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Posted by らっっっきー at 00:51│Comments(0)
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