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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2008年04月18日

◆飢餓問題15 コンゴの今後




シャレにならない歴史・・・。まとめてみた。

参照
wikipedia
アフリカの危機―イラク戦争報道の陰に隠れたもの 2003年6月 
http://www.jca.apc.org/~kitazawa/undercurrent/2003/crisis_in_africa_06_2003.htm
【 世界の底流 第2次コンゴ戦争は終結? 2008年2月10日
http://www.jca.apc.org/~kitazawa/undercurrent/2008/end_of_2nd_congo_war.htmより】
地下資源が煽るコンゴの内戦
http://tanakanews.com/d0602congo.htm

◆歴史
・13~17世紀 コンゴ王国が栄えた。また南部にはクバ王国があった。
・1885年 ベルギーの国王レオポルト2世の私有地「コンゴ自由国」となった。
・1908年 ベルギー政府に所有権が移され植民地に。
・1950年代後半 コンゴ人同盟、コンゴ国民運動が独立闘争を開始。
・1960年6月30日 コンゴ共和国(のちコンゴ民主共和国に改称)としてベルギーから独立。
・1961年 ルムンバ首相殺害で「コンゴ動乱」が始まった。
・1965年11月 モブツ商務・雇用・貿易相がクーデターで実権掌握。1995年までの30年モブツ大統領の独裁が続いた。
・1971年 国名をザイール共和国(Republique du Zaire)に。革命人民運動(MPR)の一党独裁制を敷いた。

・1990年4月 民主化要求の高まりを受け議会は11月に複数政党制への道を開く憲法修正案を可決。12月任期2期を満了したモブツ大統領が、3選を禁止した憲法条項を無視し辞任を拒否。

・1996年 隣国の軍事進入(ウガンダ、ルワンダなどが、豊富な鉱産物と木材資源の収奪の為)
   ・ウガンダの進入⇒ムセベニ大統領の義弟の民兵組織「ウガンダ人民防衛軍」がイツリ侵入
   ・ルワンダの進入⇒正規の「ルアンダ愛国軍」が進入
   ・スーダンの侵入⇒少数だがスーダン南部の反政府軍の「スーダン人民解放軍」イツリ進入
   ・その他⇒コンゴ政府軍の脱走部隊もイツリ地区を占拠。
   ・ルワンダ大虐殺の避難民がコンゴに侵入

 ルワンダのツチ人政権の軍隊がフツ人勢力を追いかけてコンゴに侵攻し、コンゴ東部のダイヤモンド鉱山などを占拠して軍資金を稼ぎ始めると、それを見たウガンダの軍隊も、自分らにも金儲けさせろとばかり、自国の反政府勢力がコンゴ東部を拠点にしていることを理由に、コンゴの北東部に攻め入った。コンゴ政府が統治している地域は、国土の西側の半分以下の地域にすぎなくなった。

・1996年4月 モブツ大統領、議会は東部のツチ族系ムレンゲ人の追放を決議し政府軍が攻撃。
 ローラン・カビラが率いる武装組織コンゴ・ザイール解放民主勢力連合(AFDL)がコンゴ東部で反乱を起こした。ルワンダ、ウガンダなどの支援で反撃。

・1997年5月 反政府軍のAFDLがキンシャサを制圧。モブツ政権は崩壊し、AFDLのローラン・カビラ議長が大統領に就任、国名をコンゴ民主共和国とコンゴに戻した。
 つまりルワンダによる傀儡政権の誕生。
 カビラ大統領は司法権を除く全権を自身に付与することを発表するなど、強権支配体制を敷いた。カビラを操っていたツチ族のルワンダ政府は、フツ族ゲリラ掃討させようとした。しかし逆にカビラ大統領は、傀儡から脱する事を目指し、政権や軍部のツチ族系の排除を始めた。
 そしてルワンダは怒り、カビラ政権を潰そうとした。
 窮地に立ったカビラは、周辺国であるアンゴラ、ジンバブエ、ナミビア、チャドに援軍を頼んだ。援軍派遣の見返りにカビラが周辺諸国に提示したのは、自国の地下資源を採掘する権利だった。アンゴラは石油を、ジンバブエとナミビアはダイヤモンドを採掘させてもらう約束でコンゴの内戦に介入した。  

