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2006年10月27日

いじめ問題を考えよう






最近、いじめの問題をマスコミでよく取り上げているようだ。今日はちょっとばかり、それについて考えてみよう・・。さて、本日の貴方のご機嫌は麗しゅう御座いますか?ではでは本題にザックリと切り込んで参ります。

■いじめの定義
「同一集団内の相互作用過程において優位にたつ一方が、意識的に、あるいは集合的に、他方に対して精神的・身体的苦痛をあたえること」(森田洋司・清水賢二「新訂版いじめ」金子書房、1994年による定義)である。

■いじめに関する良くある誤解
1.”いじめは昔からある”
たしかにいじめは昔から存在しましたが、現在のいじめのように悪質・長期的なものではなく、またいじめられた子供をかばう子供がいたといわれています。
2.”いじめは子供のけんかにすぎない”
けんかは力が対等な子供の間に起こる争いですが、いじめは優勢な立場にある子供が劣勢な立場にある子供に対して、しばしば多数対一人(または少数)で行うものです。
3.”いじめられる子供にも問題がある”
いじめられた子供は、何も悪いことをしていないのにいじめのターゲットになってしまった被害者です。性格などに、いじめられやすい特徴があったとしても、その子供の個性であり、問題点ではありません。欠点はどの子供にもあります。いじめる側が悪い、という認識を徹底するべきです。近年は、誰でも被害者となる可能性があり、また、いじめられた子供がいじめたり、いじめた子供がいじめられたりと、立場が流動的になっているとの報告もあります。
4.いじめられた子供は”強くなるべきだ”
いじめを打ち明けられた時に、子供に「強くなれ」という親は多いようですが、子供のほうでは自分に否があると責められたと感じて、心を閉ざしてしまいがちです。いじめに対処する術を身につけることは必要ですが、親が子供と一緒に対処方法を考えることが必要です。いじめられた子供が”強くなって”、他の子供をいじめる、というケースも多いようですが、いじめの連鎖となってしまうだけです
5.”いじめは日本特有の現象である”
いじめは日本だけの現象ではなく、欧米諸国ではどこでも問題となり、いろいろな対策が行われているようです。海外のいじめ対策事例に学ぶことができます。
http://members.jcom.home.ne.jp/i-network/

■今回の事件
 福岡県筑前町立三輪中学校のいじめ自殺事件が大きく報じられた。担任教師が深く関わっていた。
▽1年の時に生徒らをイチゴやジャムに例えてランク付けし、成績が悪い人は「出荷できない」と話すなど人格無視の発言を繰り返した▽ケガをしているのに仮病よばわりやうそつき扱いした。男子生徒が体育の授業で騎馬戦の練習中に転落し、大事を取って腕にギプスを巻いたものの、骨折などの異常がないのですぐに外したところ、教諭はほかの生徒の前で「骨折はうそだったんだな」と言ったという。

■文部科学省の統計
 1999~2005年度において、いじめによる児童・生徒の自殺件数がゼロとなっているが、実際は少なくとも6件あったらしい。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061020itw5.htm?from=top

■小学生の自殺者
公立小学校児童の自殺者数統計は以下の通りである。
1977・・・10
1978・・・9
1979・・・11
1980・・・10
1981・・・8
1982・・・8
1983・・・6
1984・・・12
1985・・・11
1986・・・14
1987・・・5
1988・・・10
1989・・・1
1990・・・5
1991・・・5
1992・・・3
1993・・・4
1994・・・10
1995・・・3
1996・・・9
1997・・・6
1998・・・4
1999・・・2
2000・・・4
2001・・・4
2002・・・3
2003・・・5
2004・・・4
2005・・・3
文部科学省の統計による。
昭和62年までは年間の数,昭和63年以降は年度間の数。

■いじめを雑誌で告白したコーネリアスの小山田圭吾の話
「ロッキンオン・ジャパン」平成8年1月号(1996年)、小山田圭吾2万字インタビューより引用
「あとやっぱりうちはいじめがほんとすごかったなあ」
・でも、いじめた方だって言ったじゃん。
「うん。いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドイことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)だって、けっこうほんとキツイことしてたよ」
・やっちゃいけないことを。
「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを食わしたりさ。ウンコ食わした上にバックドロップしたりさ」
・(大笑)いや、こないだカエルの死体云々っつってたけど「こんなもんじゃねえだろうなあ」と俺は思ってたよ。
「だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ、僕はアイディアを提供するだけで(笑)」
・アイディア提供して横で見てて、冷や汗かいて興奮だけ味わってるという?(笑)
「そうそうそう!『こうやったら面白いじゃないの?』って(笑)」
・ドキドキして見てる、みたいな?
「そうそうそう!(笑)」
・いちばんタチ悪いじゃん。
「うん。いま考えるとほんとにヒドイわ」


