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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2007年08月11日

問題⇒お金とは何でしょうか???





***以下引用***

823 :朝まで名無しさん:2007/07/29(日) 09:55:41 ID:jJHC9Y/p

世界を咲く搾取している根源は何だと、皆さんは考えますか?

前にこの前スレで貨幣経済を脱却して、世界共通数値による物々交換システム
造ってそれを利用してはどうか、という提案があったと思いました。

あれはいい線いってたと、今にして思い直していました。

それは結局、「貨幣経済」 に由来する矛盾をなくす、という意味もあったかと。

貨幣があると、それが偶像であることに気づくことなく、みんなお金の奴隷になってしまう
わけでしたが、基本的にそれが 「金利」 というワナによるものだったと思ってます。

世の中から、金利というものをなくし、経済成長というものを意図しない社会という
ものは可能なんじゃないか、と発想すれば、銀行に縛られない世の中になる、

そうすると、貨幣という偽装価値物、仮想価値の実体化、イコール=偶像を拝まされて
今まで苦しめられてきた俺らの世界が、そこから解放される、というシンプルな現実が
実際には成立可能だったんじゃないか、ということはやはり正しい考えなんじゃないか、と。

どうでしょうか??
20 名前: 朝まで名無しさん 投稿日: 2007/07/30(月) 17:54:27 ID:kvqp9uVD
>>823 (続き)
世の中の価値全体の総量という概念を考えると、お金という存在の矛盾が明らかになるように
感じてます。つまり、貨幣というものがあることによって、価値の 「総和計算」 において混乱が
生じると思われるわけです。

つまり、社会の持つ総価値の和はいくらになるのか、という時、

 S=(実質価値) だけだ            ・・・・・(1)

というのと、

 S=(実質価値) + (仮想価値) である  ・・・・・(2)

というのでは全然違って来ますよね、つまり (2)においては、銀行にある預金残高やその他の
現在の準貨幣資産の 「すべて」 が加算されることを意味し、その総和が 「価値全体」 だという
主張となりますよね。

しかしこの (2) は本当に正しいのかどうかですよね。
21 名前: 朝まで名無しさん 投稿日: 2007/07/30(月) 17:56:02 ID:kvqp9uVD
832 :朝まで名無しさん:2007/07/29(日) 10:25:56 ID:jJHC9Y/p
>>831 (続き)

たとえば、この>>944の計算を、個人に限定して考えた場合、(2)式が正しいだろうと、誰もが思うと思います。
個人の資産の総和は銀行の預金を計算しないわけはないからですよね。

しかし、実際には、社会全体でそれを行うとどうなるか?

そうすると、これは本当に正しい価値の総和を表しているといえるかどうか?ですね。

本当に (2)式で社会全体に敷衍して計算すると、それは正しい 「社会全体の保持している価値の総和」 に
等しくなるでしょうか?

私は 「それは本当の価値の総和に全然等しくない」 と感じるのです。なぜか、それはお金の量というのは
あまりに莫大過ぎるほど多いため、社会に存在している実質価値をあまりにも水増ししてしまって、それに
対応する現実価値物もサービスも存在しないからですよね。

22 名前: 朝まで名無しさん 投稿日: 2007/07/30(月) 17:57:19 ID:kvqp9uVD
833 :朝まで名無しさん:2007/07/29(日) 10:35:20 ID:jJHC9Y/p
>>831 のリンク>>944は >>831 のミスでした、スマソです。

>>832 (続き)

ということは、偽装価値物である貨幣とは、やはりあくまでも 「仮想価値」 でしかなく、現実価値との
対応関係が必ずしもない、「偶像」 であっただろうということになると思われるわけです。

ですから、社会全体、世界全体でその総量を足して総資産とする、というのは基本的な矛盾だっただろうと、
いうことになると思うんです。

その錯覚の元であった偶像たる、貨幣とそれに付随して存在してきた金利と、経済成長っていう偽装理論が、
我々に現実価値を生ませて働かせてそこから搾取するための、巧妙に偽装された支配システムだったん
だろう、という原点があると思うんです。

ロックフェラーら金融を支配するものらが、この 「偶像の奴隷にするシステム」 を使って実質的に世界支配を
維持して来たことの認識を原点にして、反搾取の理論を掲げて社会をそこから脱却する試みが可能なのではないか、
と考えるわけです。

これは資本主義と共産主義という対立の欺瞞ではなく、その両方の元にあったものが、そもそも搾取の基礎
だったんじゃないか、と。

23 名前: 朝まで名無しさん 投稿日: 2007/07/30(月) 17:58:47 ID:kvqp9uVD
834 :朝まで名無しさん:2007/07/29(日) 10:43:21 ID:jJHC9Y/p
>>833 (続き)