・1998年 そしてコンゴのイツリは1大紛争地と化した。
 東部を中心として内戦に発展。国内のダイヤモンドやコバルトなどの豊富な鉱産資源に関する利権も絡み、反政府勢力RCDを主にウガンダとルワンダが支援。政府軍を主にジンバブエ、ナミビア、アンゴラが支援。戦闘などで住民20万人以上が死亡し、紛争に伴う食糧・医薬品不足などでさらに150万人が死亡したとされる。
  (96年~98年を「第1次コンゴ戦争」と呼ぶ)
 コンゴ国内に居座り続けたルワンダとウガンダは、ダイヤモンドやコルタン、木材、象牙などを漁った。ルワンダは軍事費の半分をコンゴ領内からの盗掘や略奪によって補っていたとされ、経済的にもコンゴ東部から撤退しにくくなった。ルワンダとウガンダはもともと力を合わせてコンゴを支配下に置く目論見だったのに、鉱山をどちらが支配するかで対立し、コンゴ領内で両国の武装勢力が戦闘したりした。
 この内戦には、欧米や南アフリカの企業も関与していた。カビラ大統領は、欧米系鉱山会社などと話をつけ、鉱山地帯を占拠するための軍資金を欧米系鉱山会社が出す代わりに、コンゴ軍やその配下のゲリラが敵方を追い出して鉱山地帯を支配した後には、欧米系鉱山会社が独占的な採掘権を得る、という契約を結んだ。
 カビラだけでなく、ルワンダなどの周辺国の政府も同様の契約を、他の欧米系鉱山会社などと締結した結果、コンゴ内戦に介入する各勢力には、欧米からも軍資金が流れ込み、内戦をさらに長引かせることになった。国連は昨年10月、世界的なダイヤモンドの企業であるデビアスや、南アフリカの鉱山会社アングロアメリカン(デビアスの親会社)、イギリスのバークレイズ銀行など欧米と南アフリカの85社が、コンゴの略奪を煽る行為を行ったと批判する報告書を発表している。

・1999年 コンゴ、ウガンダ、ルアンダ政府との間に、6月ザンビアのルサカで協定締結。
 カビラ大統領は国連部隊の自由な展開を拒否し、停戦は事実上無効化した。
 ウガンダ、ルアンダ双方とも、表向きにはイツリから撤退することに同意した。しかし、両国ともに、それぞれ民兵を訓練し、代理の戦争を続け、依然として資源の争奪を続けた。
 その間、これら民兵の行動は残虐を極めた。村を焼き払い、住民を殺すばかりでなく、子どもを誘拐する、女性をレイプする、さらには、カニバリズム(人肉を食べる)まで国連に報告されている。
 
・2001年1月16日 ローラン・カビラ大統領が警備員に撃たれ死亡。長男のジョセフ・カビラが26日に後任大統領に就任。

・2001年10月15日 内戦の和平協定に向け、エチオピアのアディスアベバで対話が実現。ルワンダが支持するコンゴ民主連合(RCD)、ウガンダが支持するコンゴ解放運動(MLC)、そしてRCDから分離したコンゴ民主連合解放運動(RCD-ML)の主要反政府勢力3組織などが、協議継続などをうたった共同声明に調印した。

・2002年2月25日 内戦終結を目指す国内各派の対話がボツワナのマシーレ前大統領を調停役として、南アフリカのサンシティで再開されたが決裂。対話は南アフリカのプレトリアで、セネガルのニアセ前首相の仲介で再開され、反政府勢力はRCDとMLCが参加した。12月にプレトリア包括和平合意が成立。

・2003年7月 合意に基づき暫定政権が成立した。しかし政権は国内すべてを掌握しておらず、依然として内戦状態は続いている。民族対立とも相まって東部は虐殺・略奪・強姦の頻発する一種の無法地帯となっている。
 北部地方にエボラ出血熱が流行。死亡者は100名以上に及んだ。また、同国を生息地とするゴリラへも感染が飛び火し、全個体数の2/3が死亡したと発表されている。

・2005年 和平合意によりに大統領選挙と国民議会選挙を行い民主的政権に移管する予定だったが、同年7月に選挙準備の遅れを理由に延期。

・2005年12月 選挙の前提としての憲法草案に対する国民投票が行われ、賛成多数で可決した。しかし、各地で武装組織の活動が続き、不穏な情勢の中で投票日を迎えた。

・2006年2月18日 新憲法が発効された。

・2006年7月 40年振りに民主的な選挙が実現した

・2006年10月 ジョセフ・カビラ政権が誕生した。

・2007年 東部では武装勢力間の衝突が続いている。国連の平和維持部隊である国連コンゴ民主共和国ミッション(MONUC)の支援を受ける政府軍は、今では反政府勢力の指導者ローラン・ンクンダと真っ向から戦火を交えている。マイマイ派やルワンダ反政府勢力である民主解放軍(FDLR)のフツ族反乱勢力など、多数の武装グループが戦闘に加わっている。
・2007年12月 コンゴとルアンダの両政府間でナイロビ協定締結(ルアンダのフツ残党の武装解除・帰国)

