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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2007年05月26日

ハワイ旅行記4




 今日はパールハーバーを見に行く事にした。
 ハワイに来て、日米関係の歴史の中で大きなイベントの起こった真珠湾を見ずして、どうして帰ってくる事ができようか。いやできるわけがない。

 着いた。バス停はあそこだよとドライバが言っていた。握手をして別れた。
 博物館は、荷物持ち込んではダメです。と、言われたので、とりあえず潜水艦などを見てきた。ミサイルや魚雷が展示してある。でけー。



 潜水艦の中に入る。俺はアメリカ国旗とかも大嫌いなのであるが、まあ写真撮るぐらい構わないけど。洗脳されるのが嫌で、それに対する反発心なんだな。
 ここは、日本が敵という事がこれでもかこれでもかというぐらい強調されている。卑怯な日本の不意打ちで尊い犠牲が出たのだ。だから参戦したのだ。俺たちは正義なんだという感じのプロパガンダに満ち溢れている場所であるが、別にその場にいると、ふーん、ああそう、だからなんだという感じもする。



 潜水艦ボウフィン号の中は博物館になっている。
 さて、潜水艦に乗船し、階段を下りていった。ここでは日本語のガイドがもらえた。まず魚雷の部屋。潜水艦は頭と尻で魚雷を撃つことが出来る。頭で撃って、反転して尻で撃つという事もするらしい。魚雷というのはとにかくでかい。これを装填し、海水を充満させ、発射するらしい。





 そして運転室など。メカの塊である。



 そして薬箱がさりげなくあるが、これは当時使われていたものなのだろうか。とても古い。



 狭いトイレもあり、タイプライターの部屋もある。



 ベッドがたくさんあるが、全員分のベッドはなく、寝ている人間を起こしたらその人が寝るようになっていたらしい。当時乗船していた人の肉声も入っている。予算が沢山あったので、食事は一番美味しかったという証言もあった。潜水艦は、非常に危険でかなりの人間がアメリカ人でも死んだらしいが、この艦はほとんど被害を受ける事はなかったらしい。だが、もし死ぬとなったらこんな狭い艦内で溺れ死ぬのだから、悲惨なものであったろう。

 当時、食堂で書かれた手書きのメモもあった。対潜水艦の機雷が多いところを抜けるのは、大変だろうけど、他の艦もうまくいったし、多分大丈夫だろうと言う感じであった。



 そしてインタビューでは、何度も「敵」、「敵」と言っていた。「丸一日も敵を追いかけて、魚雷を外したときは、本当にがっかりしましたね。」などという証言が入っている。
 この潜水艦は、精巧なメカであり、中の乗組員は総じて若く、命令通りに任務を遂行していたのであろう。対空砲なども自分が座って、双眼鏡を覗くことができた。多分死なずに任務を遂行するのは、大変だったであろうが、何とかやっていけたであろう。一番感じたのは、ここにかつていたのは、普通の人間だったという事である。アメリカ人は敵であったという事を忘れてしまう。その場にいる限り、身内というのは、この潜水艦であり、敵というのは、良く分からない得体の知れない標的であり、相手の事は良く分からないし、俺たちはなんとか仕事をやっているのだという人たちの気持ちが感じられた。白人のでけー奴らが、確かにこのベッドに寝ていて、起きてここで飯を食っていたんだろうなという事が感じられた。
 ここにいる限り「敵」は「敵」であった。




