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2007年05月14日

★改憲ってどうよ???

★改憲ってどうよ???



 改憲の動きがかまびすしい。
 要は日本が戦争をすると言う事である。

 自分は反対である。

 色々な意見がある。
1)アメリカに経済的にも軍事的にも従属して、収奪されるような植民地国家で良いですか
⇒NO
2)ならば日本は軍事的に独立するべきですか
⇒YES
それは核武装という意味ですか
⇒YES
3)近隣諸国及びアメリカと友好関係を結ぶべきですか
⇒YES

 まあ多少は筋が通っている。日本は核武装して、アメリカの核の傘から軍事的にも独立し、アメリカの犬状態から脱するというのは、ある意味正しい。小林よしのりとかが主張している事でもある。軍事的に主権を確立すれば外交的にも、経済的にも良いのではという事である。

 しかし多くのジレンマがある。
 まず、日本の独立の為の武装なのか、アメリカの捨て駒としての武装なのかと言う事だ。これがどうも捨て駒な気がして仕方がない。
 ちなみに改憲説を唱えるのはネットウヨばかりだ。ネットウヨと言えば近隣アジア諸国を憎み、アメリカをご主人様と崇め奉る連中だ。アメリカの犯罪は全て庇い、アメリカの犬として、アメリカ人の殺人は良い殺人と考えるようなヤツラである。(多少偏見もある。) そして日本で悪いのは全て在日のせいとして、韓朝中をひたすら憎み、低俗なコピペをせっせと貼って、小泉マンセー、安倍マンセーして、結局徴農されてしまうような人たちである。
 集団的自衛権の行使というのも、要はアメリカの起こす戦争で自衛隊員が大量に死ぬというだけの事である。
 アメリカの為に金融市場を開放し、アメリカの為に郵政民営化をし、アメリカの為に規制緩和をし、アメリカの為に米国債を買い、アメリカの為に基地用の土地を提供し、アメリカの為に毒牛肉を輸入し、アメリカの為にジュゴンと珊瑚の海を潰してアメリカの飛行場にするような日本政府である。その流れで日本政府が、日本を戦争ができる国に変えるというのは、アメリカの為であるとしか思えない。
 そうであるならば、独立の為の武装などでは全くない。真逆である。日本の更なる奴隷化、捨て駒化、属国化である。

 次に戦争は誰が起こすのかと言う事だ。
 戦争は超巨大な利権である。九条の問題を議論する時、レトリックや言葉の問題が多く取り上げられるが、九条はただの字である。ただの言葉である。戦争は字でできているわけではない。戦争は、金と血肉と武器とプロパガンダで出来ている。膨大な軍需利権と、それに纏わる金、それに群がる人々、バラバラの血と肉の塊になる多くの普通の人々。そしてそれを演出して人を説得するのが、マスゴミの皆さんのお仕事、プロパガンダだ!!
 
 20世紀にも多くの紛争・戦争が起こった。それらは民族・宗教の問題として語られる事が多いが、その説明は多くの場合、実態を覆い隠す役割がある。紛争などを創出し演出する人、そして武器を売る人、そして利権を掴む人、これらの人の役割なくして、多くの紛争も戦争も起こらなかったのではなかろうか。

 と、なると、結局のところ、戦争屋たちの付け入る隙を与えない事が大事なのであって、ヘタに武装化してしまうと、戦争の火種を演出されてしまって、自作自演の実際の戦争をしてしまう恐れがある。
 また軍需産業は国から巨額の税金が投入されるので、一国の経済構造の中で巨大な位置を占めてしまう。アメリカがその典型であるが、一度出来た軍産複合体は、国の中に居座り続ける。更なる戦争を求めて、終わりのない戦争螺旋を回りつづけ、自作自演の危機を演出し続けるのだ。それに付き合わされる国民は、なんと不幸な事か。

 死の商人=武器商人は、多国籍企業であり、様々な国に武器を売る。イラン・イラク戦争でも、ベトナム戦争でも、双方の国に武器を売り、更なる戦火を煽った。彼ら死の商人は、人殺しの道具を売るのは忍びないけれど、需要があるから仕方が無く売っているのだろうか。そうではないだろう。例えばTOYOTAが自動車を売るとき、売るのは忍びないけれど、需要があるから仕方が無く売っているのだろうか。そうではないだろう。戦略を立て、需要を創出し、熱心に研究開発をして、付加価値をつけて、多角的な経営戦略を立て、更なる業績アップを目指して頑張っているのだろう。死の商人たちも同じである。しかしそのせいで何百万の人たちが死んだ。
 