・2008年1月 コンゴ東部のゴマで、コンゴ政府とヌクンダ将軍率いるルアンダ派兵組織間で和平協定締結。
 この和平協定は、コンゴ東部で活動している20を超える反政府民兵組織に適用される。
 ※コンゴ東部の紛争に終止符。

◎今後のコンゴ
 ・国連コンゴ平和維持軍(MONUC)により、
  ⇒反政府民兵組織の段階的な撤退、非武装地帯拡大
 ・コンゴ政府と米、EU、アフリカ連合からなる専門家委員会
  ⇒反政府民兵の武装解除と政府軍への編入、地域の恒久平和の維持

  

Posted by らっっっきー at 00:22Comments(0)

2008年04月18日

◆飢餓問題14 飢餓率72% 飢餓人口3600万人 コンゴ






 さて、今日はコンゴ民主共和国について調べてみよう。
 飢える人の割合世界第二位、飢えている人の数世界第四位の国である。
 コンゴといっても、コンゴ共和国とコンゴ民主共和国は別の国である。



 この世の地獄みたいな感じですね。。。しかし、目を背けちゃだめだ。

 要は・・・・、昔、欧米の植民地にされたせいで、国境線がグチャグチャに引かれて、それぞれの国が対立している状況があった。コンゴ、スーダン、ウガンダ、ルワンダなどなど。
 そしてコンゴにはダイヤモンドや、レアメタルなど、資源がたくさんある。君が持ってるパソコンも、携帯もプレステにも、コンゴ産レアメタルは入っているかもしれない。
 資源が欲しいコンゴの周辺の国々が、コンゴを侵略して、お互いに大虐殺を行い、資源の奪い合いをしているという状況みたいである。
 実際、うまいこと地下資源を手に入れたゲリラのリーダーは4000億円くらい儲けることができるのだ!!

 そして400万人が死亡したらしい。

 それじゃ、食糧どころではないかもね。。。飢えがテーマなのに、戦争がテーマということになってしまった。まあ、飢えは戦争と貧困に付随するみたいである。

 そして皆さんの予想通り、このような悲劇には、アメリカが絡んでいるのだ。さすが悪の国アメリカ!!

 いやはやメチャクチャであるし、これを皆シカトしてるのだろうか??? この悲惨さって、何??


◆◆◆内戦について◆◆◆

●衝撃的な破滅的虐殺

アフリカの危機―イラク戦争報道の陰に隠れたもの 2003年6月 より抜粋
http://www.jca.apc.org/~kitazawa/undercurrent/2003/crisis_in_africa_06_2003.htm

 2003年4月 ケニアのナイロビで「国際救援委員会(IRC)」のジョージ・ラップ代表は、記者会見を行い、「コンゴ民主共和国(旧ザイール)では、これまで4年半に及ぶ内戦で、すでに330万人が死んだ」と発表した。これは「内戦による飢えと疫病が原因だ」とした。また「このコンゴ内戦の犠牲者の数は、第2次大戦後に起きた軍事紛争の中で最大である。そして、アフリカでは、記録された紛争の中で犠牲者の数では最大規模のものである」と述べた。さらに、「これは恐ろしい、かつ衝撃的な人類の破滅だと言うべきだ。そして、このコンゴでの最悪の死者の数に比べれば、湾岸戦争以来のイラク戦争の犠牲者の数、バルカン半島(旧ユーゴ)でのすべての戦争での犠牲者の数などは取るに足りない。にもかかわらず、国際援助機関や国際メディアは、このコンゴの危機について、何の関心も持たず、耳を傾けようともしない」と非難した。

 コンゴ紛争は、部族間の紛争だと報道されている。しかし、コンゴ紛争は、直接的にはコンゴの豊かな地下資源をめぐる周辺諸国の介入によって引き起こされたものである。だが、その遠因は、帝国主義の時代に、ヨーロッパ列強がアフリカ大陸の分割を行った1884年のベルリン会議に遡る。この時、現在のコンゴはベルギー領に、ウガンダは英領に、ルアンダとブルンジはベルギーの保護領に、タンザニアはドイツ領に分割された。当然この地域に住んでいたアフリカ人はばらばらに引き裂かれ、さらに植民地政策によって、部族間が対立するようにそそのかされたのであった。