 さて、日本に帰ってきて、この潜水艦のことを調べてみたら、対馬丸という名前が見つかった。

【引用開始】
http://www.tsushimamaru.or.jp/jp/about/about1.html
沖縄県の年寄り・子供・女性を島外へ疎開させる指示を出します。予定人数は、日本本土へ8万人、台湾に2万人の計10万人。(略)
対馬丸(6754トン)は、1944(昭和19)年8月21日夕方、疎開学童、引率教員、一般疎開者、船員、砲兵隊員1788名を乗せ、同じように疎開者を乗せた和浦(かずうら)丸・暁空(ぎょうくう)丸と護衛艦の宇治(うじ)・蓮(はす)を含む計5隻の船団を組んで長崎を目指し出航しました。しかし翌22日夜10時過ぎ、鹿児島県・悪石島の北西10kmの地点を航行中、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け対馬丸は沈められてしまいます。建造から30年も経った老朽貨物船・対馬丸は航行速度が遅く、潜水艦の格好の標的だったのです。
ほとんどの乗船者は船倉に取り残されましたし、海に飛び込んだ人も台風の接近に伴う高波にのまれました。犠牲者数1418名(氏名判明者=2004年8月現在)。イカダにすがって漂流した人々は、付近の漁船や海軍の哨戒艇に救助されたほか、奄美大島まで流されるなどして生き延びたのです。
【引用終わり】



 心の底から、ぞっとした。


 フレンドリーな係員がいる、興味深く、精巧で、当時の人の息吹が伝わってくるような潜水艦は、ただの子供のおもちゃではない。まぎれもなく殺人兵器である。
 
 敵というのは、見えないし、当たったか当たってないか、作戦が成功か失敗か、という事で語られる敵であるが、その正体というのは、女・子供であり、虐殺されたに等しいような日本人たちであった。
 考えてみれば、どこか冷めた目で、何も深く考える事無く、(時間も無かったので)、見てきたが、あれが1418人の日本人を殺した殺人兵器だったとは、全然思っていなかった。そしてインタビューで話していた人たちは、正にその殺人者だった。
 見えないからこそピンと来ないまま、人を殺せるのだろう。そして互いは同じ人間だった。情報を遮断する事で、人はどんな愚かな事もできるのだろう。

 で、アメリカという軍事国家の展示はまだまだ続いた。


 トマホークや、各種ミサイル、魚雷など。
 特にビックリしたのは、日本の回天があった事だ。最近、「ブラックジャックによろしく」の作者が、回天をテーマにした漫画を描いているが、日本の自爆攻撃用魚雷である。想像以上に大きい。







 そして潜水艦博物館にも入った。時間が無いので、今回はミズーリ号も、ボートに乗る事もできないようだ。もっと朝早く起きれば良かった。

 ここには日本人に関する展示も沢山ある。

  

 アメリカの潜水艦は、魚のようなマスコットキャラクターがあって、そこに沈めた船や潜水艦などの数だけ日の丸を縫い付けているしい。

 


 ボウフィン号の船体にも貼ってあった。そしてフランスの国旗もある。なぜかと言えばフランスは降伏してからドイツ側になって戦ったからだろうか??? 
 


 驚いたのは、原子力潜水艦から発射される核ミサイルのポセイドン(Poseidon, 制式番号はUGM-73)が展示してあった事である。これはWIKIPEDIAによると、核出力50 ktのW68核弾頭を搭載するMk.3型再突入体(Re-entry Vehicle、RV)を最大14基搭載できたらしい。核出力とは、核爆弾の威力であり、広島の原爆は15キロトンである。つまり広島原爆の3.3倍の威力のミサイルが14基搭載されるという事は、広島の原爆の46.6倍の威力を持つミサイルなのである。しかもこれは原子力潜水艦から撃たれるので、どこから撃たれるか全く分からないのである。正に人類を滅ぼすものが、そこに普通に置いてあり(もちろん核なんて入ってるわけないけど)、このような核を開発することによる核抑止力で、平和が保たれてきたのですなどという解説が平然となされているのだ。
 その中身を覗いてみると、電源コードとかがグチャグチャとあって、そんなに危険なものには見えないのだ。
 うーん、人間ってバカバカしい生き物だね。






 さて、パール・ハーバー博物館にようやく戻ってくると、人が沢山いた。日本人の姿はあまり見えない。この場所で、じいちゃんが死んだとかいう人もいるかもしれない。ここにいる人たちは皆、神妙な面持ちで、展示を眺めていた。
 ここに来ると、WW2の日本がいかに、異端であったかが分かる。よくもまあ、あそこまでやったものだ。信じられない。正に反日に満ちているような場所であり、だんだん居心地が悪くなってくるのであった。




