クリスマスが近いのであった。ミレナリオのような、光で飾っている場所に着いた。
人々に賑わっていた。巻貝のようなオブジェがあった。なかなか美しい風景だった。
人工っぽい川が流れていた。ここは今のソウル市長が作ったらしい。
昔は清溪川という川だったのだが、朝鮮戦争後に暗渠となり、その上にブラックマーケットやスラム街がある治安の悪い場所であった。しかし2003年から2005年にかけて、「清溪川復元プロジェクト」が始まり、ディベロッパーの会社の社長であったソウル市長の主導により、川が完成したということである。
川に沿って、ずっと光の列が続いていた。この川を作ることで、ソウルのイメージアップや環境改善をはかろうとしているらしい。
キムくんによると、この市長は現代(ヒュンダイ)建設の元社長の李明博(イ・ミョンバク)であるらしい。彼のアダナは「ブルドーザー」であり、大規模開発を得意としている。また、次期韓国大統領候補であるらしい。
まるで日本の田中角栄のような男である。日本もそうやって、バラマキ型の財政支出で、国中を開発し、コンクリートで固められた港や川などができて、更に巨額の公共事業によって、日本に財政赤字を累積させる事にも繋がったわけだ。
キムくんによると、この「清溪川復元プロジェクト」によって、ソウル市民は喜び、経済も活性化したと言う。
「ふーん。でもそれだけ巨大な工事をやって、借金が膨らんだってことは無いの??」
と、聞いてみたが、別に問題ないんじゃないと言われた。
WIKIPEDEIAによると、【引用開始】
清渓川(チョンゲチョン)は、韓国ソウル中心部を流れる川。
1950年代から1960年代の韓国の経済成長・都市開発に伴って、水質汚濁にまで発展した。清渓川が暗渠となり清渓高架道路が建築された。その後、2000年代に入り市民の署名などによって、2003年7月から2005年9月にかけて復元工事が行われ、高架道路の撤去、河川の清掃など行った結果、今は、市民の憩いの場となっている。【引用終わり】
ということなので、まあ良かったんだろーね。
この川を進んでいくと、歴史的な写真が飾られていた。その白黒写真には衝撃を受けた。韓国は昔は物凄い貧乏国家だったのだ。GDPでいうと、世界160位ぐらいの貧乏さだったのだ。
川で洗濯をするボロをまとった女とか、まさにスラムそのものであった。
キムくんは、
「私の親の世代が、ものすごく一生懸命働いたから、今の豊かな暮らしがある。だから感謝しなさいって事を、しょっちゅう親から言われます。」
と言っていた。実際韓国人は、かなりの働き者らしい。それにしても写真を見ると、まったく荒廃した国だったのに、よくもまあここまで成長したものだと思う。日本の援助も結構あったんだろーな。日本人も韓国人も見た目はそっくりなので、遺伝子的にマジメに働くっていう性格があるのかもしれないと思った。ソウルしか見ていないが、韓国は、先進国そのものに見えた。一人あたりGDPでいうと、韓国はまだ日本の半分程度であるが、順調に成長している。
さて、ネオンがすさまじい場所を歩いた。ノレバンだらけである。ノレバンから出た若者が、次はクラブに行こうなどと言っていた。(キムくんの通訳によると。)
すごい喧騒であった。
なんつーか、国に勢いがあるよーな気がした。
しかし・・。歩いているとどんどん物理的な距離が近づいてゆき、ガンガンと肩がぶつかるのであった。小学生の時にも似たような人はいたなー。例えば日本であれば、かなりの距離をあけて、歩くような気がする。まあそういう人なんだろー。
さて、もう疲れてきたので休もうということになり、鍾路にあった喫茶店で休んだ。もう12時近かった。
柚子茶をおごってもらった。壁には一面に落書きがしてある。薄暗くて、なぜか本当の線路が店の中にある。
ところでBoAの話になったが、
韓国人は、人との付き合いを非常に大事にするらしい。だからBoAはとてもPoor(かわいそう)とキムさんは言っていた。プロデューサーのマペットであり、友達も学校などで作れなかったから。と言ってた。韓国に来てみて、BoAの存在感はそれほど感じられなかった。昔ならあったかもしれないが。テレビでも一回CMで見たぐらいであった。
そしてヨン様こと、ヨンちゃんペは、日本人向けの土産ショップでしか、見かけなかった。
キムさんは、「本当に、ペ・ヨンジュンは日本で人気あるのですか?」
と、聞いてきた。「確かに大人気だよ。まるでキングだね。前ほどではないけど。」
「冬のソナタでも、おばさんにすごく優しい役だったから、人気あるんではないですかね。」と言ってた。