 例えば、IRCの記者会見の1週間前、コンゴ東北部のイツリ州で起こった部族間紛争で、一度に900人もが虐殺されたという事件が起こった。この紛争は、1998年8月に、周辺6カ国が、コンゴ東北部に軍隊を侵攻させたことにはじまっている。現在では、周辺諸国は撤退したが、コンゴ内の部族間紛争に変化して、今日まで続いている。



◆なぜ殺しあっているのか? = お宝(資源)の奪い合い

【 世界の底流 第2次コンゴ戦争は終結? 2008年2月10日
http://www.jca.apc.org/~kitazawa/undercurrent/2008/end_of_2nd_congo_war.htmより】

 コンゴのイツリ地域の壮絶な争奪戦の対象は、はじめはダイアモンドであった。ついで、2000年半ばから、軍需産業と携帯電話とパソコン、プレステ、携帯電話などのブームの到来により、稀少金属のコルタン(コロンビウムータンタライト)の需要が爆発的に増えた。たとえば、コルタンは99年には1ポンド当たり20ドルであったのが、2000年12月には380ドルに高騰した。イツリ地区はコルタンの埋蔵量は世界の80%を占めており、すべてがコルタンの採掘と密輸に狂奔した。
 しかし、市場はすぐに飽和状態になり、2001年末には価格は暴落した。イツリで常に略奪と密輸が行なわれた品目は金と木材であった。
 問題は、資源の採掘と密輸によって、地域紛争が賄われているというところにある。「血のダイアモンド」と呼ばれるように、密輸と引き換えに、民兵は武器を購入することによって、紛争は絶えまなく続いた。反政府民兵組織の数も20を超えた。

 イツリ地区に住んでいるのは、ルアンダと同じくツチである。そして、元ルアンダ愛国軍の兵士で、現在は将軍を名乗るローレン・ヌクンダの民兵が、「イツリに逃げ込んだルアンダのフツの虐殺者からツチ住民を守るため」と称して、サンシティ最終協定の武装解除を拒否して、イツリに居座った。
 これには、裏の事情があった。当時、EUと日本の環境保護法が厳しくなった。その結果、カシッテライトとニオビウム(コロンビウムの一種)などの稀少金属の需要が増大した。とくにこの地域にあるルエシェ鉱山は、ニオビウムの埋蔵では世界で唯一である。ルワンダの支援を受けたヌクンダ将軍がこれら稀少金属の争奪を続けたのであった。



◆お宝(地下資源)を奪うと、どれぐらい儲かるのか??
 コンゴの南隣のアンゴラでは、冷戦中にアメリカや南アフリカが支援した反政府ゲリラUNITAの指導者を30年以上続けていたジョナス・サビンビ(Jonas Savimbi、昨年2月死去)が、盗掘した石油やダイヤモンド、象牙などの販売収入、それからアメリカなどからから得た軍資金などを合わせ、死ぬまでに合計40億ドルもの財産を蓄えていたと概算されている。
 UNITAは、コンゴと同様に石油やダイヤモンド、金などの鉱物資源が豊かなアンゴラ国内だけでなく、コンゴ領内でも活動していた。こんなに儲かるのなら、地下資源の豊富な国の反政府ゲリラの指導者になりたがる人間が多いのは当然だし、ゲリラの指導者たちが内戦を長引かせたくなるのも理解できる。(田中宇氏)


◆殺し合いの犠牲者
 独立以来、コンゴの紛争は、すでに400万人の犠牲者を生み出した。その多くは、飢餓と疫病による死者である。この数は、第2次大戦以来、世界で起こった紛争の中で最大である。2003~2008年間、ルアンダの支援を受けたヌクンダ将軍とフツ虐殺者の残党との間の紛争だけでも、すでに40万人が家を失った。

◆利権の問題
 たとえ反政府民兵による資源の争奪と密輸が終わったとしても、モブツ時代に採掘していた多国籍企業の利権の問題が残っている。2007年5月、カビラ政権のビクトール・カソンゴ鉱山副大臣がこれまでの採掘契約の調査を行なったところ、その中の50%の契約書が無効であることを発見した。現在、コンゴ政府と鉱山会社の間で採掘権に関する再交渉が始まっており、それが終了するまで、一切の採掘契約は停止状態にある。