 アメリカ人は911の事をパール・ハーバーだとか言ってたらしいが、自分が被害者だということにして、そこからメチャクチャな戦争で大虐殺を繰り広げるアメリカというのは、昔から全く同じである。
 当時の新聞も、911の時と同じように、これ以上無いほどセンセーショナルに、報じている。この新聞はお土産で買うこともできる。



 ちなみに終戦の時はこちら。



 911は科学的に100%有り得ないヘタクソな自作自演であったが、パール・ハーバーはどうだったのだろうか。
 まあ殊更に被害を神聖化して、第二次世界大戦にアメリカが参戦できたのだ。軍需産業やアメリカ政府がトクをしたのは間違いない。偶然説を取るか、陰謀説を取るか。
 真珠湾攻撃は、アメリカが招いたものだとか、事前に分かっていた事だとか、色々な説があるが、それを調べるのはまた今度にしよう。

 日本などというのは、もう過去に征服を完了した国であって、今更叩く必要も無いのであり、いくら反日の中心地と言っても、そこまで露骨な反日プロパガンダがあるわけではない。なので、俺は観ていないのだが、ここで上映される映画では、アメリカ側の不備だとかを描き、公平な視点だったとのこと。またミズーリ号に行くボートでは、ブッシュが、「私は(第二次世界大戦を経験しているが)日本もドイツも全く恨んでいません。日本もドイツももう敵ではありません。」などと言ってるらしい。
 
 例えばベトナム戦争とか、アフガン、イラク戦争などで、利用されるだけの一般貧乏アメリカ人というのも、考えてみれば哀れな存在である。俺は実行部隊である米軍が、この世に多くいる人殺しの中でも、最悪な部類の殺人鬼だと思うし、許す事など出来ない。しかしここでパールハーバーで死んだ人間も、歴史の犠牲者という点ではそんなに変わりは無いのかもしれない。


 そして空港に行って、日本に帰った。

 ハワイは、色々考えさせられるものもあるが、のんびりするには最高である。
 日本であくせく働くのも良いけれど、たまにはビーチリゾートも最高だ!! その際には、ぜひぜひオーシャンビューのホテルに泊まるとよろしいかと思われ。
 
 以上。  

Posted by らっっっきー at 17:12Comments(0)

2007年05月26日

ハワイ旅行記3



 今日は結婚式。
 けっこう個人的な事がだらけなので、ほとんど元の日記はカット!!!!

 朝、軽くパンなどを食べて、着替える。赤いアロハを着て、ネックレス。髪を立てて、グラサン。黒のスーツパンツ。
 歩いて、ホテルまで。今日はチャリティーのウォークラリーがあるらしい。昨日はトライアスロンの大会があったらしい。スポーツマンだらけである。自転車を持っていたり、走りにいく格好をしている人たちが、ロビーでうろうろしている。オープンな感じのロビーで、開放感がある。新郎・新婦がウェデングドレスと白いスーツでやってきた。
 そしてとにかく晴れていて、暑い日であった。多分、日本でやると、商業的でビジネスライクでベタで、別に感動する事もないかもしれない。しかし、このような何もしがらみの無いような場所に来ると、そのような日本社会にあるギスギスしたガチガチした、どこか周りばかりに気を遣い、そしてそのような常識自体に辟易したような、どこか冷めたバカバカしい感じがあるのだが、そのような気持ちが無くなり、何も特に考えず普通に結婚式ということになり、まあ良いのではないかと思う。

 結婚式があり、披露宴があった。 

 やはり、ピアノを弾いてやりたかったなあと思った。リストの「愛の夢」を結構練習したが、流れが壊れるかもしれんと思いやらなかったが、別に一曲弾くぐらい大して別に悪くなかったような気もする。しかし要望も無いのに、やる必要も無いだろうという気はしていた。




