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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2007年06月06日

松岡大臣のミステリー???




 ライブに誘ってくれた友達には、感謝感謝であった。
 その後みんなでメシを食った。最近何に感動したとかいう話になり、ZARDが亡くなったの聞いた時は、昔の事を思い出して泣いた。俺も俺も。みたいな話から、なんか同じ日に松岡大臣も死んだねーという話題になった。俺が、「あーあれは完全に暗殺だよね」と言うと、周りからハァ??自殺だろ。という反応が返ってきた。アレ?? 最近ネットしか見てないけど、世間的には自殺という事になってるんだっけ??? なんか良く分からんぞと思いつつ、まあ確かに暗殺とは断言できないけど、怪しい事が沢山あったよねと、説明した。でも、めんどくさいので、「なんか、そう言ってる人もいるみたいだよ。良く分からんけど。」と、逃げに入っていた。

 さて、とりあえず事実を挙げてみる。


■①救急隊による「CPAシート」によると、松岡大臣は、20分間吊るされていたらしい。■
(『週刊新潮 6月7日号』15ページより。この画像は勝谷さんの番組よりコピー。)



以下のように書いてある。

【引用開始】
『CPAシート page3
永田町救急隊
患者氏名(松岡利勝)
覚知 12:29
現着 12:42
現発 13:01
病着 13:11
意識
呼吸
脈拍
血圧  /
瞳孔
警察 有 (赤坂)
【主 訴】 
【現病歴】
議員会館で首を吊った状態で発見された。発見は12:20、ともからおろしたのは12:40、足は浮いた状態だった。本日、12:20、議員会館で、SP、施設長 etc 3人に、首をつり、足が浮いた状態で発見された。すぐに救急隊要請。12:40救急隊到着。PTをおろすまで、そのままの状態であった。
現場にてモニター上 asystole. CPRされつつ当院搬送となる。
bystander CPR (なし)
【引用終わり】

 ここで注目すべきは、「PTをおろすまで、そのままの状態であった。」という部分である。つまりSPや秘書などが発見してから20分間放置されていたのだ。




■②松岡大臣は病院に搬送される時に、救急隊によって心臓マッサージを受けている。(テレビ映像より)■






■時系列は、以下。

松岡大臣が首を吊った。

12:20発見 (首を吊った状態)

12:29通報

12:40救急隊到着 (この時点でヒモから降ろす。発見から20分間放置)

13:01現場出発

13:11病院着


 つまり20分放置して置きながら、ZARDが亡くなってマスコミが沢山いる慶應病院で、心臓マッサージを行っていたのだ。

★★★今回の事件は、発見の状況がどっちに転んでも不可解である!!!★★★

(1)首を吊って、蘇生の可能性ありだった場合
→降ろして、人工呼吸や心臓マッサージなど救命措置を取るのがSPの義務

(2)松岡大臣が明らかに絶命してた場合
→救急車なんか呼ばず現場保存して、直ぐに鑑識を手配して現場検証。そして検視と行政解剖。






 さらに今回の事件には、更に多くの不可解な点がある。

【引用開始】
★★コピペ推奨(改訂版)松岡元大臣「自殺」に関する疑問点(叩き台。修正・追加ヨロ)★★

(1)「20分の空白の謎」一刻一秒を争う現場で大臣の命を守るのが使命のSPがなぜ放置していた?
(2)「なぜ慶応病院だったのか?」なぜわざわざ赤坂から遠い信濃町の病院へ搬送?
(3)「顔を覆っての心臓マッサージって??」気道確保や人工呼吸で命を救うより「プライバシー」が大事だった?
(4)「司法解剖なし?」仮にも一国の大臣が自然死ではない死を遂げたのに?
(5)「犬の紐の謎」犬を飼えない議員宿舎でわざわざ犬の紐で自殺?入手先等は分かってるのか?
(6)「パジャマで自殺」散髪して遺書まで書いたのにパジャマで自殺?なにかちぐはぐでは?
(7)そもそも動機は?:ナントカ還元水?緑資源?誰かを守ろうとした?それとも・・?
(8)緑資源の捜査資料「紛失」の謎:厳重に地下倉庫で管理していたはずの証拠がなぜ紛失?
(9)「家内だけが知っているが探さないで」「安倍総理、日本国万歳」遺書のメッセージの意味とは?
(10)飯島(小泉元総理秘書)が誰よりも先に駆けつけた理由は何?
【引用終わり】


ちなみに・・・・

「CPAシート」とは・・・http://ameblo.jp/dreamgate/より。
急患が救急車を呼んだ場合、患者のところに到着すると患者本人もしくは家族に、患者の状況を聞き取り確認し、簡単な「バイタルチェック(生体反応データ)」を測定して記入したノン・カーボンのA4サイズの報告書である。1部は、自分ところの救急隊での控えであり、2部は、救急本部への提出用であり、3部は搬送先の病院への提出用になっている。(ここに担当医が追加記入することもある)提出先は、患者の搬送先の病院の担当医。