つまり、搾取を資本主義、市場主義に由来する、と規定して 「共産主義」 にすれば搾取がなくなる、
かのように考えたのは間違いで、(しかも社会主義はすべて失敗してしまっていた!)、

そうじゃなくて、本当は、

「金利を取る借金」 という仕組み、つまり 「経済成長」 を必然にして 「人々に生産に勤しませ労働させて
尻をひっぱたくシステム」 つまり 「お金の奴隷にするシステム」 を維持している貨幣経済そのものが、
搾取の原点だったんじゃないか、ということかと考えたのでした。

本来価値ではない偶像さえこしらえて配っておけば、それを借金にして民を働かせて、新技術の開発も
させることができるし、商売させて利益を出させる労働に勤しませることができる、

銀行とその元締めだけは、何もしなくても、その本来は無価値であるところの、(つまり誰でもできる
簡単な飾りの製造と供給だけやってれば)、本当の現実価値の創造と生産は民にやらせて世の中に
富を生んでくれる仕組みにできてきたということで、

実質、この偶像に関わる部分のやったりとったりの比重が、本来あるべきはずの比重の枠をはるかに
凌駕して世の中で肥大化し、本来の価値であった現実価値の存在を根本からその生殺与奪を握って
しまっていたところに、搾取の根本構造があったんじゃないでしょうか?

だから、ロックフェラーやロスチャイルドらの世界支配がこんなに簡単にできてきていたんじゃないでしょうか?

しかし、これは結局、「偶像崇拝」 による世界の支配だった、と言えるのではないでしょうか?
24 名前: 朝まで名無しさん 投稿日: 2007/07/30(月) 17:59:59 ID:kvqp9uVD
836 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 10:51:40 ID:enV4en/y
>>823
というかね、貨幣の本来の価値を考えるという点で、そういった原点に戻るのはすごく
いいことだと思うよ。紙幣とは間接的な物々交換なのだから、それがちゃんと機能していないといけないが、
現実は一方的に不当にその紙幣を持つことができてしまっている現実がある。つまり、
自分の労働の対価が不当に人から取られる。馬鹿らしくなるわな。そしてその元凶が
FRBで、日本はそのシステムに組み込まれ、貿易黒字をすいあがられているというふざけた
構図ができている。それに気づかないB層が多すぎる。で、小泉の「皆ががんばれば豊かになる」
という論点のすり替えに騙された。つまり、奴隷としてアメリカに奉仕する、ということなのにね。
25 名前: 朝まで名無しさん 投稿日: 2007/07/30(月) 18:02:40 ID:kvqp9uVD
837 :朝まで名無しさん:2007/07/29(日) 10:57:25 ID:jJHC9Y/p

イスラム教の聖典、コーランにおいては、「金利をとってはならぬ」 と書かれているそうですが、
それはここで言っているところの意味で、言っていたことではなかったかと思われるのでした。

国債にしろ、いかなる債権にしろ、全部金利というものがあるので成り立つ仕組みでしたが、
なぜ利子というものが必要なのか、というと、

まさに、借り手側が返済不能になった場合の措置として、その借金の担保に現物を差し出すという
仕組みがあって、さらにそれでも足りない部分をその破産のリスクに対するリターンとして計算されて
しかるべきだからだ、というものらしいのですが、本当はよくわかりません。

銀行に預金する場合、元本保証でしたが、借金の場合は元本保証でないので、利息はリスクに
対するリターンとして必ずプラスとして存在し、預金金利よりも高くなるのだいうわけらしいのですが、

仮にそれを投資として考えれば、投資のリスクは自己責任というのが本来の主旨になるはずでしたが、
借金の場合はすべて保障付きで利息を取る、というところがちょっとインチキだったのではないでしょうか?

だから、日露戦争のときに日本に資金を提供したロスチャイルドが、負けて支払い不能になったら
その形に北海道でもどこでも現物を手に入れられればと思ってたわけでした。それを日本は労働の
代価でお金にして返した、ということで、搾取は労働で返したわけでしたが、

お金が製造コストほとんどゼロの無価値な 「偶像」 であることを元から知っているその銀行屋の長は
悔しがって絶対返済するなと反論した、らしいですよね。(福田赳夫回顧録参照)

乗っ取りが、偶像による乗っ取りで、魔術と同じだったと思うわけです。こういう行為を、聖書もコーラン
も認めていないということだった、のではないでしょうか?   

Posted by らっっっきー at 03:46Comments(0)