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2007年01月02日

映画「JSA」の感想



JSA
2001年公開
監督:パク・チャヌク
出演:ソン・ガンホ、イ・ビョンホン、イ・ヨンエ、キム・テウ、シン・ハギュン

 あのイ・ビョンホンが出演している。
 シュリでお馴染みのソン・ガンホも出演している。
 そして、なんとチャングムの誓いの主人公イ・ヨンエも出演している。
 とりあえずネタバレも含みますので、まだ観てない人、結末などを知りたくない人は読まないで下さい。
 では↓







 切ない映画であった。そしてこれが確かに韓国ですごい人気になったというのも分かる気がする。
 セットが本当にリアルであった。最初、あまりにリアルなので本当の板門店で撮影してるのかとすら思った。板門店を訪れる観光客が出てきたが、それは正に二週間前の自分であった。帽子が風で飛んでいって、北朝鮮領に入ってしまう場面では、どうやって撮影したんだろうと思ったが、これは全て半年かけて作ったセットらしい。ま、そりゃそーか。

 さて、北朝鮮という国は、国ごと丸ごとキチガイ国家なのだろうか。いや違う。一人一人は俺と同じ人間なのだ。そしてそんな当たり前のことを気づかせてくれた。そして敵同士として殺しあう悲劇が切なかった。
 俺は二週間前に、板門店に行ってきて、この映画の舞台をこの目で見てきたので、尚更、深く感じるものがあった。
 もはや冷戦構造も崩壊したというのに、北朝鮮はいまだに東陣営のままである。俺はなんだかんだ言って西側諸国の人間であり、日本人として、韓国のツアーに参加して、韓国側から、「敵」としての北朝鮮を一瞬覗いてきただけであった。
 「敵」という考え方は、相手を記号化する。
 「敵」は「敵」である。自分たちとは異質であり、危険であり、心は無く、悪魔のようなヤツらで、自分たちを殺そうとしてくるヤツらであり、そんな敵の命に価値はなく、虫けらのように殺しても構わない、むしろ相手を殺す事、敵をやっつける事、悪いヤツをやっつける事が正義だという、そんな考え方に結びつくのだ。

 しかしそれは自分たちの政府が与えた「幻想」だ。
 「敵」は自分たちと変わらないただの人間なのだ。
 また、戦場においては、そんな「幻想」が現実になり、敵を殺さなければ自分が殺される事になるのだ。

 しかしそんな事はなかなか分からないものなのだ。俺が板門店において、一瞬見えた北朝鮮の兵士は、恐ろしい得体の知れない向こう側の人間に見えた。鉄のカーテンの向こう側の事なんて、なかなか想像できるものではない。

 JSAの映画の中で、最初の場面では、撃ってくる相手は、ただの「敵」であり、死体となった男は、ただの敵の死骸であった。

 しかし、それは徐々に変わってゆく。
 長い長い勤務は、退屈との戦いなのかもしれない。長い長い夜が続き、実際に交戦する事などほとんど無い時間の中で、謎の敵との交流が生まれる事も実際にあったのかもしれない。
 地雷を踏んでしまったスヒョク(イ・ビョンホン)を助けたのは、北朝鮮の兵士ウジンとギョンピルであった。
 そこからスヒョクと、2人の北朝鮮兵士ウジンとギョンピル、そしてスヒョクの同僚のソンシクを加えた4人の交流が始まる。
 北朝鮮の訛りがある2人の北朝鮮兵士は、決してただの「悪魔のような敵」ではなく、暖かく人間味のある男たちだった。殺しあうべき敵は、ただの人間だったのだ。そして友情が芽生えていく。
 俺も韓国旅行中に韓国人の友達ができたが、韓国人は本当に友達を大切にする情に厚い人たちであると思う。政治的に南北に隔てられていようと、一度出来た友情は、強いものなのだろうと思う。
 ウジンの誕生日に、ソンシクはプレゼントを渡し、ウジンは泣いてしまう。
 今まで敵だと思っていた相手が、こんなにも人間らしい事が分かり、そして心が通じ合い壁が崩れていくような場面では、涙が出てきそうになってしまう。

 そして、悲劇が起こる。

 考えてみれば、どんな友情であっても、結局は国家と国家の関係という大きなシステムを前にすれば、一瞬で吹き消されてしまう。それがこの映画の描く悲劇であり、南北朝鮮の現実なのだろう。あっという間に全てが破綻する。

  死んだウジンは、もうただの「敵の死骸」ではなかった。絵がうまくて、ドジで、いじられキャラで、オドオドしていて、それでも根は優しくて、ギョンピルを慕う、とってもいいヤツが死んでしまったのだった。あまりにも悲しい。だが戦場においては、そうせざるを得ないのだ。
 そしてそんな現場でもテキパキとその事態を収拾するギョンピルは、男であった。
 
 北朝鮮も韓国も、そもそも同じ民族なのに、いまだに敵同士ということが悲劇なのだ。それは実際に板門店に行っても感じたが、それが実際に火を噴く映画を見ると、どうにもやるせなくなる。

 大国の思惑、パワーバランス、政争、積み重ねられた歴史的事実、メンツ、イデオロギー、思想、憎しみ、教育、洗脳、などなど、現実を固定化する要素は、そう簡単に変えられるほど生易しいものではない。

 なんとか悲劇が終わるように祈るのみである。  

Posted by らっっっきー at 22:01Comments(2)