また韓国の女の子の話題になったが、韓国の子は、ドラマが好きで、ドラマチックな恋愛に憧れているらしい。だから、とても女の子に優しくなければならないと言ってた。また徴兵制があるため、たくましくマッチョでなければダメとも言ってた。
「つまり、すごく優しくて、同時に強くて守ってくれるような男でないとダメです。だから韓国の男は大変です。」と。
うーーーむ。街にはそんなには、可愛い子が見当たらなかったのだが、女の子は贅沢言い放題だな・・・。
なんかキーホルダーのような土産をくれた。韓国の古い太鼓のようなものであった。
いやーすみませんねー。ありがとうございます。
そして、キムさんは、交換留学で日本の福岡でホームステイをしていたことがあって、そこで日本人にとても親切にしてもらったらしい。だから、一人で韓国に来た俺に対してこれだけ親切にしてくれたらしい。
キムさんは、その時、日本人の友達とすごく仲良くなり、メールでやり取りなどもしていたらしい。
しかし、不幸な事に、やり取りしていた友達は、大学入学直後にバイク事故で亡くなってしまったらしい。
彼は非常に親切で優しいヤツであった。徴兵されるようなキャラではない。
友人が死んでとても辛かったことであろう。俺も友達、チングになっておこう。多分俺が死ぬ事はあまり無いだろう。
さて、柚子茶は甘くて暖かくとても美味しかった。店の人によると、外は雪が降っているらしい。韓国の携帯のCMで雪が降り始めて、「ヌンヌンヌンヌンヌンヌン」と男の学生が叫びだすというのがある。(チャン・グンソクがBoAと共演しているTingのCMのこと)
それを思い出して、ヌンヌンヌンヌンヌン??と聞いてみたら、そうだと言う。
外に出たら、本当に雪が降りまくっていた。今年初めて見た雪だった。一月ごろには、雪が積もるらしい。
そして写真を撮ったりして、メールのやり取りなどすることを約束して別れ、俺はホテルに戻ったのだった。
次の日、モーニングコールを頼んで目覚め、バスに乗って、インチョンまで行った。雪が降り積もっていた。
ナナナナナナナナナナナナナナナナント、空港に、チェ・ホンマンがいた。
見た瞬間に、「あ、チェ・ホンマンだ。」と分かった。なぜかというと、でかいヤツがいて、そこが韓国だったから。
マネージャーのような小さい男と共にいて、青いダウンジャケットを着て帽子を被っていた。やはり金髪であった。
そのへんにいたスッチーに、チェ・ホンマンさんですか?と聞いたら笑顔で「そうです」と答えた。周りの客も皆、携帯で写真を撮りまくっていた。
しばらく見失っていたが、パスポート審査で並ぼうとすると、前にいたのは、ホンマンくんであった。俺も180cmあるのだが、40cmぐらい俺よりもデカい。体重的には三倍ぐらいである。さっきから写真を撮りまくっていた失礼なヤツだったからか、振り向きざまに、真上から、ギロリと、俺の方をチラ見してきた。
おおすげえと思い、ファンでもないのだが、ファンですよーと会釈してみたが無視された。
横には、学生風の韓国人の男たちが、携帯で写真を撮りまくっていたので、俺も列をそっちに移動して、写真を撮りまくってみた。
しかし、あれだけデカい韓国人なんて全然見かけなかった。突然変異なのだろうか。しかしボブ・サップに勝ったとはすごいじゃないかい。
どうやら俺と一緒に日本に向かったようだな。大晦日にボビーと対戦するらしい。ふーん。
雪で出発が大幅に遅れた。
飛行機の窓からは、日本列島がクリアに見えた。
やはり韓国と一言言っただけでバカなねらーの発言が頭に浮かぶが、そう単純なものではなくて、韓国はずっとマトモな国だ。ねらーのガキがバカ言ってるのなんて、聞き流せば良い。
楽しい旅であったし、考えさせられるものがあった。
まず何よりも感謝感謝である。キムくんをはじめ、いろいろな人にお世話になった旅であった。そして韓国人だから、日本人だからなどという、見方はくだらないものだとも思った。本当に本当に韓国には、親切な人がいた。
やっぱりそうじゃないか。やっぱり良い人がいるじゃないかと思った。俺は人から聞いた話、どこかに書いてあった話などより、自分が直接体験したこと、自分が直接感じて思った事だけを信じる事にしたい。
行って良かったし、また行きたいと思う。
行けば行くほどに、いろいろな面が見えてくるだろう。それでもこんな近くにこんなに面白い国があったと言う事に驚きである。
そして、いつか北朝鮮側から板門店に行ってみたい。北と南が融和するなんて、口で言うほどたやすい事ではない事は、すごく良く分かったけど、いつの日か、近い将来に、南北の壁がなくなって、平和な板門店が訪れることを祈りたいと思う。
きっと普通の人たちが、普通に大喜びするんだろう。