SPとは・・・wikipediaより
要人警護、対人警護を行う警護官。日本では一部の警察官がこれにあたる。警察の警護官を主にSPと呼ぶが、これは正確には警視庁警備部警護課で警護任務に従事している専従警察官のみを指す呼称である。高度な格闘術、拳銃操法(25m先の直径10センチの的に、10秒以内に5発以上命中させられる事)、強靭な体力が求められ、警察官の中でもとりわけそれらの条件に該当した選抜者のみが任命される。業務も特殊で、警護対象者が自宅を出てから自宅に帰るまでのほぼ24時間勤務、いざという時は身体を張って護らねばならない専従型なので、犯罪捜査・地域警戒・交通取締といった市民にも馴染みの深い一般的な警察活動にはタッチせず、専らSPとしての警護業務のみを行っており、大部分の警察官とは別種と考えられている。SP要員自体が選抜者のみで構成される。銃器・射撃に関しての技術は全員オリンピック選手レベルであり世界有数の射撃技能を持っている。特に総理、衆参議長、国賓など法的規定のある警護対象者を警護するSPの射撃レベルはSPのなかでもトップクラスである。




 さて、ここで不思議な疑問が浮かび上がってくる。坂井泉水さんは、なぜ亡くなったのだろうか。という事である。まさか殺されたとは思いたくない。

 そして、これら一連の流れをどうやって説明できるだろうか。
①警察官であるSPは完全に死んでいる事が分かっていたので、現場検証のため、降ろさずに放置していた。しかし、変死状態では、現場検証をして司法解剖をしなければならない。よって、病院まで運んで死んだ事にする為に、救急車で搬送して、病院のマスコミの前で、懸命に救護に当たるような演技を、救急隊にさせた。一体誰が???

②松岡大臣は暗殺されていて、全てを無かった事にする為の隠蔽工作だった。



 もう良く分からん。気色悪い。考えたくないわ!!!
 
   

Posted by らっっっきー at 23:09Comments(0)

2007年06月06日

レッチリライブ



レッチリのライブが東京ドームであった。
一塁側スタンド席だったが、スクリーンが大きく、音も悪くなかったので、楽しめた。というより最高であった。まず予習を完璧にしていたのが良かった。全ての曲を知っていたので、知らない曲をやられて、何となくノレないという事はなく、全曲最高にノリノリで、周りも限界を越えて盛り上がり、最高のライブだった。東京ドームは野球場なので背中にビールを背負う女の子が沢山いる。800円のエビスビールを飲みまくりライブ前から酔っ払っていた。酒飲んで好きなバンドの演奏をノリノリで聞くというのは、しかも俺は二週間でレッチリの20年の歴史を学んだニワカファン、よく言えばフレッシュなファンなので、全ての曲が新鮮であり、正に最高であった。
 古参のファンだと、選曲が在り来たりでつまらなかったと言う感想を持ったらしい。しかし初レッチリの俺には、在り来たりなのが一番嬉しい。

ジョン・フレシアンテのギターはかなりアドリブだった為、scar tissueの有名なギターソロも新しいフレーズであった。まるでキリストのようで、いっちゃってる感があるが、そのプレイはライブならではのアイデアに溢れた多彩なものであった。
ドラムのチャドが意外とすごかった。六連を多用したハードなプレイは魅せられるものがあった。
なんと言ってもベースのフリーは最高だった。ベースがこれだけバンドの要であるとは!あのファンキーなサウンドはフリーのベースなくしては不可能だ。ところどころでフリーが一言マイクで話していた。ベースソロも迫力だった。
アンソニーも髭面で暴れていた。最初にライブが数カ月延期になってスマンかったなどと言っていた。美声である。カリスマだ。
ジョンがABBAのSOSという曲を即興で裏声で歌った。コーラスも担当しているが美声だった。途中でここまででいいやみたいに、笑いながら終わらせていた。

under the bridgeでは、客がジッポやライターをみんな振っていて美しかった。フラフラと歩いてきたおっちゃんが、近くの人に火をもらって、タバコを点けて振っていた。さすがに警備員がやってきて、連行していた。

最後のベース、ギター、ドラムのジャムはすごかった。これぞライブの醍醐味。変拍子だらけのドリームシアターを聞き慣れた俺にとって即興で作られていく音楽にノリノリでついていくのは簡単であった。正にトランス状態の東京ドームであった。うおーー。フリーのベースを無視して、ギターが暴れているなあとか、今度はベースが暴れだしたとか、ドラムも、そこまでスネアの拍を裏に裏に崩していくと、客はノレないんじゃないかとか、笑いながら聴いていたが、このケミストリーというのは、すごい。20年以上もバンドをやるというのは、こういう事なのかもしれないなと思った。

酒を飲みつつ暴れていたので頭がぐらんぐらんであった。DOSEDはやらなかったけど、かなりレッチリが好きになった。Tシャツまで買った。
しかしファンは結構ガラの悪い人も多かった。ビールはこぼすは、水か何かをまくわ。

それでもまあレッチリを好きなのは同じである。
また来れたら良いなー。  

Posted by らっっっきー at 19:43Comments(0)