◆アメリカの策略http://homepage3.nifty.com/1000-sun/Zambia/People/CivilWar/War_background.html
 全ての国連決議が戦争終結を支持している間にも、アメリカはルワンダ、ウガンダ、ナミビア、ジンバブエに武器を流し、軍事訓練をしていました。世界政策研究所(WPI)の記録では、1999年に、アフリカの軍隊に供給されたアメリカの武器と訓練に使われた1950万USドルのうち、480万USドルが、直接または間接的に、DRコンゴ紛争の関与国にいきました。アメリカの影は、1960年6月のベルギーからの独立以来、DRコンゴにつきまとっています。独立後初めてのルムンバ政権の転覆と、ルムンバ首相の暗殺にはCIAが拘わっていると言われています。それ以来、アメリカの動きは自国の有利を優先するもので、DRコンゴは常に不利な立場におかれています。
1965年から1991年まで、コンゴ民主共和国(モブツによってザイールから改名された)は、アメリカから経済と軍事の両面で15億USドル以上の援助を受けました。その代わり、アメリカの多国籍企業は、ザイールの大規模な鉱物資源コルタンの所有権を多く与えられました。
アメリカに本拠地を置くBechte社は、旧ザイールがこれまでに集めてきた、ほぼ完璧な鉱物学と地理学のデータを入手するために、カビラ氏に近づいていました。WPIによると、Bechte社の重役が、カビラの側近のアドバイザーになり、その側近と共に国内を回って、カビラの戦争戦略を決める情報を提供したりしたそうです。
また、同じくアメリカに本社のあるAmerican Mineral Fieldsは、モブツ政権転覆の直後、勝利したカビラ氏と、最初の採掘契約をしました。それは、コバルトと銅の採掘に10億USドルを保証したものでした。このような動きは、主に白人が経営する多くの企業が、いかに途上国の地域社会と人々の、生命、文化、生活の犠牲の上で、利益を上げているかを示すケースといえます。



◆◆基礎データ◆◆
コンゴ民主共和国
Republique Democratique du Congo

◆概要
公用語 フランス語
首都 キンシャサ
最大の都市 キンシャサ
大統領 ジョゼフ・カビラ
首相 アントワーヌ・ギゼンガ
面積 2,345,410km2
人口  - 総計(2004年) 5831万人
国民一人あたりの平均収入(一人あたりGDP)約100ドル(2003年)
独立  - 承認 ベルギーより 1960年6月30日
コンゴ民主共和国はアフリカ大陸中央部のコンゴ川流域に広がり、一部は大西洋に面するアフリカ大陸で第3位の面積を持つ広大な国。1997年に現在の国名に改められたが、それまでの国名のザイールとしてよく知られる。熱帯性気候。コンゴ共和国、アンゴラ、ザンビア、タンザニア、ブルンジ、ルワンダ、ウガンダ、スーダン、中央アフリカと接する。

◆国名
1885年 - 1908年 コンゴ自由国 (ベルギー国王の私有地)
1908年 - 1960年 ベルギー領コンゴ
1960年 - 1967年 コンゴ共和国
1967年 - 1971年 コンゴ民主共和国
1971年 - 1997年 ザイール共和国
1997年 - 現在 コンゴ民主共和国


◆政治
政治体制:共和制。
大統領:ジョゼフ・カビラ(Joseph Kabila、2001年1月26日)
内閣:閣僚は大統領が任免。新憲法下で首相職が新設され、現在はアントワーヌ・ギゼンガが首相。
議会:立法・憲法制定会議(300議席)が暫定議会として機能
政党:カビラ大統領の与党再建民主人民党(PPRD)、ADFLの後身人民権力委員会(CPP)のほか、旧モブツ政権下の独裁政党革命人民運動(MPR)、そしてキリスト教民主社会党(PDSC)など

◆経済
銅、コバルト、ダイヤモンドなどを産する世界トップクラスの鉱産資源国。輸出の約9割を鉱産資源が占める。コバルトの埋蔵量は世界の約65%。かつてはウランの採掘も行われており、1945年に広島市に投下された原子爆弾の原料はコンゴ民主共和国産であった。地下資源に恵まれるものの、1990年代の内戦などでインフラは破壊され、経済は壊滅状態となっており、世界最貧国の1つとなっている。
  

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