 またマスゴミのお仕事、プロパガンダも、当の昔に、手順やノウハウは完成されている。アンヌ・モレルの著書より引用すると、戦争プロパガンダの法則は以下の通りである。
(1)「われわれは戦争をしたくはない」
(2)「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
(3)「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
(4)「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
(5)「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
(6)「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
(7)「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
(8)「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
(9)「われわれの大義は神聖なものである」
(10)「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」
 
 日本人は流されやすい事で有名なので、ちゃんと法則を押さえたプロパガンダを徹底すればイチコロである。喜んで戦争を賛美して死ぬだろう。
 
 そして、死の商人たちと、マスコミ。ロスチャイルドの物語を読めば分かるように、少なくとも欧米において彼らは一族であった。正に自作自演だ。同じ人たちが、戦争を作り、戦争を煽り、戦争を行っていた。
 誰が戦争を起こすのか?? 利権に取り付かれた一部の人間たちが結託して起こすのだ。一般市民は関与できず死ぬだけだ。そして彼らは死なず儲けるだけだ。


 さて、憲法九条は、少なくとも日本武装化の歯止めになっていた。もちろん自衛隊は軍隊である。そして俺は非武装中立を唱える立場ではない。ある程度の軍事力は必要だと思う。軍事力が全く無くても外国に付け入る隙を与えてしまうのでダメだ。
 日本には軍隊があるけれど、憲法九条もある。それは矛盾だとも思える。だが、矛盾があるからこそ、極端に走る事なく、状況が均衡しているのだ。憲法九条は鎖である。自衛隊は鎖に縛られた軍事力だ。そしてそれで十分である。なぜ今その鎖を解き放つ必要があるのか。必要は無い。メリットも無い。必要としているのは、アメリカと一部の利権屋ぐらいなものだろう。

 だから、俺は改憲に反対なのである。




 おまけ。

 考えてみればマスコミというのは、単純な世界観を提示する。勧善懲悪で、悪者は悪く描かれ、悪者を倒す為に止むを得ず正義を行使するといった具合だ。
 そして平和活動家たちは、戦争を起こすアメリカ政府に反対し、デモをしたりする。例えばアメリカやヨーロッパの名も無き市民たちの反戦活動には敬意を表するし、素晴らしいしカッコイイとも思う。日本にもアジア・世界各国にもそういう人たちはいる。
 しかし戦争を引き起こす巨大財閥、政府、軍産複合体というのは、そんなに甘いものではないと思う。何百年と培ったノウハウがあるし、蓄積された資本、情報ネットワーク、組織力などは、想像も出来ないほどに、強力だろう。そしてその非情さ冷徹さ残酷さは、一般市民の持ち合わせているものではない。
 政府が一般市民に見せる顔というのは、計算されたプロパガンダであって、もちろんウソと矛盾で塗り固められている。(科学法則に反していることも良くある。)
 はっきり言ってしまえば、別に、ウソと矛盾に満ちた非科学的説明であっても、ぜんぜん大丈夫なのだ。なぜならば多くの人はウソを見抜けないものだし、矛盾には気付かないし、科学的かどうかなど気にしないし、何であれすぐに忘れちゃって、流されるだけだからだ。
 全くモノを考えない人たちは、そのプロパガンダを受け入れる。そしてもう少しモノを考えられる人は、そこにウソと矛盾があるといって非難する。しかし、さらにその裏にあるのは、非情さ・冷徹さ・残酷さに裏打ちされた資本の論理だ。それは個人の意思というよりも、巨大なシステムのようなものだ。
 それは金を得る為に金を得て、戦争をする為に戦争をする巨大なシステムのようなものだ。それを構成する細胞は、一つの企業だったり、一人の人間だったりするわけだが、それが巨大になると、もう誰もそれを止められない。
 そして、思うのはそのような巨大な戦争権力とも言うものに、どうやって市民の平和運動家が対抗できるのだろうか。何もやらないよりマシなのは、分かるし、絶望との戦いだというのも分かるのだが・・・。

 でも絶望することは無い。少なくとも今、日本には、「憲法九条が存在する」のである。これは喜んで良い。これほど喜ばしい事はない。素晴らしくラッキーな事では無いだろうか。これは軍産複合体に対する強力な尊い鎖である。この鎖を得るまでに、何千万の人の血が流れたのだ。世界遺産に登録しようと爆笑問題の太田さんの発想も素晴らしい。本当に登録すれば良いと思う。

 もし国民投票になったとしたら、一人一人が胸に問い掛けるべきだろう。自分は本当に戦争をしたいのか。自分は本当に人を殺したいのか。自分は本当に殺されたいのか。自分は本当に利権屋を儲けさせたいのかを。

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Posted by らっっっきー at 20:54│Comments(0)
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