 さて、午後は暇なので、サーフィンをすることにした。初体験である。
 ボードを借りにいった。受付のおばちゃんに、最初はスクールにした方が良いと言われた。実際にサーフボードを持ってみると、死ぬほどでかい上に重い。こんなにでかかったっけと思ったが、ロングボードと、ショートボードは全然ちがう。こんなにでかいボードを持って、右も左も分からないのに、海に入っていって、一体自分はどうなってしまうのだろうかと、すごく不安になってきた。そして周りも危ないであろう。素人がつっこんできて、もし怪我をさせてしまったらどうするのか。少なくともコーチをつければ、怪我をさせてもコーチのせいにすることができる。
 迷ったが、このような機会はあまり無いことだし、スクールで習う事にした。
 すると、太った黒いハワイアンの混血ぽいおっちゃんがやってきた。サングラスをかけて異様な威圧感がある。そして白人のおばちゃんも生徒らしい。英語がイマイチ良く聞き取れないのだが、とりあえず向かう事にした。寝そべって、パドリングして、ヒザ、足、そして立ち上がるというのをやれば良いらしい。そして最初はゆっくりやれば良いらしい。そして寝そべる位置、立ち上がる位置が重要らしい。そしてバランスを取って立つまでは、しっかりと手でボードを持っていればよいらしい。
 そしてあっという間に、海に出る事になった。足に巻いた。紐がついている方が後ろなのだが、何度か後ろと前を間違えてしまった。
 おっちゃんが支えてくれて、パドル!!! というので、思い切りこぐ。波に乗るので、手で持って、立ち上がるのであった。三回くらい繰り返すと、何と立つことができた。立つのが難しいというのを聞いた事があるが、とりあえず波にボードが乗ってしまえば後は浮沈艦に乗っているようなもので、立とうが座ろうが自由である。ゆっくりと手でしっかりと押さえて立ち上がる事ができた。スノボと同じでグーフィースタイルである。そしてスノボよりも立つのは簡単であった。
 思うに水泳・ボディボード・スノボが出来る人は、サーフィンも出来るのかもしれない。俺は、それら全部できる。水泳を知っていればパドリングで速く進む事ができるし、ボディボードを知っていれば波に乗るタイミングが分かるし、スノボができれば板の上で横向きに立ってボードをコントロールする術を知っている。
 雪の上で、死ぬほど苦労したから、今苦労しなくて良いのかもしれないなと思った。
 なので、意外にも簡単に波に乗って、コントロールする事ができた。波に乗れて、戻ってみると、おっちゃんは、ニヤリと笑ってグッドグッドと言って、俺と拳をゴツン合わせてくれる。そして波に乗っている時は、周りがすごく良く見える。周りの人も俺に注目して、フォーーーーーっと奇声をあげて、喜んでくれるハワイアン、うわぁすごーいと笑ってくれる日本人の女の子などがいた。
 そんなにすごいことっすか?? と思いつつも気分が良いし、気持ちが良い。
 しかし、やはり初めてなので、いろいろと大変である。まずワイキキビーチの海は、サンゴか溶岩か分からんが、固い岩のようなものが沢山ある。よって、ボードから勢い良く飛び降りると、運悪くそこは岩の上で、思いっきり足に突き刺さってしまった。また前に人がいる事が多い。サーフィンエリアは、あまり人が泳いでいないが、他のサーファーとぶつかりそうになることも多い。しかもコントロールのやり方が良く分からない。こういうときは、ボードから飛び降りれば良いのであった。バチャーンと。
 また技術的な問題があり、最初に寝そべるポジションが重要なのである。スノボーと違って、サーフボードは液体の上に乗っているので、角度は自在に変わる。なので、前に体重をかけ過ぎると、ボードが下を向いてしまい、水の中に潜ってしまうのである。なのでなるべく後ろに乗ると、うまい事コントロールができた。コツをつかんできたら、砂浜の方まで乗っていくことができた。
 またコーチも白人のおばちゃんに付いている時は、俺が暇になってしまうのだが、別のハワイアンのロン毛の兄ちゃんが代わりに俺に指導してくれるのだ。その英語がかっこいい。WAIT... AND NEXT, YOU SEE, THIS WAVE IS YOU! PADDLE!! と言って、波のタイミングを図ってくれる。
 小学生くらいの可愛い女の子も練習していた。お父さんがついていて、コーチをしているのだが、必死でとても可愛らしい。俺にボードがぶつかりそうになり、SORRY!! と謝っていた。
 そして一時間の講習が終わった。素晴らしく楽しかった。俺がけっこう上手かったらしく、一緒に習った白人のおばちゃんも驚いていた。今日が初めてとは思えないと言っていた。
 それにしても日本ではサーファーというと、多趣味でちょっと変わったおしゃれで元気な若者という感じで、湘南あたりでプカプカと浮いている人が多いが、ハワイでは、小学生くらいの女の子からおばちゃんに至るまで、サーフィンを純粋に楽しんでいる事に新鮮な驚きを覚えた。それに波もあるし、遠浅だし、とにかく海が美しいのだ。真っ青な海なんて日本にそうあるものでもない。
 日本の近くに低気圧が発生すると、ハワイのNORTH SHOREに最高の波がやってくるらしい。サーフィンってのは、良いねー。昔、BEARというブランドの元になったアメリカのサーフィンの映画があったが、孤独なスポーツのようで、奥が深そうで、独特の世界がある。
 シャワーを浴び、受付に戻る。受付のおばちゃんは、だから言ったでしょう。良いコーチだったでしょうと言っていた。



