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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2007年02月16日

ニュージー・ランドの規制緩和



 規制緩和によって結局何が行われたのか。
 興味深い事例をニュージーランドから学ぶことができる。
 グローバリズムとは、外国(主にアメリカ)の巨大資本による日本収奪の事である。それは日本に限らない。ニュージーランドでも同様だったのだ。
 規制緩和による国の収奪マニュアルがあって、同じようなことが日本でもニュージーランドでも行われたのだ。

「規制緩和に取り組む政治家や官僚を結集した国際的な研究が行われていて、政策実行のための共通の筋書きがあるのです。それによれば、議論をリードする中心的な政治家、官僚、民間人を持つことが非常に重要だとされています。また、ある種の危機感を創出し、人々に他に方法がないと信じさせることが大切だともいっています。さらに、いったん規制緩和のプロセスを開始したら、できるだけ急速に、できるだけ多くの政策分野で事を実行しろと述べています。」

 というように、外に対抗できなかったから、ヤラれたわけではなく、内から侵食して、ヤラれたのである。平和で豊かな国を作るのは難しい。


 



【引用開始】
http://www.saturn.dti.ne.jp/~chabin/economy.html#anchor1685676
ニュージーランドで何が行われたか(ジェーン・ケルシー)
 外国の方々にお話しするときに、ニュージーランドの経験から得たもっととも重要な教訓としてお教えしたいことがあります。それは、規制緩和のなるべく早い段階で、開かれた、活発な、しかも十分な情報に基づいた議論の場を持たねばならないということです。ニュージーランドではそれがありませんでした・・・。

 聞くところによると、現在日本では規制緩和への大きな力が働いていて、多くの人々は規制緩和を良いことだと信じているようです。とくに、官僚があまりに力を持ち過ぎていると大方の人々は考えています。しかし、大切なことは規制緩和とは官僚から市民に権力を移すことではないということを理解することです。それは、社会のエリート層の集団内での権力の移動であり、個人や市民のコントロールの及ばない経済エリートと世界市場の手に権力を与えることを意味しているのです。規制緩和は市民の力を強めるのではなく、資本と市場を強化するのです。これこそがニュージーランドの経験でした。・・・

 経済は危機状態にあり、だからこそ変革が必要なのだというのが彼らの主張です。経済は危機だと聞かされるたびに、より多くの人々が本当にそうなのだと信じるようになりました。これは単にニュージーランドだけの現象ではありません。規制緩和に取り組む政治家や官僚を結集した国際的な研究が行われていて、政策実行のための共通の筋書きがあるのです。それによれば、議論をリードする中心的な政治家、官僚、民間人を持つことが非常に重要だとされています。また、ある種の危機感を創出し、人々に他に方法がないと信じさせることが大切だともいっています。さらに、いったん規制緩和のプロセスを開始したら、できるだけ急速に、できるだけ多くの政策分野で事を実行しろと述べています。国民が先週の変化について考えている間に、来週の変化を準備せよというわけです。そうなれば国民はいつも状況対応で、決して議論をリードすることはないというのです。・・・

 ニュージーランドの革命のリーダーたちは今、世界を回って、彼らがいかにして変革を実行したかを各国政府に説き、同じ道を歩むように説いて回っています。彼らはよくいいます。「国民は、何が彼らのためになるかがわからない。だから、事前に事を知らせてはいけない。規制緩和の価値は、それを実行しなければ理解できないのだ」と。このような姿勢がわが国における民主主義の危機を招きました。ところが、あまりに多くの権力が民間部門に移されたため、私たちが勢力を盛り返し、民主主義的政権を作ったとしても、私たちの生活に影響を与える多くの分野で政府は力を行使できないのです。・・・

 貧困という言葉は、ニュージーランドでは一九八四年以前には使われませんでした。何年にもわたる規制緩和の結果、貧困状態で暮らすと見られるニュージーランド人の数は、一九八九年から一九九二年にかけて三五%増加しています。つまり、これらの人々が基本的生活水準に達していないのです。手許にある一九九三年の最新の統計では、六世帯の内一世帯が貧困状態にありますが、子どもの場合は三人に一人が貧困状態で暮らしています。ニュージーランドの若者の自殺率が、OECD諸国のなかで最高なのは驚くにあたいしません。・・・

 こういうわけで、ニュージーランドの規制緩和は成功だったという人に対しては、誰のための成功なのかと問いかけます。規制緩和は、私たちの社会を危機に陥れました。多くの人々と家族の生活を破壊し、約束していたはずの経済繁栄はどこにもありません。彼らは長期的な幸福のためには、短期的な痛みは仕方ないといいました。私たちは散々痛めつけられましたが、幸福がやってくるとは思えません。

 こうした経験を日本で回避することは可能です。しかし、そのためには実状をしっかりと知り、大胆に発言し、そのためのリスクを恐れない心構えを持たねばなりません。そして影響力と力を持った人々が、女性や、少数者や、力を持たない人々といっしょに声をあげる決意が必要なのです。孤立の中で闘っても勝利を得ることはできません。連帯してのみ、勝つことができるのです。そして、なるべく早い段階から闘いに立ち上がることが大切です。ニュージーランドでは、一三年の革命的変化の後で、元に戻ることは不可能です。また私たちの多くはそれを望んでもいません。旧来の官僚制と、福祉国家と、経済体制には多くの問題がありました。私たちに今必要なのは、まったく異なった、私たち自身の世界に向かって、いかに前進するかということです。

 みなさんには、私たちのような状況になる前に、違う道を行くチャンスがあります。そこで一番大切なことは、単に規制緩和に反対するだけの議論ではなく、あなたがた自身のオルタナティブな道、日本の民衆の利益に合致する、よりよい道を提案することです。それに向けてみなさんが建闘されることを祈ります。・・・


ディスカッション ルールを決めるのは私たち(司会 井上礼子)

内橋・・・こうして「社会的規制」も含む「例外なき規制緩和」がどうしても必要だ、ということになり、世論づくりが強烈に盛り上げられていった、ということです。・・・

 併せて中小零細企業の領域もゲートレス(垣根をはずす)な状態での開放が迫られた。そのためには「調整の思想」(中小企業の事業領域に大企業が資本力にものをいわせて殴り込みをかけたりしない、という考え方)もまた御破算にする必要があった。新たな利益チャンスの源泉を求めて、ということになります。

 第四に、すでに触れてきましたように行政独裁ともいえるこの国の政治の現状に対する市民の強い反発があり、それも強い追い風となった。すでに指摘したところです。

国民の間に高まる、このような空気を追い風として「官僚征伐」の装いも凝らした規制緩和が、急速に社会的正義へ、と昇華されていく。むろんその実態は、官僚製規制緩和が進行しているにすぎなかったのですが・・・。

 ケルシー ・・・この問題で私たちが人々に訴えようとしているのは、規制緩和を止めるのに政党や政府に頼っていてはだめだということです。政治的力を持ち、国の内外に連携を作り出すような新たな道を探らなければなりません。そして規制緩和によって権力を得ているもの、つまり政府ではなくて国際的な資本に対して圧力を加えなければならないということです。・・・

 規制緩和の推進者たちが、構造調整策と規制緩和を経済政策における技術的進歩と考えているのに対し、人間的価値を取り戻し、社会の現実とそれに対する責任を問題にしていくことが私たちに課せられた任務です。それは可能だと私は信じているし、その確信を持たなけれれば目的は実現されないのです。・・・
【引用終わり】  

Posted by らっっっきー at 21:03Comments(0)