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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2007年01月08日

結局は「真」・「善」・「美」




馬鹿の壁という言葉がある。
人は自分の信じたい事を信じるし、信じたい事しか信じない。と誰かが言った。

俺は子供のころ、自分はまだ子供なのだから、世界の事を何も分かっていないと思っていた。でも大人はあらゆる事を知っていて、世の中を上手に動かしているんだろうと思っていた。
しかしそれは大間違いだと成人した後にわかった。自分も含め、何も知らない人がたくさんいる。少ない見聞の中で、自分の信じる事を固めて、適当に日常を送ってる人が大半だろう。また専門的知識というものが重要で、ある道に精通していればそれで充分だとされている。

世の中には様々な問題がある。

まず無関心な人がいる。
楽しい事は他にたくさんある。衣食住や恋愛やゴシップ、あらゆる趣味など、自分自身に身近な問題が山積みでもある。そして仮にある問題に関心を持ったとしても、他の問題は置き去りである。「なぜ皆この問題に無関心なのだろう」というのはよく聞く台詞だが、ある意味仕方ないのだ。

次に通説を鵜呑みにする人がいる。
自分の頭で考えない事が原因なのだが、権威主義に近いものがある。偉い人が言うから正しいだろうという考えである。

しかし謎なのは、相互に矛盾する考えを、なぜ矛盾したまま、信じる事ができるのかだ。
人は矛盾した生き物だからと言うのはあまり説明にはなっていない。

例えばなぜ物理の法則に反したWTCの崩壊を信じる事ができるのか。テロ行為を行う米軍をなぜ対テロ戦争を行っているとして支持できるのか。耐震偽装の告発を行っている人をなぜ無視できるのか。なぜカルト宗教とズブズブの人間を首相として支持できるのか。なぜ日本をアメリカに売り払う人が日本を愛せと言うのを支持できるのか。なぜ自分の生活が苦しくなるような政策を行う政府を支持するのか。

基本的に自分が大事だと思うのは、「真実」と「善」である。「美」という概念も重要だけど、それは次にくるものだ。
真実を求めるという事は、すなわち科学であるという事だ。科学的でいる為の姿勢は謙虚さであり、様々な可能性を考慮して、妥当な結論にたどり着くものだ。
科学的という事はそれほど難しい事ではない。なぜならそれは秩序だっていて原理原則があり、実験によって確かめられるからだ。熱力学の法則は世界のどこでも変わらないし、重力定数もケプラーの法則も変わらない。鉄の融点も変わらないし(厳密には微妙に変わるかも)、どうやったとしても1+1=2である。

また「善」が基準という事はフェアであるという事だ。人は生まれながらにして平等ではないが、少なくとも同等の権利を持っていると考えるべきだ。WTCで死んだ人も、イラクの防空壕で死んだ人も、イラクで何十万という単位で死んだ人も同じ価値の命である。


このように自分の価値基準の根底にあるのは真と善、(そして美)なのだ。

だからこそ911テロ、アフガン・イラク戦争に関してアメリカを非難するし、テロ戦争は茶番だと思うし、日本の政府のやり方にも、文句を言い続けたり、これからも適当に言いたい事を書き連ねたりするのだ。そうなのだ。そうなのだったらなのなのだ。  

Posted by らっっっきー at 23:59Comments(0)