 先週末はさー、ちょっとワイキキでサーフィンしてきたんだよねーと、自慢しようと思えばできるなと思いつつ、ホテルに帰った。


   

Posted by らっっっきー at 17:10Comments(0)

2007年05月26日

ハワイ旅行記2




 目覚めたら、オーシャンビューのホテルで、窓際のエアベッドで寝ていた。
 風が心地よい。朝をエッグンシングズで食べるらしい。



 朝から日差しが強い。ここはハワイ・アメリカである。白人の人はエクササイズが大好きらしく、年配の方がジョギングをしている。こぎれいな店。Eggs'n Things、つまり「卵など」という店である。
 http://eggsnthings.com/Menu/menu.htm
 木製のでかいメニューには、日本語が書いてある。適当にオムレツや、ベーコン・エッグなどを頼む。飲み物が大きい。うまかった。フワフワの卵であった。適当に分けて食べる。




 ヤシの実があり、綺麗な町並みである。ブランドものが並んでいる。ビーチがあり、はだしで歩いてたり、水着で歩いている人もいる。日本のラーメンやなどもある。



 この後は、ハナウマ湾で、シュノーケリングをするなどという話である。
 ホテルで、着替えて、ハナウマ湾まで、リムジンで行くらしい。ロビーの外で待つものの、なかなか来ない。ようやく来たのは、ボロボロのリムジンであった。これでは高級感が無く、ただの長い車である。リムジンは、天井が低く、真ん中にシャフトが通っている。という事は、フロントエンジンで、リアドライブである。三時に待ち合わせ。湾が見渡せる場所に来た。でかく、青かった。小さくシュノーケリングをしている人たちが見えた。晴れていて、ハワイアンにとっても珍しいほど暑い日だったらしい。





 洞窟をあしらえたような展示場があり、ハナウマの魚や地形、歴史などをディスプレイしていた。入り口で金を支払う。入り口が完全に一つだけで、完全に管理されている。
 暑い中、白人、日本人、ハワイアンの人々は、しばらく待たされ、50人くらい人がたまったら、映画を見る部屋に連れて行かれた。ここは火山の噴火で、島に加わった場所であり、そこがなぜかえぐれて湾になったというCGがあり、カメやら魚やら珊瑚やら生態系が豊富なのだという事を教えていた。そしてLOOK, BUT DON'T TOUCH!! というストリップにでもありそうな、注意が、ここで言いたい事の全てなのであった。ウツボなどは、触るだけで危険である。それを肝に銘じて、砂浜まで歩いて下っていった。砂が暑い。たくさんの人がシュノーケリングでプカプカ浮いていた。珊瑚の浅瀬がいたるところにあり、普通に泳ぐと、胸がスレスレになる。80cmぐらいの魚がいる。特に浅瀬の方が魚が多い。珊瑚か何かをゴツゴツと、一生懸命食べている。映画の教えが効いているのか、魚もあまり人を警戒していない。ひたすら食べている。でかい魚になると、サンゴに口をつけるたびに、ゴスッという鈍い音が、水中に響いていた。ソードフィッシュなどもいて、1mはあった。色合いが綺麗であった。でかすぎて、尻尾が海の上に出ている魚もいた。左から右までずっと泳いでみたが、場所によっては全然いない。
 しかしグレートバリアリーフのような、めくるめく熱帯魚と珊瑚の楽園とまでは、いかない。それでも十分楽しかった。
 売店はビーチにはないので、降りる前に買って置くほうが良い。しかしハワイは、日本のペットボトルが高い。日本から輸送しているから高いのだろうが、一本400円以上する。間違えて買ってしまわないほうが良い。ハナウマ湾では、マリンスポーツのようなことをしている人はいなかった。マリンスポーツをするなら、別の場所なのだろうか。
 自然を囲って観光地として環境を守るというのは、良い方法である。日本でこのような場所はあるのだろうか。
 ポテトを売店で買い、値段を見ずにおーいお茶を400円以上で買った。
 リムジンを待ち、帰った。日焼け止めを塗っていたが、背中は手が届いてなかったらしい。
 三時を過ぎたら、やっと来た。前の人が遅れたので、すいません。と、不可抗力によるという状況説明および素直な謝罪があり、帰った。リムジンは、目立つらしく、どんな人が乗っているのかと覗き込んでくるドライバーがいる。
 