【俺の感想】
 とにかく自殺をしてはいけないのである。中学生や小学生という未熟な人間は、死が何か、生が何かと言う事をまだ分かっていない。大人ですら分かっている人間はいないのだ。
 つまりこういうことだ。若い人間は、10年後の自分に対して、生きなければいけない義務がある。そして20年後の自分に対しても、30年後、40年後も同じである。つまり未来の成熟した自分に対する殺人なのだ。
 自殺をするのは、脳が勝手に決める事だ。人間は70兆もの細胞で出来ている。それらの細胞は、生きる為にある。身体の一部である脳が勝手に、しかも脳の一部が、死の恐怖などの本能的な部分も発揮させられる事なく、全ての細胞の死を決定してしまうのだ。それは自分という生命体にとっての、殺人である。
 それは勝手な大脳皮質のエゴイズムに過ぎず、あまりにも失われるものが大きすぎるのだ。

 さて、ではなぜそこまで大脳皮質が追い詰められて、死を選んでしまうのかと言えば、その原因として「いじめ」は大きい。勝手な偏見であるが、腕力があるくせに最もバカで危険な年齢は、中学生ぐらいだと思う。何をしたら良いのかも分かっていない。ので、残酷に攻撃衝動を、現実に発揮してしまうのだ。それは、暴力的ないじめに限らず、精神的ないじめも含まれる。コーネリアスの小山田は、個人的には死んで欲しい。
 そしてタブーを行う事が英雄視されるような年代であれば、尚の事である。そこでいじめはエスカレートする。はっきり言ってバカがエスカレートすると、とんでもないことになる。大人であれば暴力行為は、当然に傷害罪、暴行罪、脅迫罪などの罪に問われ、警察の御用となり、保釈金などを考えると、そうそう暴力行為に及ぶことはない。しかし子供であれば、そうではない為、暴力行為が止まらないことになるのだ。
 うちの中学校はメチャクチャであった。ヤンキーばかりで一人を狙ってプロレスごっこなどが始まり、休み時間中ずっとそれが続いていた。俺はなるべく関わらないようにしていた。が、とにかくメチャクチャであった。バカなガキが集団になると、本当にロクな事をやらない。ボコるという事も、たまにあった。つまり上級生が下級生を呼び出して、集団で殴る蹴るの暴行を加えるのだ。これは普通に犯罪であるのだが・・。教師も大変である。

 ある日、野球部でボコるという事件があった。俺と同じクラスの野球部のイノハラ(仮名)が主犯であった。普段はいい奴だが、バカなときはバカであった。それは挨拶をしないという事が原因で、ボコったらしい。そして体育教師Oは、体育の授業前にニヤっと笑いながら、口で注意をして、「覚えておけよー」みたいなことを言っていた。体育館の授業であり、一時間が経過して、授業は終わりになった。そしてその体育教師Oは、「今日はこれで終わります」と言い、皆軽く挨拶をした。
 すると突然、「イノハラぁぁぁぁ !!!」(仮名です)と、烈火のごとくその体育教師は、絶叫しだした。そして物凄い形相で、ドスドスと、そのイノハラのところまで、歩いていった。そして胸倉をつかみ、足を柔道の小内刈りのようにして、ころばせ、馬乗りになって、ボッコンボッコンと殴るわ、蹴るわ。もうメチャクチャであった。俺らパンピーの生徒は、唖然として、その様子を体操着を着たまま見ているしかなかった。
 なぜ怒ったのかというと、イノハラは、下級生に対して挨拶をしなかったからボコッた。そして体育教師Oは、それと同じことをイノハラにやったのであった。つまり授業の終わりの挨拶ができていないと言う事に対して、同じ報復を与えたのだ。ヤツの授業前のニヤニヤは、このときの前フリであったのだ。そして180cmぐらいあるゴツいイノハラも、体育教師には勝てなかった。勝てないというより、反抗したら余計にやられるだけなのであった。

 本当にイジメ問題など人間の生の本性がでる問題は難しい。いじめる人間にも同じ痛みを与えてやれだとか、体罰賛成とか言ってるわけではない。ものすごく賛否両論あるような話であろう。口で分からない奴には、体で言い聞かせるというのも、一理あるのだ。どうしようもないヤンキーの行動を変えさせることなんて、口でできるだろうか。犬の群れと一緒であり、誰が主人なのか、誰が秩序を形成しているのか、体で恐怖を覚えさせるというのも、一つの有効な手段ではあるのだ。確かに刑法の基本的な考え方もそこにある。社会秩序を保つために、相応の罰を与えるというのは、応報刑論の考え方でもあるし、教育効果が無いわけではないだろう。
 しかし、それは劇物なのである。毒が強すぎるのだ。毒をもって毒を制するような考え方である。そして、それはよほどその毒をうまく使いこなさないとならない。そして親も賛否両論あるわけで、普通に暴行罪で訴えられる可能性もある。それに暴力をされる側にとっては、本当に最悪なものである。ただのサディストの暴力教師が存在する可能性もあるし、一概に賛成などできるわけがないのだが、難しい・・・。

 とにかくいじめが良くないことであるということを、徹底的に普及させること。そしていじめられてる子供を助けてあげること。そして絶対に自殺はダメなんだということを教えることである。  

Posted by らっっっきー at 22:37Comments(0)社会