 DIESELのバッグを買いに行った。ペンダントなどを売っている屋台がたくさんある一角に来た。バンドの生演奏でもしているようであった。東洋人的な30代後半の女性に進められ、ペンダントを買う。アロハシャツにはペンダントがあったほうが見栄えがする。サメの歯を飾りにしたものなどが売っている。適当に値切って、一つ購入。
 マンゴーの詰め合わせを購入。チョコとナッツはいくらでもあるが、定番過ぎるので、土産には買うなと言われていた。美味しかったが、日本でよく見たらフィリピン産であった。
 そしてアラモアナ・ショッピング・センターではなく、ワイキキ・ビーチ沿いのDIESELショップに行く。後で調べたら日本で29000円ほどのバッグだったのだが、150$で売っていた。

 さて、しばらくブラブラしていると、Diorの店の前で、ドラムを叩いているおっちゃんがいた。街に大道芸人が多い。俺のドラム魂が騒ぎ始めた。そして何と叩いて良いというのである。むしろ叩いてもらうことで、ゼニをもらっているようである。なので、ドドドドドバスバスバスバスと、適当に叩いた。少し音を抑えた方が良いと、おっちゃんに言われた。演奏を終えると、周りから拍手があった。しかし恥ずかしいものがあった。

 さて、夜はチーズケーキファクトリーなどというところであった。かなり混んでおり、呼ばれたら赤く光り音がなる機器を渡され待った。暇だったので、またドラマーの様子を見に行くと、あまり上手ではない感じで、おっちゃんが叩いていた。バケツをドラムにして、白人のメガネの兄ちゃんが演奏していた。なかなかうまい。ひたすら動かないだけという芸人も沢山いた。うまい人もへたな人もいるが、一番これをあっけに取られてみているのは、子供である。これは人なのか人形なのかと、ポカーンと手を引かれて歩いていく子供は可愛い。
 で、レストランであったが、店員のノリがアメリカンであった。考えてみると、忘れていた事であったが、アメリカ人は明るい人がけっこういる。私と私が、あなたのテーブルにおつきしてサービスをいたしまーすなどという自己紹介がまずあった。そして笑顔でいろいろ持ってきてくれるのだが、とにかく量が多い。そしてはっきり言って、ぶっちゃけうまくはなかった。具が大きく切られていて、味付けも適当な事この上ない。火が通ってれば何でも良いという感じである。が、まあロコモコはまあまあ美味しかった。それでも何故かものすごく客が沢山いて、商売大繁盛という感じである。ハリウッド映画のような大味さであった。まあ、雰囲気はグッドであった。
 チーズケーキを買って、帰った。明日の荷物を持たされて、ホテルへ。

 チーズケーキファクトリーと言うだけあって、チーズケーキはとても美味しかった。
  

Posted by らっっっきー at 17:04Comments(0)